「いしどりや歴史と民俗第5号」によれば、権現堂山は旧八重畑村で一番高い山であるそうだが、標高476.3メートルでどちらかといえば低山に属するのかもしれない。この権現堂山は昔、早池峯権現が鎮座した場所と伝えられる。そして奥州市の正法寺にも関係する伝承がある。
江刺郡黒石村正法寺の開山は無底良韶禅師といい、能州酒井保の人であり、曹洞宗大本山能登総持寺の二世峨山禅師の高弟二十五哲の一人。康永三年(1344年)陸奥国布教の為に江刺郡に来て、黒石の地を気に入り庵を建てて住んでいた。庵の近くには沼があり鎮守の神霊が住んでいたが、突然沼の堤が切れて水が北上川へと流れ落ちた。その為に沼の主は住むところが無くなったので、権現堂山に来て一晩に千の沢を作って住もうと思ったが千に足らないのに夜明けが訪れ、神霊は驚いて早池峯へと移動したという事である。つまり早池峯の神霊は初め黒石の地に住んでいたが、権現堂山経由で早池峯へと移動したという話となるか。
正法寺の裏山を早池峯といい、その頂には早池峯権現を祀る社がある。つまり早池峯の遥拝所であると。
そして、この流れを受けた権現堂山も同じく早池峯の遥拝所の役割としてあるようだ。岩手県の神社庁HPには
「往古は、堂宇が小柴森(権現堂山)にあって早池峯大権現と称し、早池峯の霊山遥拝所だった。」と記している。山頂には、熊野の石碑などがある。
ただし山頂のからの展望は花巻温泉方面だけであり、早池峯方面を見る事が出来ない。