最近、自転車の話題ばっかりでnoteしか更新してなかったのでひさしぶりに、こっちのブログも更新してみる。
一部の人には個別に共有していましたが、2024/10月で10年働いたVideoTouch(旧Viibar)を離れて、いちソフトウェアエンジニアとしてキャリアを再スタートしました。
ここに辿り着くまでにいろいろ考えました。キャリアの道は一本道ではないし、同様の悩みを抱えるエンジニアも多いと思うので何かの参考になればと思います。
入社時はあくまでソフトウェアエンジニアとしてスタート
紆余曲折あってCTOにはなりましたが、元々Viibarに入社する際は面接の際に「開発はなんでもやりますが、マネジメントだけはやりたくないです」といっていたぐらいなので、そっち方面に興味は一切なかったです。
入社当時は目の前の技術的課題がたくさんあったので、それを片付けるだけで精一杯だったので、それをひたすら片付けていた印象もあります。ただ会社がピボットをしたり、組織が大きくなったり、小さくなったりと紆余曲折する中で、サービスや事業を大きくするためには技術的課題以上に組織的な課題が徐々にあらわになってきました。自分自身もプロダクトを理解する中で視座があがり、技術的課題以上に優先すべき事業課題がみえてきたということもあります。
正直、順調満帆ということはなく、つねに問題は山積みでした。また事業特性上、技術で殴って解決できるところは逆に限られており、それよりも事業側との連携やそれを踏まえての機能改善が必要でもありました。
ただ自分は今まで仕事をしてこなかった分野の動画ディレクターや広告プランナーな人たちと仕事をするのは正直楽しくて、「ああそういう視点があるんだ」とかも学びながら単なるサービスを作って終わりというより、業界自体を改善していくところにやりがいも感じていました。
マネジメントへのチャレンジ
そんな状況で、よいサービス、よい事業をつくるには、「いけてる最新の言語でいけてるアーキテクチャをつかってスケール!」みたいなことより、堅実で事業で何を解決すべきか?をチーム全体で考えられる開発組織をつくるほうが近道なのではないか?と考えるようになりました。
何度か開発組織が空中分解しかけたこともあり組織としての選択肢としてはそれができる人を採用して構築してもらう、もしくは自分がそこへ私自身がチャレンジするの2つでした。
おそらく採用して構築してもらうという手段が確率的にはよかったとおもいますし、私がそれを選択する立場なら採用を選んだと思います。ただそこへ辿り着くために何度か紆余曲折があったこともあり、自分自身の気持ちとして、どうせ失敗するなら自分でチャレンジして失敗したいということもあったので、やらせて欲しいと願い出ました。
ただ願い出たもののやらせてもらえるとは実は思ってなくて、気持ちいわないで後悔したくないぐらいでいたので実際にやらせてもらうと決まったときには、ちょっとビビったというのはあります。
とはいえ当時エンジニアは私を含めて2名しか正社員がいない状況だったのでもうこれ以上失敗しようがないという状況でもあったので臆せずチャレンジできたというのは環境に恵まれていたと思います。結果、開発以外も開発もひたすらやれることをやる、という日々でした。
おそらく足りないことはたくさんあったとおもいます。振り返るとダメダメなマネージメントをしたこともたくさんあるあったので、何も誇れることはなく、ただただそんな私と一緒に働いてくれた人たちに感謝しかないです。
コロナをへて事業のピボットとCTO
そんなななかコロナに突入。会社の事業状況も劇的にかわり、そのなかで投資事業としてちょっとずつ事業としての芽がではじめていたVideoTouchに注力して会社の社名もかえるというのが見え始めた頃でした。
私としてはかなり走りきった気持ちもあり、今までの戦友も会社を離れていく中、一度キャリアを考え直す時期でもあると考えていた時期でした。
コロナをきっかけに自分自身のライフスタイルも劇的に変わり、自転車沼にはまりはじめていたこともあり、ワークライフバランスも考えるようになっていたのも大きいかとおもいます。
なのでCTOの打診を受けたときは正直即答できず、悩みました。
悩んだ末にCTO経験豊富なとある知り合いに相談することになるのですが、コロナ禍でZoomで相談に対して相手はわりと適当な感じで「やりたければやればいいんじゃない」ぐらいでのらりくらりとかわされてしまします。
それが一つ自分の中で腹をくくるきっかけになりました。そういう重大な決断を人に相談して決める奴にCTOはできないと、そういわれている気がしたのです。
まぁ結果、CTOを退任しようと思うきっかけを作ったのもその人なんですが、それはまた別の話。
組織と向き合うこと
覚悟をきめてCTOとなり、いろいろ経験させてもらいました。うまくできたこともあればうまくできないこともたくさんあり、「これは自分じゃなかったらもっとうまくこなせるんじゃ」と凹んだこともあります。
なによりもどかしたかったのはCTOとして専念するのに開発から一定手をひかなければならなかったこと。当時の開発組織の大きさだけを考えれば手を引かず開発”も”がんがん手を出していく選択肢もあったとおもうのですが、組織成長を考えてはやめめに手を引いてしまったことで自分自身の強みをいかせず悶々としてしまうことに。
もちろんそれによりメンバーの成長にも繋がった面も当然ありますが、一方で自分自身が会社にだせているバリューに対して悩み始めることになりました。事業としての方向性的にも自分自身の強みを生かせる方向性ではなくなっていく中、このまま惰性で続けることがむしろ会社にとって悪影響になるのではないかとも考えるようになりました。
自分と向き合うこと
きっかけは「もう人生は折り返ししている、今まで不得意だったことが得意になることはない」というある人の言葉でした。もちろんやってなくて不得意だと思い込んでいることだったらチャレンジする価値はあるとおもいます。ただやってみて不得意だと思うことはななかな伸びません。趣味だったらいいんです、それを乗り越えるのが楽しいから。
得意なことということは、自分は頑張っているつもりはなくても自然にやっていることが周りから評価されたり、自分が熱中できることだと思います。自分にとってサービス開発で技術的課題に取り組むことや事業の課題解決のために試行錯誤すること自体は苦になることはありません。
これらに取り組んでいるときに「誰かの評価」というのはあまり気にせず、結果と自分が妥協していないかというところだけを考えていられました。ただCTOという立場だとそれだけに限らず、他の経営陣に対しての説明やリスク管理などふくめて不得意なことも含めて腹をくくってやっていく必要があります。
できないこと、苦手なことをやっていくなかで、他人からの評価などにとらわれ自分でハンドルを握れていないと感じてしまうことも増えてしまいました。これ自体はおそらく自分自身の弱さの問題でもあるとおもいます。
ソフトウェアエンジニアとしての再スタート
もちろん同じ会社に居続けて役職だけおりて、ソフトウェアエンジニアに戻るという選択肢もあったかとおもいますが、10年という年月は私にはやれることをやりきったと思える時間の長さでもありました。
正直あまりいいタイミングではない退任なので、一部の人には迷惑をかけてしまう部分もありました。そもそも貴重な経験をさせてもらっているのに道半ばで離れてしまうことへの後ろめたさもありました。ただ新しいチャレンジに対して前向きに送り出してもらったことに感謝しかありません。
そんなこんなで12月から新しい会社で働いています。
ソフトウェアエンジニアとしてもだいぶ新しい分野への転職でわからないことばっかりではありますが、それを含めて全力で楽しんでいこうとおもってます!
この結論に至るまでに感じた葛藤やSNSではかけないことはたくさんあるので飲みに誘ってくれたらいくらでも話ているのでお誘いお待ちしております。