昨日は病院の帰り、下北沢に立ち寄った。
4月22日放送のブラタモリ「下北沢」を見て、森巌寺というお寺を見てみたくなったから。
こちらが森巌寺
門の前に外人の男の子が座っていて、なかなか どいてくれないww くつろいでいるので
フレームインしたままでパチリ。
ブラタモリ「下北沢」は「なぜ若者は“シモキタ”で夢を見る?」がテーマだが、、、
森巌寺は《じじいが集まる場所》
何故 じじいが集まったのか
森巌寺では、寺で施術される「粟嶋の灸」が人気で、江戸中から中高年がお灸をしてもらうために集まったらしい。江戸時代中期に出版された本にも「粟嶋の灸」が紹介されいるとのこと。
して、その本とは、江戸買物独案内かしら。
試しに薬のページを探したが違うみたい、鍼治療は買い物ではないからね。
しからば「江戸名所図会」か。
あったあった!
⤴ は、こんなことが書いてあるみたいだ。( 読めないところもあり )
北澤淡島明神社
北澤村八幡山 森巌寺といへる浄土宗の寺院に勧請す。
当寺は此地 八幡宮の別当こと? 八幡山の号あり。又森巌寺 淨光院と称するは、越州黄門 秀康郷の法号をとり寺の号としたと伝。清誉上人 その師 萬世上人の遺命を奉し、慶長十二年 丁未四月 当寺を開創し、恵心僧都の作の座像一尺五寸の阿弥陀如来を、脇侍とし観音菩薩、勢至の両像は行基大士の作と伝ふ。
この辺 西瓜を産す。上品とす。世田ヶ谷 大丸の辺 同じ西と称せり。
祭神は紀州名草郡加太の淡島明神に同じ相伝ふ。当寺開山清誉上人 ( 紀州名草郡の産なり 故に?産土紙とす ) 修行成就の後、当山を開創せらりといへとも、常に腰痛の患あり、依年月 淡島明神に祈願を篭奉り、夢中 霊尓あるを以て灸治し、終に 積年の病屙を遁れたりしかば、其報賽として紀州加田淡島明神の神主に告げて、此の御神を 此地に勧請なし奉り、法楽あわしと云ふ。
此故に累世の住僧連綿として 此灸治の法を口授相伝し衆病悉除の為、毎月三八の日 是を施せり。依って灸治を求むと来る輩 遠きを厭わずして 此地に至る者 少からず。
祭礼は三月十九日と云ふ。
寺前の石柱には、
東 青山、南 よつや 北 ほりのうち などと刻まれている。
《あわしま》の漢字について
江戸名所図会も、現在の地名 ( 淡島通り) も《淡》の字があてられているが、
門前の看板は《粟》の字になっていた。
ちょっと気になるところ
森巌寺の前の蕎麦屋さん
森巌寺の裏手の遊歩道
クネクネと曲がっているところが暗渠くさい。
帰宅して調べたところ、やはり「森巌寺川」という暗渠になっている川だった。
※ 森巌寺川は、だいだらぼっち川と合流した後、北沢川に合流。
本日の夜ごはん
トマトの皮が気になるようになり、最近は湯向きをしている。
焼き鳥とハイボールは合うなぁ
幡ヶ谷のいちどりで買った「ちびまるぽてと」
ちびまるポテトというネーミング、参宮橋のからあげ日本一と同じ。
あれっと思って調べたところ、「いちどり」と「からあげ日本一」はチェーン店だった。