「自然と人為、ケインズと柴田」


久しぶりに某友人と会ってランチ。お得意のマシンガントークは衰えを知らず・・・というかむしろその勢いはさらに増しており、相槌を打つ暇さえありませんでした。某友人よ、そんなに急いでどこへ行く?

デフレがどうして生じるか(デフレの原因)というとその理由は大まかに2タイプに分けられるよね。総需要の不足かあるいは(生産性の上昇をはじめとした)正の総供給ショックかのどちらかだよね(hicksianによる補足;AD-ASモデルで言うと、総需要の不足はAD曲線の左シフトに、正の総供給ショックはAS曲線の右シフトにそれぞれあたる)。

産出量(実質GDP)に及ぼす影響という点では両者の間で大きな違いがあるけれど(hicksianによる補足;総需要が不足する場合は産出量は減少し(あるいは実質経済成長率は低下し)、正の総供給ショックが発生した場合は産出量は増加する(あるいは実質経済成長率は上昇する))、どちらもデフレ(あるいはインフレ率の低下)という結果をもたらすことになるよね。

さて、ひとまず総需要の不足(によるデフレの発生)の話題は一旦脇に置いておいて、生産性の上昇によってデフレが発生したとするよね。というか、生産性の上昇によってデフレが発生するのは自然な(必然的な)成り行きなんだろうか? 生産性の上昇が物価にどういう影響を及ぼすかは「金融政策のレジーム」次第だと個人的に思うんだよね。

例えば、中央銀行が「インフレ目標」を採用していてプラスのインフレ率の達成を目標に掲げていたとするよね。その時「生産性の上昇」ショックのためにデフレ圧力が生じて、インフレ率が目標インフレ率を下回りそうだとなったとしたら中央銀行はどう行動するだろう? インフレ率が目標インフレ率を下回ることがないように金融緩和に打って出るだろうね。つまり、中央銀行が「インフレ目標」を採用している場合、生産性が上昇してもデフレ(インフレ率の低下)は生じないという結果になる可能性があるわけだよね。

さて、一方で中央銀行が「NGDP目標」を採用しているとするよね。この場合、「生産性の上昇」ショックが発生したら中央銀行はどう行動するだろう? 先の「インフレ目標」を採用している場合とは違って金融緩和に打って出ることはないだろうね。「NGDP目標」を採用している場合、中央銀行がターゲットとするのは名目GDP成長率だよね。名目GDP成長率が目標の範囲にある限りはその内訳(インフレ率と実質GDP成長率)がどう変化しようと関係ないはずだよね。「生産性の上昇」ショックは「実質GDP成長率の上昇」と「インフレ率の低下」というかたちとなって表れる可能性が高いよね。つまり、中央銀行が「NGDP目標」を採用している場合、生産性が上昇するとデフレ(インフレ率の低下)が生じるという結果になる可能性があるわけだよね(hicksianによる補足;このあたりの議論はベックワースによる次のエントリー「インフレターゲットの問題点 by David Beckworth」(erickqchanさん訳)が参考になるだろう)。

というわけで、生産性の上昇が物価にどういう影響を及ぼすかは「金融政策のレジーム」次第だと言えるわけだよね。中央銀行が「インフレ目標」を採用していれば(生産性の上昇に伴って)デフレは生じないし、「NGDP目標」を採用していれば(生産性の上昇に伴って)デフレが生じるというわけで。ところで、中央銀行がどの「レジーム」の下で金融政策を運営することになるかは人為的な面があるよね。どの「レジーム」の下で金融政策を運営するかは運命によって(あるいは神の思し召しによって)あらかじめ決まっているというわけではなく、複数ある選択肢の中から選び出された結果なわけだから。となると、生産性の上昇によってデフレが発生するのは自然な(必然的な)成り行きだとは言えないわけで、ある程度人為的な選択の結果だと言えるわけだよね。さっきも触れたように、中央銀行が「NGDP目標」を採用している場合は生産性の上昇によってデフレが生じることになるけれど、それは中央銀行が「NGDP目標」というレジームを採用している結果であるわけで、そういう意味で生産性の上昇によってデフレが発生するかどうかは中央銀行がどのようなレジームを採用(選択)するかという人為的な要因に拠っていると言えるわけだよね。


ランチを終え、そのまま近くの喫茶店に入る。店内に流れるジャズに聞き入る・・・余地など与えず、某友人のマシンガントークは続く。

ところでつい最近、柴田敬著『経済の法則を求めて』を読み直したんだけれど、こんな話が書いてあったよね。

ケインズは次のように考えていた。経済の発展につれて①限界消費性向は低減し(その結果総消費が伸び悩む)、②資本の限界効率は低下する(その結果総投資が伸び悩む)という法則があり、1930年代の大恐慌は①と②の法則の結果として生じた必然的な事態である、と。

でも、ケインズのその判断は事実誤認であり、「偶然を必然と見誤る」ものだ・・・と柴田氏は評価しているよね。

「1930年代に生じた大恐慌の原因は総需要の異常な収縮にあり」というケインズの判断は正しいが、総需要が収縮した原因を①と②の法則に求めるのは間違っている。1930年代に総需要が大きく収縮したのは、「「金本位制度の支配下においては世界経済にもマーシャリアンkが支配する」ことに気づかなかった当時の指導者たちが間違った貨幣政策を採用した、という「偶然」の事情に起因するのである。」・・・というのが柴田氏の評価だよね。

簡単に言うと、各国が金本位制に復帰したのが大恐慌の原因であり、大恐慌は金本位制という「金融政策のレジーム」を採用したがために生じた「偶然の」結果だ、ということだよね(hicksianによる補足;この点について詳しくは韓リフ先生の次のブログエントリー「忘れられたリフレ派、没後20年」/「忘れられたリフレ派、続き」を参照)。

「金本位制度の支配下においては世界経済にもマーシャリアンkが支配する」というのはこういうことだよね。「マーシャリアンk」(マーシャルのk)というのは貨幣対名目所得比(M/Py)のことだけれど(ケンブリッジ現金残高方程式「M=kPy」のk)、金本位制下にあった時期の世界経済全体を見ると、世界全体に存在する貨幣用の金の総額(M)と世界全体の名目所得(Py)の比(世界全体で見たマーシャルのk)が一定の値で安定していることに柴田氏は気付いたんだよね。

第一次世界大戦が勃発すると各国は金本位制から離脱することになったわけだけれど、その結果世界経済は「世界経済のマーシャリアンk」の支配から自由になって(言い換えると、金の量に束縛される必要がなくなって)Py(名目所得)が大きく上昇することになったんだよね。

でも、しばらくすると各国は金本位制に復帰し始めることになったわけだけれど、そうなると再び「世界経済のマーシャリアンk」がその力を発揮し始めることになるわけだよね。

Pyが上昇した分kは低下しているわけだけれど、この間貨幣用の金の量はそれほど増えておらず、そのためkが元の値に戻るためには(上昇するためには)Py(名目所得)が低下しないといけないよね。

kが元の値に戻ろうとする調整過程で名目所得ひいては総需要が急激に収縮し、その結果として生じたのが大恐慌だというわけだよね。柴田氏は実際に事が起こってからそう診断したわけではなくて大恐慌が発生する前の時点で「(金本位制への復帰によって)総需要は大きく落ち込むぞ!」と予測していたんだけれどね。

というわけで、1930年代に発生した総需要の不足はケインズが語るように必然的なものではなく、(金本位制という)レジームを選択した結果として招かれたものであり、「偶然」の結果だと柴田氏は評価しているわけだよね。「偶然」は「人為的」と言い換えてもいいかもしれないよね。

さて、さっきのランチの時に一旦脇に置いておいた「総需要の不足によるデフレ」の話題だけれど、ここでも「自然」と「人為」という区別が関わってくるよね。総需要の不足を「必然」の法則に求めたケインズとレジームの選択という「偶然」に求めた柴田敬、「限界消費性向の低減傾向」と「資本の限界効率の低下傾向」の「自然な」(必然的な)結果として大恐慌が招かれたのだと説くケインズと金本位制という金融政策のレジームを選んでしまったがために(レジームの「人為的な」選択の結果として)大恐慌が招かれたのだと説く柴田敬というわけだよね。「過去20年近くの日本で総需要が不足しているのは買いたいものが無いからだ」とか「(過去20年近くの日本で総需要が不足しているのは)人口減少の結果だ」という声を聞くことがあるけれど、これは(柴田氏が解釈する)ケインズの立場に近いように感じるよね。「構造的な」総需要不足とでも形容できるもので、平成下の日本経済を苦しめている総需要不足は金融政策だとか財政政策といったマクロ経済政策では(あるいは金融政策のレジームを転換することによっては)解決できない問題といった意識が強く表れているよね(hicksianによる補足;「構造的な」総需要不足という表現は、田中秀臣著『経済政策を歴史に学ぶ』から借りてきたもののようだ。単に表現だけではなく、内容の面でも多くを負っているようだ)。一方で、故岡田氏のあの論文(hicksianによる補足;岡田靖「小幅で頑固な日本のデフレーションは問題か?」)などは柴田敬の流れを汲むものとして解釈できるよね。「金融政策のレジーム」に総需要不足(殊にデフレ)の原因を求めるという意味でね。

時間が無いので強引にまとめておくとこういうことだよね。デフレが生じるのはいかなる「金融政策のレジーム」を選ぶかという「人為的な」要因に拠っている面が大きいということだよね。「構造的な」総需要不足は例外だけれど、生産性の上昇がデフレにつながるかどうかはいかなる「金融政策のレジーム」を採用しているかに拠っており、また「金融政策のレジーム」は総需要の不足をもたらすことでデフレを生む可能性があるわけだからね。「デフレは(ほぼ)人為的な現象である」と格言っぽくまとめておくよね。