2024年10月15日
長いリストレストを買いました。
うむ、快適
こたつ机で床で作業する環境も整ってきた。後は……腰だなあ
やっぱり筋肉不足なのかねえ
背筋を伸ばして作業するようにはしていきたい。
とりあえず平凡な毎日だ。こうやっているといつまでも何事もなく時が過ぎていくかのように感じる。ただ幾分違うことといえば、少しずつ、老いと行かぬまでも劣化を感じるようになったこと。もう十年前のようながむしゃら感も貪欲さも無い、ゆっくりと静かに地層が形成されていくがごとき感覚で自分がほんの少しづつ、「終わり」に向かっていっている感覚を感じ始めている。きっとそうなのだろう。経過を感じることはできない。結果だけ。種をまいて水をやって気が付くと発芽するのと同じこと。
しかし自分は「老」えるのだろうか
思うに自分がこの年まで生きていること自体が驚嘆である。私はとっくのとうにどこかで落伍者として惨めな人生を過ごすか、それを潔しとせず終止符を打ってやるものと思っていた。しかし実際には幸いなるかな。無事に生きている。幸いというほど喜びの感情はない。どちらかといえば不可思議。狐につままれたような心地だ
ただ偶然はいつまでも続かないだろう。そういう予感がする。自分が寿命を全うするビジョンが驚くほど浮かばないのである。健康云々とか、自殺願望とかではなく、本当に浮かばない。自分がしわくちゃの身体になって生きているイメージがびっくりするほど湧かない。どこかで多分、脱落するのではないかという思いだけがある。これは決して不快な感覚ではない。単純にそう思うというだけの話である。
結局自分のように愚鈍な人間は最後の最後まで何も分からず、結果を迎えるのであろう。
2024年10月14日
久々に記事書くなあ
パームレストを買ったけどちょっと良くねえ
・広さが足りない(ノートパソコンの幅*1.5ぐらいの幅が欲しい)
・ぶ厚すぎ
と完全に金の無駄になりましたとさ。
MacBookが欲しい
文字を書く環境を整えるにあたってスマホと連携できるっていうのが個人的に必要な条件だと思っている。
としたときにWindowsって微妙に俺のやりたいことができない、しづらいんだよね・・・
1、元から入っているアプリケーションである(互換性とかインストールの心配をしなくていい)
2、編集時にログイン不要
3、連携がスムース
4、Google Docにもアクセスできる
っていう4つの条件をWindowsだとクリアできない気がするんすよね・・・
iPhoneのメモ帳をWindowsで気軽に触れるんなら問題ないんだけど
とりあえず今狙っているのはこれ
後Macbook買うとSideCar使えるの便利だよね
iPhoneとのシナジーもあるだろうし。
わざわざ新品買わなくていい気もするけど個人的にはそんなに高いと思わないんだよねえ・・・
とりあえず給料入ったら考えるかあ・・・
2024年7月13日
いつぶりだろうか。
なんとなく文章を書くのもいいかなと思って書く
こんなしょうもない文章を書けるようになったのは最悪の精神状態から脱せたことが大きい。一緒にいてくれる友人たちに感謝を
この年になると成長……というよりも劣化しないように気を付けることしきり
成長したことなんて数少ない。
せいぜい数字もちょっとブラインドで打てるようになったくらい。後2択を迫られたときに友人の助言を素直に聞くようになったことか
本当に不思議でしょうがないのだが、私は自分だけで選ぶと2択を絶対に外す。信じられないくらいに外す。自分なりに考えて根拠づけたつもりなのにそれがてんで無意味
よく常に2択を外し続ける芸能人とかネットで笑われたりするが私からしたら全く笑えない。あれは未来の私なのかもしれないのだ
ちょっと前までは「いやいや一応年齢だけは大人なんだから」と自分だけで決めるようにしてきたが流石にあんまりなので友人の意見に委ねることにした
賢明で優しい、それでいてウィットに富んだ友人たちを持てたことは本当に数少ない私の人生の成功であると言えるだろう
とりあえず飽きるまでブログは更新していこうと思う。なんだかんだタイピングするのは嫌いじゃない。でも文章を生み出すのは苦手だ。
味噌汁との和解
味噌汁は好きだ。
一汁一菜、総菜を口に入れ、立て続けに米を、そして味噌汁を啜れば劇的な味覚のグラデーション。幼いころからこの調和はどこの誰が見つけたのかと不思議に思う。
今でも味噌汁は好きだ。
現代日本、生活は乱れ、ついでに食も乱れ一汁一菜など家庭科の教科書のイメージ写真。三食米ではない日もある。味噌汁など猶更。だが、たまに思い出したように味噌汁を口にするとどこかに置いてきた何かを懐かしく感じる。
大好物、というわけではないがそれでも味噌汁を喜ぶ遺伝子は確かに私の中にある。
しかし、だ。
丼についてくる味噌汁は許せない。まったく解せない。特に牛丼チェーン店の牛丼の脇についてくる奴。
考えてみてほしい。そも丼とは何か。普通であれば茶碗に白米がよそってあって、皿にはおかずが盛り付けられてそれをいただきますという形式に異を唱え、大きく、深いどんぶりに米とおかずがでんと乗せられた極限まで無駄をそぎ落とした効率飯じゃないか。
それをだ。なぜ汁がそこにいる。なんで米とおかずが手を取り合っているのにお前だけいっちょ前に椀で悠々自適にしているのか。お前がいなければこのトレーももっとコンパクトなんだ。
しかも丼ってのはかきこむものであって汁は本当に飲むタイミングが分かりかねる。だからといって丼を食べた後に汁を流し込むとせっかくの満足感が微妙な汁の味わいで上書きされてホントーに微妙な気持ちになる。
牛丼チェーン店の味噌汁となるともう極刑ものである。一口啜って暗雲が立ち込め、いやいや二口、それでも三口でもうダメ。顔をしかめずにいられない。
とかく味わいが痩せこけている。まるで生命力というのを感じない味。そのくせ味噌めいたものはあるのがうっとおしい。食後に飲むと牛丼のジャンクな満足感に水を差すのだ。できることなら味噌汁は抜いてほしい。そしてその浮いた原価を牛丼のボリュームアップかクオリティアップに繋げてほしい。
そんなわけで牛丼の味噌汁は何年もの間、知らんぷり、臭いものには蓋とずぅっと残してきた。だがだ、頼みもしないのに注文すると絶対についてくる執念深さにとうとう根負けした。まあタダなわけだし……毎度残して店員さんに捨てさせるのも……と思い、飲むことにしたのだが問題はタイミングだ。いつ飲むか。
ということで色々考え、牛丼――BEEF BOWL――のエクスペリエンスを損なわないよう食事中に取ってみることにした。せっかく豪快にかきこみたいのに……と忸怩たる思いだがものは試し。いざ、飲んでみると……おお!
意外と良いのだ。本当に良いのだ。まだ若いには若いがしかし油ものに微かな胸騒ぎを覚え始めた今日この頃。枯れた大地のような味噌汁が牛脂を出汁を中和し、緩やかに食道にいざなってくれるのだ。こんな味わい方があったとは……頭の下がる思いである。
むやみやたらに歳は取りたくないものだがしかし老成してこそ得るものがある。
あの時の嫌悪感は幼さの表れかもしれない。年月がそれを乗り越える懸け橋となるかもしれない。そんな気付きを得た……ような気がした。
2023年4月19日
相も変わらず凡ミスが多い。学歴無かったらマジでガチのカスである
久々に遅くまで残業した。マジで人がいることのありがたみよ
気質はクリエイターだが気質だけでその実なんの才能もやりたいこともないミスマッチ感が苦しい。
土曜日になったらなんかおいしいもの食べに行きたい
2023年1月23日
2023年かぁ……
色々考えますけど何もかもがぐるぐる回るだけなんですよ