Jeanne and Svensson「流動性の罠からの脱却のための信認ある確約」AER 2007


●Olivier Jeanne and Lars E. O. Svensson, “Credible Commitment to Optimal Escape from a Liquidity Trap: The Role of the Balance Sheet of an Independent Central Bank”(American Economic Review, Vol. 97, No. 1 (March, 2007), pp.474-490;一部訳)

リフレーションに関連する海外記事および論文集 用に訳したんだけども、スパム認定されちゃって訳文の修正ができないと。そういうわけで一応こちらに一部修正を加えた訳文をアップ。

Introduction
本論文は、以下の2つの事実―現実の中央銀行の行動や関心についての観察に基づく実証的な事実―に立脚したうえで、流動性の罠から脱却するための金融政策のあり方を考察する。第1の事実;中央銀行は消費者物価指数(CPI)で測ったインフレ率を目標として金融政策を運営しているということ。第2の事実;独立した中央銀行は自らのバランスシートの状態ならびに自己資本の水準に関心を持っているということ。これら2つの事実に関しては本文の中でその証拠を提示するであろう。第1の事実は、流動性の罠から抜け出すための最適な方法にまとわりつくよく知られた信認(credibility)の問題を生み出す原因になる一方で、第2の事実は、この信認の問題を解決し、流動性の罠から抜け出すための最適な方法を実効あるものとするメカニズムの可能性を提供することになる。
流動性の罠下においては、名目利子率はゼロ%の水準にある一方で、実質利子率は―民間経済主体が低インフレ期待あるいは時にデフレ期待を有しているがために―最適な水準よりも高止まりする状況におかれることになる。このような流動性の罠から抜け出すための最適な方法は、将来の物価水準に関してより高めの物価期待を生み出すこと、つまりは通常よりも高めのインフレ期待を生み出すことである、という点は Paul Krugman (1998) 以来よく知られたことである。特に、インフレ目標(inflation target)を採用している中央銀行のケースでは、流動性の罠から抜け出すために、中央銀行は、目標として掲げているインフレ率を上回る(オーバーシュートする)水準のインフレ期待を生み出すように金融政策を運営すべし、ということになる。そうすることで、たとえ名目利子率はゼロ%であったとしても(名目利子率にはこれ以上の引き下げ余地はなくとも)、(期待インフレが上昇することを反映して)(期待)実質利子率は低下することになり、その結果経済が刺激され流動性の罠から抜け出すことが可能となるだろうと予想される。しかしながら、Krugman (1998) もまた強調していることであるが、流動性の罠から抜け出すための以上の最適な方法は、より高めの将来の物価水準に対するコミットメントの信認をいかにして確保したらよいかという問題を抱えている。中央銀行による「より高めの将来の物価水準を実現します」という約束は信認を得ることはできないかもしれない。というのも、中央銀行は、(流動性の罠に陥る以前から)ターゲットとして設定しているインフレ率を達成するためにインフレ率の低位安定化に臨み、その結果として「より高めの将来の物価水準を実現します」との約束を事後的に反故にして、以前に約束していた水準よりも低めの物価水準の達成を目指すことになるかもしれないからである。また、目標とするインフレ率として消費者物価指数(CPI)で測ったインフレ率を採用することは、この信認の問題を一層悪化させることになる。というのも、CPIに対して比較的速やかに影響を及ぼし得る経路として―特に中でも輸入品(輸入された最終消費財)の自国通貨建て価格への影響を通じて―為替レートという手段があるからである。中央銀行は為替レートの増価―為替レートの増価によりCPI上昇率は低下し、そのため中央銀行は事後的に(流動性の罠に陥る以前から)ターゲットとして設定しているインフレ率を達成することが可能となるだろう―に訴えることで事後的に「より高めの将来の物価水準を実現します」という約束を反故にするかもしれないのである。
本論文において明らかとなる新たな結論の主たるものは、 冒頭で触れた第2の事実―独立した中央銀行は自らのバランスシート上の自己資本の水準に関心を持っているということ―が流動性の罠から抜け出すための最適な方法にまとわりつく信認の問題を解決するコミットメントメカニズム―中央銀行が現時点における為替の減価を通じてより高めの将来の物価水準の実現にコミットすると同時に、中央銀行が将来的に為替の増価に訴えるインセンティブを持たないようにするメカニズム―を提供することになるということである。このコミットメントメカニズムは、Svensson (2001, 2003a) によって提案された「流動性の罠を脱出する確実な方法(Foolproof Way to escape from a liquidity trap)」をサポートすることになるだろう。
I.D節で議論するように、中央銀行が自らのバランスシート上の自己資本(純資産)に関心を寄せているという第2の事実に関してはかなりの証拠がある。中央銀行は政府からの独立を維持しようと欲している。現在の会計ルールの下では、自己資本額がマイナスの水準に落ち込むことになれば、中央銀行は、政府による資本注入を受け入れる必要が出てくることになり、そのため政府からの独立を一部手放すことになる(政府の意のままになる)だろう。このような事態に陥ることを避けるために、中央銀行は自己資本額がある特定の最低水準以下に落ち込まないよう心掛けることになる。現時点において為替が減価する一方で将来的には為替が増価するとなれば、バランスシート上で保有している外貨準備に将来的にキャピタルロス(為替差損)が発生することになるが、バランスシート上の自己資本に対して最低水準が設定されるようであれば(中央銀行がバランスシートの状態に関心を払っており、それゆえ自己資本がある特定の最低水準を割り込まないよう試みるとすれば)将来の為替レートの水準に関して許容可能な下限(あるいは将来的な為替増価の幅に対する上限)が存在する*1ということになるであろう。(流動性の罠から抜け出すために必要となる)より高めの将来の物価水準と整合的な水準に為替レートをペッグするとともに、そのペッグした為替レートで評価した場合に中央銀行の(自国通貨建てでみた)自己資本がちょうど最低水準に達するようにバランスシート上の資産を適当に管理してやれば、中央銀行はより高めの将来の物価水準の実現に向けたコミットメントの信認を確保することが可能となるだろう。
流動性の罠や日本のマクロ経済問題を扱う最近のいくつかの文献においては、中央銀行―それも低インフレの達成に対する評判を確立した中央銀行―が将来の高めのインフレ率にコミットすることに伴う信認の問題が強調されてきたものの(この点に関しては、例えば、Krugman 1998; Svensson 2001, 2003b; and Gauti Eggertsson 2003、を参照)、これらの文献中では、独立した中央銀行が自らのバランスシート上の自己資本の水準に関心を持っているという事実に対しては明示的なかたちで注意が払われることはなかった。
Krugman (1998) や Eggertsson (2003) においては、中央銀行の独立性と財政政策―金融政策間の協調の欠如とは、流動性の罠から抜け出す上での障害として捉えられているように見受けられる。本論文において我々は、中央銀行の独立性と(独立性を維持しようとの意図に基づくところの)中央銀行による自らのバランスシートへの関心とは、流動性の罠から抜け出す上での(障害ではなくむしろ)解決策を提供することになることを明らかにするであろう。
Eggertsson (2003) は、将来的なインフレーションのインセンティブを提供することになる政府と中央銀行(訳注;統合政府?)との名目債務の役割をモデル化している。インフレーションは政府債務の実質価値を低減し、その結果として経済活動に歪みをもたらす将来的な税負担を軽減させるため、統合政府は将来的にインフレーションを起こすインセンティブを持っていると捉えられているわけである。本論文におけるモデルの設定は、エッガートソン(Eggertsson)のモデルとはいくつかの点で違いがある。(少なくとも先進工業国に関して言えば)現実的な問題として、中央銀行は財政当局(fiscal authority)の支配下にはなく、また、金融政策は政府債務の負担軽減(政府債務の実質的な価値の低減)や将来的な税負担の軽減を目的として運営されてはいない。実際のところ、中央銀行は政府から独立しており、中央銀行はもっぱら政府からの独立を維持することを目的として自らのバランスシート上における自己資本の水準に関心を寄せている。中央銀行は、統合政府の純資産ではなく、外貨準備のキャピタルロスの動向に注意を向けているのである。
中央銀行が自らのバランスシートの状態に関心を寄せているという事実は、金融政策を論じるアカデミックな文献においてこれまでほとんど手がつけられてこなかった研究分野である。しかしながら、金融面での自治(自律性)や政府からの独立性を維持するために、中央銀行が自らの自己資本の水準に関心を寄せているという証拠は数多くある。中央銀行の独立性が高まれば高まるほど、中央銀行によるバランスシートへの関心と金融政策とがどのように相互作用しているかについて理解を深めることは一層重要になるだろう。本論文において明らかになるように、中央銀行によるバランスシートへの関心は、分析的な観点からしても無視すべからざる仕方で、また現実の政策問題との関連という意味においても、金融政策の運営に対していくつかのインプリケーションを有しているかもしれない。流動性の罠との関連における中央銀行によるバランスシートへの関心については、インフォーマルな形では(=明示的なモデル化には依らないかたちで)これまでもたびたび取り上げられてきた問題ではあった。多くのコメンテーター、例えば、Ben S. Bernanke (2003) は、中央銀行によるバランスシートへの関心が日本経済においてヨリ積極的な政策の採用を妨げている障害となっており(=日銀が自らのバランスシートの毀損を恐れているがゆえに積極果敢な金融政策が採用されていない)、日本経済が流動性の罠から抜け出すにあたっては、財政政策―金融政策間の協調―例えば、日銀によるリスキーな資産の買いオペに伴う損失を政府が補償する―が有用となるであろう、と提案している。
流動性の罠以外の状況に関して言えば、中央銀行によるバランスシートへの関心を形式的なかたちでモデル化する試みは既にいくつかなされている。Peter Isard (1994)は、中央銀行が外貨準備の価値に関心を寄せるとの想定を置いた上で、通貨危機モデルを組み立てている。Christopher Sims (2004)は、中央銀行による低水準の自己資本の維持が自己実現的なハイパーインフレ均衡の排除を妨げることになる可能性(=中央銀行が低水準の自己資本を維持しようとすることによってハイパーインフレ均衡が均衡状態の一つとして残存する可能性)を論じている。シムズ(Sims)のモデルでは、中央銀行によるバランスシートへの関心は障害として捉えられている。つまりは、中央銀行が自らのバランスシートの状態に関心を寄せることにより、経済的な混乱下において(中央銀行による)適切な政策が採られない可能性が論じられているのである。シムズの議論とは対照的に、本論文では、中央銀行によるバランスシートへの関心と中央銀行の独立性とは、流動性の罠の状況下においては、一つの解決策―流動性の罠から抜け出すための最適な政策を支えるコミットメントメカニズム―を提供することになる可能性が論じられることになる。

IV. Conclusions
本論文では、中央銀行は消費者物価指数(CPI)で測ったインフレ率を目標として金融政策を運営しているということ(第1の事実)、ならびに、独立した中央銀行は自らのバランスシート上の自己資本の水準に関心を持っているということ(第2の事実)、という2つの実証的な事実に立脚したうえで、流動性の罠から脱却するための金融政策のあり方を考察してきた。第1の事実は、中央銀行は、事後的な為替の増価に訴えることによって、より高めの将来の物価水準の実現に向けたコミットメントを反故にする可能性があることを示唆するものである。しかしながら、本論文で示したところによると、第2の事実は、独立した中央銀行が事後的に為替の増価に訴えるインセンティブを持たないようにバランスシート上の自己資本を管理するよう誘う可能性が開かれていることを示唆している。つまりは、独立した中央銀行は、為替の減価とその後しばらくの期間にわたるクローリングペッグの採用を通じてより高めの将来の物価水準の実現に向けてコミットすることが可能であると同時に―これは、Svensson (2001, 2003a) が提案する「流動性の罠を脱出する確実な方法(Foolproof Way to escape from a liquidity trap)」に沿う手段である―、バランスシート上の自己資本の管理を通じて、より高めの将来の物価水準の実現に向けたコミットメントの信認を確保することができるわけである。
本論文では以上の議論を非常に簡略化されたモデルを通じて考察した。モデルの簡潔さは議論のロジックを明快なかたちで説明するにあたっては利点になるものの、モデルの仮定をより現実に近付けた場合に我々のモデルの結論がどこまで維持されるかという点に関しては幾らか疑問が投げかけられるであろうことも確かである。本論文のワーキングペーパーバージョン― Jeanne and Svensson (2004) ―では、本論文のモデルにいくつかの拡張―特に、経済が流動性の罠の状況に複数期間継続して陥るケースを検討したり、中央銀行によるバランスシートへの関心の持ち方に関してさまざまな想定を置いたりなどして―を施したうえで検討を加えているが、本論文の結論はそのような拡張に対しても頑健であることが示されている。また、件のワーキングペーパーにおいては、流動性の罠から抜け出すための最適な政策へのコミットメントを達成する手段として、外貨準備以外の資産の価格をペッグするという手段もあり得ることが論じられている。興味深いことには、全ての資産がこのような手段として利用できるわけではないかもしれないということである。この点に関しては、その収益が自国通貨で測ってあらかじめ確定しているような資産―名目資産("nominal" assets)、例えば、自国通貨建てのあらゆる満期の国内債券―とそうではない(その収益が自国通貨で測ってあらかじめ確定していない資産)資産―実質資産("real" assets)、例えば、株式や不動産、物価インデックス債―とを区別することが重要であり、本論文でこれまで分析してきたようなコミットメントデバイスとしては、前者(名目資産)ではなく後者に属する資産(実質資産)こそが適当な手段となり得る可能性が示されている。
より一般的な話として(=流動性の罠という特定の状況を超えてより一般的な文脈において本論文を位置づけると)、中央銀行が自らのバランスシートの状態に関心を寄せているという事実(第2の事実)ならびにこの事実が金融政策について有するインプリケーションに対してもっと専門家の注目が向けられるようになればと、そして本論文がそのような動きを促進することに何らの貢献ができればと、願うところである。現実の中央銀行家が中央銀行の自己資本の状態に気を揉んでいるように見受けられながらも、中央銀行が自らのバランスシートの状態に関心を寄せているというこの事実に関しては、アカデミックな文献においてはこれまで十分に分析なされてきていない。中央銀行による自らのバランスシートへの関心が金融政策の運営上それほど重要な影響を及ぼさないとすれば、この事実(第2の事実)を無視したとしても深刻な問題とはならないであろうし、第2の事実の無視は現実の一次近似としてそれほど無理なく受け入れることもできるであろう。しかしながら、中央銀行によるバランスシートへの関心が金融政策の運営に無視すべからざるような仕方で関わってくるかもしれないような状況―流動性の罠はこのような重要な状況の一つである―というのが確かに存在する。中央銀行によるバランスシートへの関心の基礎にあるものは何なのか(=なぜ中央銀行は自らのバランスシートの状態に関心を示すのか? その理由は何なのか?)、中央銀行が自らのバランスシートの状態に関心を寄せることが金融政策の運営に対していかなるインプリケーションを有するのか、といった問題は、今後さらなる理論的ならびに実証的な研究が必要とされる問題であろうと思われる。

*1:論文の中では為替レートは自国通貨建ての為替レート(1ドル=○○円)が採用されており、それゆえ為替レートに許容可能な下限が存在するということは、例えばその下限が1ドル=100円であるとすれば、1ドル=100円を超えた円高(1ドル=90円とか80円とか)は許容不可能ということを意味することになる。また、なぜ許容不可能かといえば、1ドル=100円を超えて円高が進むことで生じる外貨準備の為替差損により(自国通貨建てで評価した)自己資本が最低水準を割り込むことになってしまうため。