"gender free"の用例をめぐって
「ジェンダー・フリー gender-free」という表現の出典を英語にもとめるにあたって、いろいろと疑義があるという話は以前にちらりとネットで見て知っていた。今度ふと興味を持って、あらためて日本のネットをいろいろ検索してみると、疑義どころか、日本で作られた造語、「和製英語」という説がデフォルトになっていると知る。女性学学者によるこの語の使用の批判的検討から、およそ事実などにはとんちゃくしない狂信的差別固定主義者−−ポリティカリ・コレクトにはバックラッシャーと呼ぶらしい−−によるラベリングまでの幅広いスペクトルの中で、「ジェンダー・フリー」という表現は「和製英語」という形容で肩身の狭さを増しているようだ。
もちろん、gender-free という形容詞が、いくつかの限定的な場面で、(日本での造語によるものでない)英語の表現として英語圏の書き手によって一定の頻度で用いられているのは確かであり*1、それは事実にとんちゃくしない人たち以外には共通の理解だろう。だから、今度はこの gender-free が、日本語の「ジェンダー・フリー」と比較してどうとかいう話になる。
アメリカのフェミニズム関係の文献では、gender-free というタームはほとんど問題にならないか、「ジェンダー・ブラインド」的な否定的なニュアンスで用いられるものらしいということをid:rna さんのまとめ経由で知る。
一方、男女の平等、両ジェンダーにとっての機会均等の促進に関わる欧州の政策の文脈の中で特定の概念との結びつきでgender-freeの語が出現する以下のような例については、検索してみた限り日本語のネットで触れたものをみないので、紹介してみる。ただし教育分野のものではない。日本語の「ジェンダー・フリー」とのかかわりの中で、以下の例がどの程度の意味を持つかどうか、もともとこの議論に当事者としてかかわりをもっていない私には、明確には判断がつかない。もしかして新味のないものかもしれないが、使用された場の影響力を考えればなんらかの意味があるかもしれないと思うので、ざっくりと出してる。
欧州議会決議の中の "gender free"
欧州議会は少なくとも2度の決議で "gender-free"の語を同一の文脈で用いている。1997年6月に採択された決議に以下のようなものがある(日本語は引用者の試訳)。
議会は、欧州委員会策定の行動規範が賃金差別の縮小に資し得るものであることを評価し、この規範がすべての被雇用者に、その雇用形態にかかわりなく、適用されるべきであることを強調する。議会はまた委員会に対し、「ジェンダー・フリー」職務評価スキームの調査研究に取り組み、労使双方が参照基準として使用できるような職務評価ガイドラインのひな型を作成するよう要請する。議会はまた労使双方に対し、団体交渉の過程で非差別の原則を遵守し、その過程に女性を含めるよう要請する。また議会は、委員会に対し、行動規範の各国の政策への取り込み状況を見守り、賃金格差の縮小が見られないばあいには、この規範を法的拘束力のある措置とすることを検討するように勧告する。
Taking the view that the code of practice drawn up by the Commission could help to reduce wage discrimination, Parliament stressed that it should apply to all employees irrespective of their employment contract. It also called on the Commission to undertake research on `gender-free' job evaluation schemes and to prepare model job evaluation guidelines for use as a benchmark by the social partners. Parliament also called on the latter to observe the principles of non-discrimination in their collective negotiations and to involve women in this process. In addition, it called on the Commission to monitor the implementation of the code of practice and, if no narrowing of the pay differential results, to consider making it into a legally binding instrument.
http://europa.eu.int/abc/doc/off/bull/en/9706/p103264.htm
gender-free についている引用符は原文のままである。
よりインパクトの強い決議として上の例をまず選んだが、この「ジェンダー・フリー職務評価」は、95年になされた「中期社会政策計画(1995-197年)についての決議 Resolution on the Medium-Term Social Action Programme 1995-1997」ですでに唱えられている。
[欧州議会は]賃金平等の問題が、特にジェンダー・フリー的職務評価・職務分類体系の発展に特に関心が置かれるとともに、常に検討され続けていくべきであると主張する。
[The European Parliament,] insists that the issue of equal pay be kept constantly under review, with particular attention being given to the development of gender-free job evaluation and classification systems,
ここでは「(職務)分類体系 classification 」も gender-free の形容する対象となっているほか、gender-freeに対する引用符はついていない。
この「job evaluation 職務評価」は、個人を対象とした勤務評定ではなく、同一労働同一賃金の原則を、職種や職務形態を横断してできるだけ適用するために行う、職務の性質そのもの評価のことである。「ジェンダー・フリー的職務評価」は、ある職務に対する賃金評価をジェンダー・バイアスなしに行う評価ということで、その必要性は、賃金の実質格差の是正の課題の中から認識された。職種・職務そのものについて、過去のいきさつその他からそこに付与されているジェンダー的観念・属性(「男/女の仕事」、「男/女向けの仕事」、現実に専らに男/女によって占められている仕事)によって賃金に不平等な構造があるならば、同一職種の中の男女の機会均等を実現するだけでは不十分で、こうした職務カテゴリーのジェンダーの区別に由来する不平等を是正しないかぎり、男女の賃金格差は埋まらないという反省にたっている。たとえば、看護士の賃金について、これが、「看護婦」という存在で担われてきたことで低賃金に条件づけられたものではないか、逆にいえばこれが果たして伝統的に男性の職業であったなら、あるいは男女が同数であるなら、この賃金になっていたろうか、同じくらいのスキルや肉体的努力を必要とする他の職業で主に男性に占められている種類のものと比べて果たして均衡のとれた賃金であろうかと問い直してみることである*2。
上のEU決議の英語版に出てくるこの「gender-free」は、他の言語ではどうなっているだろうか。フランス語版では2つの決議のうち後者つまり95年のものでは「性別(sexe)に関する考慮から解き放たれた affranchis de considérations de sexe」、前者、97年のものでは「性別をいっさい計算にいれない ne tenant aucun compte du sexe」と、形容詞では処理しきれずに、それぞれで別の意訳になっている。これから、この部分の表現は英語先行だということが分かる。ドイツ語版ではどうか。95年の決議でも、97年の決議でもあっさりと "性中立的 geschlechtsneutral" という語があてられている(ちなみに Geschlechtは生物学的性)*3。
英語でも gender-neutral という用語を使う選択肢もあるはずだが、gender-free という語をあえて用いていることの意図については探ってみる余地があるかもしれない。また二つの決議で " "がついていたりしなかったりすることも、この語の熟し度合い、ニュアンスへの評価について、微妙な判断があるのかもしれない。ヨーロッパ各国を束縛するこの手の決議に関しては、語の一つ一つが慎重に吟味され、決議にいたるまでにはいろいろなかけひきがある。95年の決議でまず登場するこの語の選択の背後にいかなる議論があったか興味深い。
男女平等についてのEUのまとめのページをみると、上の二つの決議は、1975年に出された男女の労働賃金平等に関する EU指令 の実効を上げるためのフォローアップの一環の中にあり、また、現在では、男女の平等全般一般に関しては、政策のあらゆる場面にジェンダーについての問題意識を取り入れるということが、ジェンダ・メインストリーミングという概念で導入され、主要なテーマとなっている。
イギリス軍の "gender-free" 政策をめぐる論議
上の、EUの政策とは直接に関連してはいないだろうが、イギリスで2000年代に、ある職種の男女の勤務条件同一化にともなう問題が持ち上がり、 それが、"gender-free" の語でクローズアップされている。データについての判断が安易にあれこれのイデオロギー的解釈に直結しやすく、取り扱いのやっかいな事例だが、一次資料に近いところのもので簡単に見てみる。新聞記事もいろいろ出ているが、そのトーンはやはり冷静なまとめには適さない。
2002年1月、Journal of the Royal Society of Medicine に、「女性隊員における負傷−−法制度の問題 Injuries among female army recruits: a conflict of legislation」と題する論文が発表された。著者のGemmellは軍の医療関係者であるようだ。 JRSMのサイトでその梗概が読める。梗概の全文は以下のとおりである。
1990年代、イギリス軍は、これまで男性のものであった職務についても女性に門戸を開くようにとの強い圧力にさらされた。当初女性には、訓練を受ける資格、修了認定ともに低めの水準が設定されていた。が、その結果、多くのものが職務遂行に適切な体力を有していないことが明らかとなった。そのため、この「ジェンダー・フェア」政策("gender-fair" policy) は「ジェンダー・フリー」政策("gender-free" policy) に変更され、男女の入隊試験に同一の体力適正試験が用いられ、訓練プログラムにジェンダー差を考慮しないものになった。この政策変更の結果を計るため、政策変更実施以前と以後の負傷除隊者のデータを、下肢部の筋骨傷害に着目して比較した。第1群の個体数は男5697、女791、第2群では男6228、女592である。
疲弊による負傷で除隊する率の性別比(女/男)は、ジェンダー・フェア・システム(gender-fair system) 時が4.0(98%信頼区間2.8-5.7)から、ジェンダー・フリー・システム (gender-free system) 時では7.5(5.8-9.7)に増加している(P=0.001)
本研究は、女性が男性の新兵と同じ厳格な訓練を受けるさいに生じる危険の増加を定量的に確認し、健康・安全にかかわる法制度と機会均等にかかわる法制度の間の矛盾のもたらす問題を明るみにしている。
JRSMのサイトにはまた、この論文が刊行されたときの同誌によるプレス・リリース(2002年1月3日づけ)も掲載されていて、上の梗概にはないもう少し詳しい情報もわかる。論文の内容に関する議論は脇に置き、時系列的なものについてだけ注記しておけば、軍の「ジェンダー・フリー」政策が導入されたのは1998年。この論文のJRSMでの掲載は2002年1月だが、論文の内容は1997年と1998年のデータを比較したもの。また、論文自体が1998年末に口頭発表されたものに基づいていることが、梗概に明記されている。
この論文は国防省の政策に転換をもたらしたようで、2004年に調査委員会に委嘱され2005年3月に提出された「より安全な訓練 Safer Training」と題する調査報告書は、このデータに基づき「女性の訓練における"ジェンダー・フリー"・アプローチの廃止と"ジェンダ・フェア"・制度の復活 abandonment of "gender-free" approach to training women and the restoration of "gendr-fair" regimes」を勧告している。データの解釈や政策の転換をめぐってはいろいろと議論があるようだが、ここで立ち入れる問題ではない。
またこの論文の発表や政策転換の動きはメディアでも反響を呼んだらしい。BBCのサイトは、JRSMのプレスリリースと同日の日付で、その内容を一般読者向けにした「軍の訓練は"女性には厳しすぎる" Army training "too tough for women" 」と題する記事を掲載している。そして政策レベルで新たな動きや議論があるたびに、くり返してとりあげられているようだ。たとえば 2005年3月22日づけ The Times「女性は平等な軍事訓練のため痛々しい代償を払う Women pay painful price for equal military training」。2005年11月6日づけ The Daily Mail「"男は訓練仲間としてはハードすぎる" と軍が女性に Men are too rough to train with, Army tells women」。これをめぐる医学的データや政策転換についての報道が、どういう新聞でどういう表現でとりあげられるかについては、これ自体が興味深い社会学的テーマになるが、ともかくも、兵士の採用、訓練をめぐって "gender-free" の語は "gender-fair" の語と対立させられた概念としてメディアに登場したことになる。
この "gender-free" の表現は、上のような訓練上の問題を指摘するために、「フェア」という正の価値に対比させて、負の価値判断を背負わされて使われているのだろうかという疑問が当然浮かぶ。問題があきらかになったあとの議論の中では、そう見えないこともない。が、この問題があきらかになる前に発表されている文書をみるとそうではない。"gender-free"の形容はレトロスペクティヴに出てきたものはなく、はすでにこの政策が推進されていたころから、時には正の価値観を込められて用いられているようだ。2001年2月づけで下院から発表されている国防委員会のレポートでは、The Equal Opportunities Commission (機会均等委員会)の報告にやはり "gender-fair"と"gender-free"の対概念が出てくるがそこでは「機会均等委員会が適切と見なすのは、"ジェンダー・フリー"・テスト、すなわち、職務の要求条件を評価しそれに基づいて候補者を選考する方法である。 What the EOC regard as appropriate are 'gender free' tests which assess the actual requirements of a job and test potential recruits on that basis.」と述べ、海軍がまだこの方法を採用していないことを指摘しながら、これが三軍すべてに拡大されることを勧告している。また、NATO軍の女性問題委員会「 Committee on Women in NATO Forces」のイギリスについてのページは2001年の文章がまだ載っているが、そこでは陸軍での採用手続きでの "gender-free physical testing"を、明らかに機会均等策の一環とという文脈で紹介している。
イギリス軍の機会均等拡大の中でこの "gender-free" の語がどういう背景から用いられることになったかを知るためには、先のEUの議決の場合と同様に、この政策が当該機関で採用されるときの議論について調べてみる必要がある。
おまけ1−−2002年のGemmell論文の解釈をめぐって
- イギリス軍における「ジェンダー・フリー」政策導入後の女性兵士負傷者増加を指摘する2002年のGemmellの論文が新聞にとりあげられた結果だけを見ると、「ほら見たことか、やはり男と女は体の強さが違う、ジェンダー・フリー的アプローチというのがそもそも間違いだ」という感想に至るのはてっとり早いが、ゆっくり考えてみると、このデータの解釈は以下のような問いを伴う。
- 2005年の訓練方法見直しの諮問委員会の調査では、Gemmellの論文から、すべての種類の負傷者の数を引用している。ジェンダー・フェア政策の最後の年、1997年に負傷者率が男性1.2%対女性4.7%*4であったのに対し、翌98年のジェンダー・フリー政策最初の年の値が、男性1.5%対女性11.1%。女性の負傷者が倍以上に増え、男性に比べて7.4倍負傷しているというのはこれはこれで問題だが、裏から見ると、男性と同じテストを通過した圧倒的多数の女性兵士、すなわち89%の者が、問題なく男性兵士と同じように任務を遂行できるということを示している。
- 論文の全文オリジナルを読んでいないので−−これを手に入れるのは有料で、さすがに道楽でそこまで付き合うわけにはいかない−−、また専門家でない人間が批判するのもどうかと思うが、次のような疑問は浮かぶ。政策転換前後の変化を見るために抽出した第1群および第2群の男女比は、母集団の男女比を反映したものになっていると思われる。そして採用時の肉体テスト成績の分布を考慮に入れているとは思えない。が、採用時テストの成績の分布において、女性の集団が、全体の集団の中で(つまり男性の集団に比して)下位の位置にあるとするなら、負傷率の差異は、採用時の成績が下位だったものは上位のものに比べて訓練で負傷する確率が高いということを示しているにすぎない可能性が大いにありうる。つまり男性の中で採用時の成績が女性のそれの分布と同じところにいる者から標本をとってきた集団を作り、女性の集団と比較しない限り、厳密にいえば、負傷の原因に性別が有意なファクターとしてあるかどうかは言えない。もしそうした有意差がなかったとしたら、少数の負傷者−−それが無視できないものであるとしても−−のデータで女性の集団全体を不適格とすることは、テスト成績下位の男性よりも上位にいて負傷する確率の低い女性にとって扱いが公正でないだけでなく、プラグマティックにいえば、高い要求水準で使える兵士を、下位の水準にとどめておく損失となる。
- 2005年答申の報告書が、政策転換の前後1年の97年と98年を比べたのみの1998/2002の一編の論文だけで結論を下しているのは、かなり大胆だと思った。これだけの問題が1年めから分かっているのなら、フォロー・アップの調査研究がなかったのだろうか。この女性負傷者増加の傾向が制度転換時に起る過渡的なものなのか、それともその後拡大した増加傾向への予兆だったのか、そのあたりがわからない。2005年に掲載される新聞記事でもデータはすべて1998年に口頭発表されたのが2002年になって採用されたこの論文だけである。
- 論文の結論にまとわるジェンダーとセックスの区別の問題。論文では男女の骨格の差について触れており、上のような標本集団の意味づけについての疑問にもかかわらず、負傷の要因について男女の標準的な肉体差を無視するということはできないだろう。つまりこの部分で、正しくいうなら、社会的・文化的に構築された性の問題ではなく、生物学的な性の問題がかかわってくる。ある特定の職務は女性には向かないという先入観を排して、その職種が要求する能力−−このばあい特に肉体的能力−−を満たすものなならば、だれでも同一の条件下で選ばれ、同一の訓練を受けるということでは、98年に導入された政策を、積極的な意味での「ジェンダー・フリー」と呼ぶのは正しいだろう。一方、その結果、生物学的性の要因によって不均衡な結果(特定の集団における傷病者の増大)を生むとすれば、これはその部分において「ジェンダー・フリー」ではなく、生物的差も無視した、いわば「セックス・フリー」の基準を導入してしまったことになる。ここには二つの概念のせめぎあう部分が矛盾となってあらわれている。そもそも英語で genderの語を使ってるばあいで、文化解読における厳密な区別によるものではなく、単に sex の言い換えであることが多い。ドイツ語圏やフランス語圏の文献では、どうしても必要な場合にドイツ語やフランス語になじまない Gender, genre の語をしぶしぶ使いながら、その必然性がない、特に日常的な用法では、英語の gender を Geschlecht, sexe で置き換えている。英語の用法に内在する混乱が話をますますややこしくしている。
おまけ2−−軍隊の中の女性(フランス語文献2題)
- 軍隊の中でジェンダ・ーフリー・テストの概念が大きなイシューになっているというのに気がついたのは、実はフランス語で gender-free の語をどう訳しているかというのを検索しながら、「un système d'évaluation sans distinction de sexe ("Gender free" valuation system) 性別に関係ない評価システム("Gender free" valuation system)」という表現を用いている文書に行き当たったのがきっかけであが、この文書は、フランス「国防省社会科学研究所 Centre d'études en sciences sociales de la Défense」のサイトにあるもので、1999年にウィーンでオーストリア軍のアカデミーが催したセミナーに派遣された女性による「女性と軍隊」と題するレポートである。30ページほどのこのレポートはこの当時の、オーストリア軍の女性問題への取り組みやNATO軍全体での女性の位置について基本的なところを教えてくれる。たとえば、軍への女性の統合の仕方には3つのモデルがある−−1.スゥエーデンモデル(女性にすべてのポストが開かれている。女性入隊率は低い。同一の訓練、肉体テスト。女性が完全に統合されている)。2.合衆国モデル(女性にすべてのポストが開かれているわけではない。入隊率は高い。別々の訓練と肉体テスト。女性の統合は不完全)。3.オーストリアモデル(女性にすべてのポストが開かれている。入隊率は高い。同一の訓練、肉体テスト。女性が完全に統合されている)−−などということが図式的に分かる。
- フランス国防省社会科学研究所のサイトはまた、「欧米における女性軍人。フランスが学べること −− ドイツ、カナダ、スペイン、オランダ、イギリス Des femmes militaires en Occident, quels enseignements pour la France : Allemagne, Canada, Espagne, Pays-Bas, Royaume-Uni 」と題する2005年の論文が載っている。女性3人、男性3人の共著で230ページほどあり、上記の各国の状況を詳しくまとめている。軍と女性の問題を論じる前に、背景解説として各国における女性の社会的・経済的地位などについても要を得た分析があり、これだけでも非常に便利。女性を軍隊にうまく統合させるたにはどうすればいいかという問題意識から、現状をさまざまな角度から実証的に記述・分析し、現実にある問題点も明確に指摘している。いきなり文化的な「ジェンダー問題」に入るのとは違う、この手の実務的な文献のほうが、問題の把握に役に立つことのほうが多い。軍隊モードで動いている旧来の日本のカイシャにとっても教訓が得られるかもしれない。
おまけ3−−本文を書きおわって
- 日本語での「ジェンダーフリー」の語の使用をめぐる議論については、上の記事を書くために調べているうちに固まってきた私なりの平凡な見解があるが、これはまた別の記事でまとめたほうがよさそうだ。簡単に言っておくと、私は「ジェンダー・フリー gender-free」の表現に一定の有効性を認めていいと思うが、日本語で使われている「ジェンダーフリー」の用法にいちばん違和感を感じるのは、セマンティックな問題以前に、この語が、シンタックスの中で、形容詞的概念としてでなく名詞的概念として用いられていることである*5。形容語はそれが適用される範囲を名詞によって限定されるが、抽象名詞は幽霊のような観念となってひとり歩
ききする傾向がある。そこで大きな混乱を来しているように見える。
- が、そんな、たぶんもっとまじめにいっしょうけんめい考えたであろうだれかがすでに言っているような話を書く前に、時間があれば、フランスの教育現場での「ジェンダー・フリー的アプローチ」−−ただし「ジェンダー・フリー」の形容はフランスでは使われないし、現状のフランス語ではほとんど翻訳不可能−−の例についての記事を優先させて書こうかと思う。Googleでちょっと調べたが日本語で具体的な記事が出てこないので。
- スロー・ブログ宣言に敗北の予感でやぶれかぶれ。長すぎて書いた本人が読み返す気がしないが、あとで1回くらい校正するかも。→1回だけ済み。イギリス軍の項目でかなり年代の誤記が多くて話が無用にややこしくなっていた ^^;
*1:いちばん安定しているのが言語学の領域での使用で、これは、文法的カテゴリーとしての gender (典型的には品詞の性)を判定基準にしたレベルと、社会言語学のレベルの2つがある(後者はフェミニズムの観点とは無縁ではない)。
*2:たとえば実際、EUのこのジェンダー・フリー職務評価政策を実行したオランダでは、看護婦の賃金が差別的に低いという判断が評価委員会によって下され、労働問題となっている
*3:Googleで検索してみると、より直訳的な geschlechtsfrei という語の使用例もそこそこ見つかるが、出現頻度は圧倒的に geschlechtsneutral のほうが高い。また、1998年に出た英独哲学辞典 Routledge-K.G. Sauer, German Dictionary of Philosophical Terms (Routledge, 1998)には gender-free が立項されているが、訳を geschlechtsneutral としており、ドイツ語では分野にかかわらず英語のgender-free に geschlechtsneutral をほぼ直訳的にあてているようである。
*4:原文では1万人あたりの数字を出しているが小数点以下の下位の数字を約しながら100分率で引用する