読書記録

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30冊目 「学びの責任」は誰にあるのか 著者 ダグラス・フィッシャー 訳者 吉田新一郎 新評論 2017

題名から、「学びの責任は、子どもにあるのだ!」と言い切って思い切った実践が載っている本なのかな、と想像していたのですが、実はそんなことはなくて、最終的な学びの責任は子どもたちにあり、子どもが自立した学び手足り得るよう学習過程を進めていくのは重要なのだけれども、そこに至るまでの教師の指導・支援・学習環境づくりなどはとても重要なのですよ、その役割を忘れてはいけませんよ、と書いてある本だなぁ、と思い読みました。

 

本書で紹介されている「責任の移行モデル」は4つのステップで表すことができます。

 

訳者である吉田新一郎さんが明快にそのステップを紹介してくれていますので引用しながらまとめていきます。

 

「①教師が焦点を絞った講義をしたり、見本を示したりする。(焦点を絞った指導)」(訳者まえがきⅱ頁)。

 

①は基本的には「やってみて」です。

 

ただ、「させてみて」も入ってくるだろうと思っています。

 

「教師が教える」「教師が示す」「教師が解説する」というように、「教師主導」の指導が「焦点を絞った指導」です。

 

目的を示す、見本を見せる、教師が問題を解いた思考の過程を解説する(考え聞かせ)など、分かりやすく「やってみせる」ことが「焦点を絞った指導」の中でも大切にすべきことが本書では示されています。

 

これは、日本の教室でも多くの先生がやられているんじゃないかなぁ。

 

ただ、もう一つ大切にすべきことが書いてあって、これはすごい。

 

それは、「生徒をよく観察し理解状況を把握し、生徒の学習にとってどんな指導を取ることが最も大切か気づくこと」です。

 

そのためにはまず、生徒に「させてみて」がなければいけません。

 

つまり、演習が必要です。

 

演習させる・説明させる・問題に取り組ませるなど、生徒の理解状況をできるだけ細かく可視化する工夫が必要になるわけです。

 

それに加え、「生徒の考えていることを理解するために教師がよく観察すること」(第70頁)が大切だ、言っています。

 

この「させてみて」は、生徒一人ひとりの状況を把握するために行う。

 

そして、そこで把握できた子どもたち一人ひとりの状況を、次の「教師がガイドする指導」に繋げていきます。

 

これができてこそ、プロという感じがします。

 

講義など教師主導型の授業においては置いてきぼりになってしまいがちな子どもたち。

 

よくある光景だと思いますし、自分の授業でも正直よくあるなぁ…。

 

でも、それではダメで、教師は指導しながら生徒の理解状況、誤り、思考の過程などに気づき、できるかぎり記録をとって形成的評価をしていかなければならないということが、明確に示されているところは、自分はできていないところでこれからできるようにならなければと切に思っている部分ですし、大切なことだなぁ、と思います。

 

続いて「②教師がサポートしながら生徒たちは練習する。(教師がガイドする指導)」(訳者まえがきⅱ頁)。

 

これは、日本の教室では、ほとんど実践されてないんじゃないかなぁ。

 

「やってみて」「させてみて」は「教師主導」の「焦点を絞った指導」であると自分は解釈しています。

 

次の「教師がガイドする指導」とは、「させてみた結果、教師のガイドが必要な生徒に必要に応じて支援すること」が求められます。

 

本書を読んで、思ったこと。

 

それは、「教師がガイドする指導は重要だけれど、これが一番難しい」。

 

というのも、まず「教師がガイドする指導」を行える状況を作らなければなりません。

 

協働学習や個別学習に当たり前のように取り組んでいる状況がなければ、十分な「教師がガイドする指導」の機能を果たすのは難しいのかなぁ、社会科で言えば、プロジェクト型探究学習や仮説検証型探究学習、長期的な探究学習など、ようは探究学習の場合はそんな場面がたくさん作れるかなぁ。

 

それに加え、生徒一人ひとりを観察し、一人ひとりに合った指導を行う必要がある。

 

まさに教師の力量・専門性がいかんなく発揮される部分ですが、これは力がなければできないなぁ、と強く思います。

 

「この段階で教師に要求されることは高度なものとなります。なぜなら、この段階の指導が生徒のニーズに左右される部分が大きいため、それに応じて指導の内容や方法を変換する必要があるからです」(第116頁)。

 

まさにその通りで、教師の力量が最大限発揮される指導であるな、と思います。

 

続いて、「③生徒たちが協力しながら問題解決や話し合いをする。(協働学習)」(訳者まえがきⅲ頁)。

 

ここから、「生徒主体」に入っていきます。

 

ただ、ここで面白いのは、「協同学習」と「協働学習」の違い。

 

「協同学習」とは、「協同に取り組むことが大切にされる学習」。

 

すなわち、「協同」が目的化されている学習であると自分は捉えています。

 

逆に、「協働学習」とは、「協同に取り組み、問題を解決されることが大切にされる学習」。

 

すなわち、「問題解決」が目的です。

 

ですので、教師の介入も時には必要になります。

 

本書では「協同学習」による学びを「基本的なグループワーク」と示し、「協働学習」による学びを「建設的なグループワーク」と示していると理解したのですが、この理解であっているかなぁ。

 

どちらもあって良いと思います。

 

多様な意見を知ることや議論することが目的であれば、「協同学習」で良い。

 

社会科でも重要なプロセスだなぁ、と思います。

 

ただ、より深い学びに至るプロセスとしては、「協働学習」が大切。 

 

「建設的なグループワークでは、常に成果物があり、責任はグループと個人の両方にあり、自分たちの結論を支持し、そして証拠を提供するために生徒たちは討議することになります。問題を解決して、解決策を明らかにすることが、建設的なグループワークの中心的な目標です」(第140頁)。

 

つまり、「PBL」などに代表される協同的な探究学習を示しているのでしょう。

 

生徒主体の学習として、特に「建設的なグループワーク」は大切だなぁ、と思います。

 

最後に、「④生徒は個別に自分が分かっていることやできることを示す。(個別学習)」(訳者まえがきⅲ頁)。

 

生徒が個々に自分の学ぶべきことに向き合う学習段階です。

 

最後は「個」だよ、とよく言われる部分かなぁと思います。

 

できる限り、この「個別学習」を充実させたいなぁ。

 

さて、ここまで4つの学びの段階について書いてきました。

 

本書で重要なのは、この4つの段階を、①→②→③→④の順番で進めていく必要は全くないということです。

 

その時その時に応じてデザインしていけばいい。

 

ただし、この4つの段階のどれかのイメージが欠けてもダメだということも大切。

 

よく「焦点を絞った指導」のあと「協働学習」で終わってしまいがちだけど、理解度が低い生徒もいるわけだから、支援が必要な生徒たちには「教師がガイドする指導」をする必要があり、最後に個の学びを充実させるために「個別学習」をしっかりデザインしようとか。

 

全てが重要であるということです。

 

特に、本書の指摘で重要なのは、「教師がガイドする指導」ですね。

 

ここが難しい。

 

でも、子どもに任せっきりにせず、確実に力をつけるためにはとっても大切。

 

この「教師がガイドする指導」を機能させるためにも、生徒をしっかりと観察する力、それを指導に活かせる力、力をつけていかなければいけないなぁと思います。

 

さて、この理論をどう明日からの授業に生かしていくか。

 

また考えていかないとなぁ、とても考えさせられた読書でした。