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「東北の人たちから馬を取り上げると、生活が淋しく、貧しくなったことであろう。一日が、馬とともに始まり、馬とともに終わった。といっても過言ではない。生活の糧となった駄賃づけの馬、オシラサマの話にでてくる娘と馬の恋物語など、遠野では、馬は家族の一員として生活していた。だから馬の病気は、一家の生命にも影響を及ぼしたといわれる。駒形神社には、数多くの絵馬が奉納されているが、その中で珍しいのが、社務殿に掲げてある千匹馬の扁額である。大正十年旧四月八日、上閉伊郡附馬牛村佐々木万吉、阿部忠太両人願の奉納額であり、馬形が色分けに千匹美しくおさまっている。このように千匹の馬が描かれているということは、どんなに大きい願いごとが託されていたのだろう…。」
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上に紹介した菊池幹「遠野路」での千匹馬の奉納額に対し「
どんなに大きい願いごとが託されていたのだろう…。」と書かれていた為に、大正10年、もしくはその前の年にでも何か災害などの厄災があったのでは?と調べたが、気になる事件や災害などは無かった。ただ見つけたのは、大正5年に仲町の馬検場(馬糶場)を東舘に移してからの、せり売頭数が、大正8年に1085頭、大正10年に1204頭と、千頭を超えるせり売頭数で賑わったようである。それが昭和4年になると1431頭にも増えている事から、大正8年から続いて千頭もの馬が売買され、それを感謝しての千頭扁額ではなかっただろうか。それはつまり、馬によって生きている人達の、馬に対しての感謝の気持ちが、荒川駒形神社に奉納された千頭扁額に表れたのだと思う。