「どうすればよかったか」感想

これは姉の統合失調症の発症の原因を追究する目的ではない、統合失調症がこのような病気であると説明するためのものではない、この2つのテロップが流れた後、映画は始まる

 

そんならこの映画は何についての映画かっつーと、やっぱり家族の在り方、分かり合えなさについての話なんだろーと思った

 

統合失調症の姉だけでなく、一緒に暮らす父親、母親をカメラは映す

そんでもって、この映画の家族の在り方、親子の関わり方の問題点はフィクションのように単純じゃない。

家父長制的な意識を持つ父親がいて、そいつを改心させれば万事解決みたいなわかりやすい解決策はないし、そういう物語にもならない

 

娘を家に南京錠で監禁するなんて、どんなネグレクト野郎だと、字面だけ読むと思うが、父親の行動は通院歴があると研究者としてのキャリアが閉ざされると危惧してのことかもしれないし、自娘が精神疾患で、意思疎通もままならないという、自分の家がアブノーマルな家庭だということを認めたくないのかもしれないし、金あって学歴もあって、エリート意識やプライドが高すぎて、メンツを保つために外に出したくなかったのかもしれないし、とにかく一言じゃ説明できないような複雑な理由があったんだろう

 

母へのインタビュー、というか口論の最中、監督は姉を病院に行かせて医者に見てもらうことを進めるのだが、母は監督に「姉のことを思ってそう言ってるとは思えない」と反論する

もしかしたら母親は本当に自宅に監禁することが姉の治療に適してると考えてるのかもしれない 80年代は今ほど精神病理についての知識は広く知られていないし、医者である父親の言うことを聞くことが最適な治療法だと思い込んでいるのかもしれない

両親のエリート家庭ゆえのプライド、精神医学の知識のなさなどなどが複雑に絡み合って起こってしまった事例だと思う

姉は癌で亡くなってしまうが、そこで映画は終わらずに残された監督と父親の様子が映される

 

監督の「どうすればよかったか」とう問いに、父親は「悪いことをしたとは思っていない」と答える

20年間姉に対してしてきたことを否定するわけにもいかず、結局父親とは分かり合えない

 

統合失調症の姉と、閉じ込める両親という特殊な家庭を題材にしてはいるものの、家族の分かり合えなさという、誰にでも共通する普遍的なテーマを扱っているl

 

監督は元々映画にするつもりはなく、医者に見せるための記録として撮影していたらしいし、映画にするって決める前には、アイヌ民族についてのドキュメンタリーを制作していたらしいが、どうすればよかったかの制作には自信がなく踏み切れていなかったらしい

 

マイケルムーアのように編集や音楽で観客に感じて欲しいことを誘導するような作品も面白いが、企画書みたいなものをドカンと作って、映画を制作する意図を明確に決めなくても、撮影しているうちにテーマや物語が浮かび上がってくるのもドキュメンタリーの魅力だろう

 

ちなみにこの映画は前のブログの、神奈川観光をした日に池袋に寄ってみてきたのだが、楽しー気持ちで一日を終えようと思ってたらこの映画だよ

お通夜みたいな気持ちになっちゃった

どうすんのこれ?

どうすればよかったの?