なぜ江戸幕府はオランダの高性能な消火ポンプを導入しなかったのか?
オランダ商館長日記と日本らしさ2019年最後の記事は『江戸の災害』を上梓されたフレデリック・クレインス氏による「江戸と消火ポンプ」についての解説です。消火ポンプは17世紀にオランダで開発され、江戸幕府に持ち込まれました。しかし、幕府はこれを拒みます。その理由とは? さあ、年末年始は火の用心!
私が日本で経験した火事
2017年冬のある日曜日の早朝、私は自転車で出かけた。自宅は京都の路地街にある。大きな通りに出るまではいくつかの狭い小道を通り抜けなければならない。進むにつれて、次第に濃い煙りに囲まれるようになり、目の前がまったく見えなくなった。
「これは霧ではない。火事かもしれない」。そう考えて、来た道を折り返した。しばらくして煙から抜け出した。振り返って様子を見てみると、全体像が掴めた。30メートル先に一軒家が丸ごと燃えている。
その家からは激しい炎が高く聳え上がっている。その時、悲鳴を上げる女性の声が聞こえた。家から脱出したその女性は家財の焼失を嘆いていた。男性も一緒にいた。どうやら、家の人々は無事だったようである。
向かってくる消防車のサイレンが遠くに聞こえた。「もう大丈夫だ」と思った。私は迂回して、再び目的地に向かった。その後、消防士たちが一生懸命に消火活動を行った。
目的地での用事を済ませて、3時間後にもう一度その場所を通った時には、火がほぼ消し止められていた。路地が狭いため、数台の消防が大きな通りに止まって、そこから複数の消火ホースが何本も火災現場に向けて延びているのが見えた。消防車は路地に入れなかったが、消火ホースのおかげで火は効果的に消し止められた。
いうまでもなく、消火活動において消火ホースは極めて重要な道具である。消火ホースがなければ、消防車の入れない狭い路地では、バケツでも使わない限り、鎮火に使う水は火事現場に届かない。大きな火事なら、バケツでは炎は止められない。
私が見た火事の場合、炎はすでに両隣の家に延焼しはじめていた。消火ホースがなければ、火事の範囲がどんどん拡大し、被害はもっと甚大になっていたはずだ。
消火ホースはいつ、どこで発明されたか
ところで、消防において効力を発揮する消火ホースはいつから使われているのだろうか。今から約350年前の1671年7月29日にヤン・ファン・デル・ヘイデンというオランダ人がアムステルダムで革製の消火ホースの特許を取得した。それ以前にもヨーロッパで消火ポンプは消防活動で使われていた。
しかし、旧型消火ポンプにはホースが付いていなかったので、消火ポンプに付属する水槽に水をバケツで補充する必要があった。これには多くの人手と労力がかかった。また、放水は水槽に繋がっている金属製の管から行われたので、消火ポンプを火事現場の近くに置かないと、放水した水が炎まで届かないという欠点があった。
その後、取水用消火ホースの開発により、水源が消火ポンプから遠く離れていても、運河や川からポンプで吸い上げた水をホースで直接消火ポンプに送ることが可能となった。
また、1673年1月12日にさらに改良が加えられた。この時はじめて、放水用消火ホースが使用された。革製のホースには金属製のノズルが付いていた。この放水用消火ホースは消火ポンプの水槽に繋がっていた。
消火ポンプに取り付けられた左右の腕木を数名がかりで交互に上げ下げすることにより、水がホースのノズルに送られ、そこから遠くまで噴水された。そのノズルを手にもって、消防士は狭い路地を通り、燃えている家屋の中に入ったり、屋根に登ったりして、火の元の消火活動に当たることができるようになった。
江戸時代に消火ポンプがやってきた
画期的な発明だったことから、新型消火ポンプの利用は瞬く間にヨーロッパ全土に普及した。当時の日本にも、早い段階でこの新型消火ポンプを導入する機会はあった。1690年8月に来航したオランダ船は二基の新型消火ポンプを舶載していた。
当時の日本はヨーロッパ諸国との交易をオランダだけに限定していた。オランダ東インド会社は長崎の出島に商館を設置していた。毎年の夏に、東インド会社のバタフィア本部(インドネシア)からオランダ船が日本に来航した。