フランスの高出生率を支えるもの−−移民の子だくさんという先入観。

1月14日に国立統計経済研究所(INSEE)から2005年度の国勢調査の結果が発表された。いろいろな着目点があるが、大きな話題の一つは、出生率が3年連続増加し、合計特殊出生率1.94に達したことだろう。これはEU諸国の中ではアイルランドの1.99に次ぐ第2位の水準である。これについてはINSEEも特に項目を作って解説している。

フランス国内でもたとえばリベラシオンは、 「Douce France, cher pay de la petite enfance 優しいフランス、子供たちの愛しい国」(1月18日づけ)と、シャルル・トレネナツメロ "Douce France, cher pay de mon enfance" のタイトルをもじった見出しで紹介する。ル・モンド「女性たちの出産年齢、結婚年齢はあがり、一方また寿命も延びる Les femmes font des enfants et se marient plus tard, mais elles vivent aussi plus longtemps」という少しひねった見出しで、女性の人生サイクルの変化に着目しながらとりあげている。

日本でも「フランスは出産ラッシュ、人口自然増27万人」(asachi.com, 1月18日)、「少子化対策が奏功?フランスで人口36万人増加」(Yomiuri Online, 1月24日)などの記事で紹介された。

出生率のこうした上昇の主な理由は、asahi.com の記事が「フランスは90年代から育児家庭への公的給付や育児休暇制度を拡充。近年は育児中の休業補償の充実にも力を入れ、こうした対策が少子化を食い止めているとみられる」と端的に指摘するようなところにある。

育児休暇制度の拡充についてもう少し付け加えれば、育児休暇を利用した女性が、そのことでキャリア上の不利益をこうむらずにもとの職務、職位に戻れることが制度的に保証されていることも大きい。

また、少子化対策というと国をはじめとする行政の問題、とくに経済上の問題と捉えられがちだが、これは、子供を産む女性や生まれた子供を育てる男女が働く組識、そこにいる皆が作る文化の問題でもある。実をいえばフランスでは日本よりもあんがい子育てに手間がかかると私は思う。中学くらいの子供でも、親かその代りになるだれかが登下校の送り迎えをするのが普通だし、多くの子供が昼食を家でとるので食事の支度をしたりやはりそのための送り迎えをしなければならない。そのために祖父母が動員されたり、アルバイトをやとったり、夫婦で勤務時間を調節したり、隣り組の友人に代わってもらったりなどいろいろなやりくりをすることになる。勤め人をしながら一人で小さな子を産み育ている女性や、夫婦じゅんぐりの子供の送り迎え当番のために会議の時間を調整してもらう、肩書きに「長」のつく男性を知っているが、たいへんだとこぼしながらそれでも何とかやっている。彼らと同じ環境の人たちが日本で同じようにしようとすればもっと精神的な苦労がいるのではないだろうかと思う。少子化対策は、出産を期待されている女性だけにかかわる問題ではなく、育児という行為を通して、女性、そして男性の生活・労働条件にもかかわるみんなの問題だという認識が、日本ではたぶんもっと必要だろう。結局、今のフランスはそうした面でも子供を作り育て安い環境になっているというのが、この高出生率の大きな要因だと私は思う。

ところで、こうしたフランスの社会状況をあまり認めたくない人々がいる。そうした人々が用いる道具がが少なくとも2つある。

一つは「婚外子」ということばに否定的な価値判断を込めて、フランスの「婚外子」の多さに高出生率の陰の部分があるようにみせかけようとする論。上記の asahi.com の記事が数字を客観的に伝えるように「2005年に生まれた赤ちゃんの48.3%が婚外子」である。が、これは現在のフランスのカップルや家族のありかたの多様性を伝えるものにすぎない。「婚外子」にさも問題があるかのように語る人は、単に自分の文化的偏見を示しているにすぎず、何が問題か客観的なデータで語ることができない。

もう一つは、フランスの出生率を押し上げているのは移民の高出生率であるという説である。「フランス 移民 高出生率」などのキーワードで検索すると、まともな解説にまじって、というかそれを圧倒して、その手の説が出てくる。最近では昨年11月のバンリウ騒動にひっかけて、上の論とあわせて宣伝されたようだ。特定団体ににらまれたり、データや論理に顧慮を払わない「アンチ・ジェンダーフリー」・クルセーダーみたいな人と内容のない議論につきあったあげくに、いくらネット名とはいえ呼び捨てにされるようなめにあうのは勘弁なので、このあたりの論者に近づくのはやめるが、ただほうっておくと、そうした言が拡大再生産される気配もあるようなので、データに即したことを以下に書きとめておく。

INED(Insititut national d'études démographiques フランス国立人口学研究所)の月報 Population & Sociétéの2004年4月号に、ロラン・トゥルモン Laurent Toulemon という出生率を専門とする研究所員による 「移民女性の出生率−−新しいデータ、新しいアプローチ La fécondité des immigrées : nouvelles données, nouvelle approche.」という論文が発表された(html版pdf 版。ただし html 版はグラフがひとつ少ない)。

これは、1999年の国勢調査の際にINSEEとINEDによって行われた大規模な家族履歴調査の結果を用いて、移民女性の出生率についての数字を示したものである。調査には帰化によってフランス国籍となったものや不法滞在者をも含まれている。このデータによって1990年代のフランスの移民の出生率について明かになるのは次のことである。

  • 1991年から1998年の出生率合計特殊出生率)の平均はフランス全体で1.72。
  • フランス生まれの女性の出生率は 1.65
  • 移民女性(誕生以降フランスに入ってきた女性)の出生率は 2.50
  • 移民女性の出産がフランス全体の出生率の上昇に寄与しているのは 0.07ポイント(=1.72-1.65)。
  • 移民女性の出生率が高いのにもかかわらず寄与率が低いのは、出産年齢女性全体に占める移民女性の割合が8.5%でしかないからである。

0.07ポイント分「押し上げている」には違いないが、たとえば上でみるように1991から1998年の出生率1.72に対し昨年の出生率が1.94であるという比較に比べれば、移民女性がフランスの高い出生率に重要なファクターとしてあるかのような表現は誇張されたものであることがわかるだろう。

実を言うと上で明かにされている事実は、元になったデータの古さをみてわかるように、以前から専門家には知られているものである。ただフランスでもこの出生率をめぐる先入観があり、極右勢力がこれをいまだに政治的に利用している*1ので、研究機関としてもこの点について正しいデータを世に知らしめるという意味で、上記論文が月報に掲載されたものと思われる。実際INEDIは、2004年1月に別の研究者による「移民についての5つの先入観 Cinq idées reçues sur l'immigration」という論文を月報に掲載し、世の中に移民脅威論とともに喧伝されている種々の誤ったイメージを、人口学研究の客観的データから訂正しようとしているが、出生率についての上記の論文も、この中で簡単に予告紹介されている。

フランス生まれの女性の出生率1.65に対し移民女性の出生率が2.50。しかし出生率上昇に対し0.07の違いしかもたらさない。これだけでもフランスの高出生率は移民による寄与が大きいという先入観を取り除くのに十分であろう。が、移民女性の出生率の算定に関しては、これで終りではない。実はトゥルモンの論文は、さらにこの2.50という数字が正しいかを検討する。論文タイトルの「新しいアプローチ」はこのことに関係している。

トゥルモンの論文は、合計特殊出生率の計算のしかたにさかのぼり、実はフランス生まれの女性の出生率と移民の出生率の計算が同じ条件で計算されていないことに注意を喚起したものである。

合計特殊出生率は、ある年における、出産可能な年齢の女性のうちの各年齢の女性の出生率積分して計算する。さてトゥルモンの論文では、このように出生率を計算するとき、移民女性のばあい、それらの女性がフランスに移住してくるまでに生んだ子供を計算に入れていないということに着目した。そこで、これらの女性が、フランスに移住してくるまでにもうけた子供の数を調査し、その子供の数を計算にいれた上で出生率の計算をやり直すと、

  • 移民女性の1991-98年の出生率の修正値は 2.16 で 2.50よりはるかに低い

という結果を得る。フランスに入る前にもうけた子の数を計算に入れると出生率が下がるというのはマジックのようだが、実は次のような事実による。

移民女性の 1/3 は18未満の時に、 1/3 は18歳から27歳までの間に、残り1/3 は27歳よりあとに移住してくる。一方、13歳以前に移住してきた移民女性の出生率はフランス生まれの女性の出生率とほとんど変わらないのに対し、25歳あるいは30歳でフランスに入ってきた女性の出生率は、出産件数から計算していくと、フランス生まれの女性の出生率にくらべて、はっきりと高い。が、これらの女性の出産履歴の調査をしてみると、フランスに移住してくる前の年齢で彼女たちが生んだ子供の平均数はフランス生まれの女性が同じ年で生んでいる子供の平均数より少ない。出生率がかなり高いと思われている北アフリカサハラ以南アフリカからの移民女性だけをとっても、移住以前の年齢での出生率はフランス人のそれとほとんど変わらない。出生率があがるのは、移住の後である。子だくさんの女性が移住してくるよりも、子供のいないあるいは子供の数の少ない女性が移住してきて、そのあとに子供を産むというパターンが多いというのは、移民女性から生まれる子供の半分はフランス人を父親とするものという事実と考え合わせて、素朴な経験的観察に合致する。ともかくも、機械的に、フランスで集計されたある年齢の女性の出産数による統計を移民女性のグループにも適用した合計特殊出生率の計算法では、これらの女性の出生率が入国以前にはフランス人の平均よりも低いという事実を計算に入れないので、その合計特殊出生率がみかけ上高く出るのである。

このようにして、合計特殊出生率が「一人の女性が一生の間に産む子供の平均数」のある時点における指標だとすれば、フランスの移民女性一人が一生の間に産む子供の数は2.5人ではなく、2.16人ということになる。

移民女性の出生率は出身国の移民率とかなり高い相関関係があるが、出生率が非常に高いと思われている開発途上国でも出生率は大きく低下した。トゥルモンの分析がカバーする1990年代で北アフリカ諸国が 3 前後である。そして移民女性の出生率は母国のそれとフランスのそれとの中間に位置する。俗に言われる「子供が5人も10人もいる移民の家族」というステレオタイプは一部の例をもとに流布されたイメージにすぎない。

トゥルモンの論文ではその調査期間(1991-1998)以降のことについては触れていないが、フランス全体の出生率のその後の大きな上昇(1991-98年の1.72に対し2005年が1.94)と、一方、移民の出身国の出生率の低下傾向*2を考えると、フランス生まれの女性の出生率と移民女性の出生率の差、後者の全体の出生率に対する寄与の割合は、さらに小さくなると考えて安全だと思われる。

人口学というのは、ある説の妥当性を議論するにあたって、社会科学の中ではかなり始末のいい学問だ。議論が最終的には、人間の頭数という具体的かつ極めて明確に数量化可能な対象に基礎おくからだ。官僚組識が機能している時代や国を扱う人口学の議論は、せいぜいが調査や標本化の手続き、統計処理をめぐるものになるくらいで、そこでは幻想に基づく仮説が幅をきかすことはない。逆に言うと、自分の幻想により大きな価値を置く者は、よほど統計学のアクロバットに長けているのでない限り、人口学上の問題では具体的な数字を示して語ることができない。「フランスの高出生率に貢献しているのは移民の高出生率」という説を語る人が統計上の数字をひとつとして引用しないのはその好例だ。とにかくとくにこの分野の話をあつかってなんらかの数字を示さない説には要注意である。

*1:日本のウェブサイトを見ていると、日本の元首相が2003年に訪仏した際、フランスの議員がフランスの高出生率は移民の寄与によるとの趣旨の発言したと報告されていたり、日仏の識者を集めた2000年の日仏フォーラムでこうした発言がされたという報告がなされている。今のフランスの言論界の状況を考えるとかなり理解に苦しむものがある。発言者が特定されていないが、外国人相手になると極右政治家でなくとも先入観に基づいた発言を軽やかにするのだろうか。ともかくもこうした発言は、ここで紹介しているような国立人口学研究所の分析が一般に流布している今、フランスの政治家や識者のものとしてはもはや許されない。

*2:マグレブ諸国の出生率の低下傾向については、たとえば、次の論文 : Youssef Courbage, "Sur les pas de l'europe du sud: la fécondité au maghreb", United Nations, 2002