白山様と呼ばれる、小高い岩山に登り立って祈願すると長者に成れると云う。昔は、白山様の頂に沢水を渡し、上から水を落として人工的な滝を造ったという事だ。人工的な滝を作ったのは恐らく、景観が素晴らしくなるから、というものあったのだろう。しかし長者祈願の岩山に敢えて人口の滝を加えたのは何故かと考えた場合、祈願する方向が北に向いている事に関係するのかとも思えた。北に聳えるのは、早池峯山と遠野の民は認識していた筈。ここから少し離れた琴畑の地にも、早池峯山の遥拝所がある事からも、同じ土渕の違う場所に早池峯遥拝所があっても、不思議では無い。ただ、何故に"長者祈願"であったのかという事だろう。
白山様の頂に登り立つと、船型の岩があるのに気付く。
その船型の岩に登り立つと、船の舳に立った感覚になる。もしかして宝船を意識したものか?とも思える。宝船には七福神、もしくは八福神。その一人増えるか減る曖昧な神は、弁財天、もしくは吉祥天となっている。ただ、吉祥天も弁財天も同一の神であるとされる。
宝船と白山と弁財天&吉祥天を結び付けるものは何かというと、まずは間に入るのが平泉寺白山神社であると思う。開祖は、白山を開山した泰澄である。平泉寺(へいせんじ)は、奥州藤原氏が白山信仰に影響を受けた事からの平泉(ひらいずみ)となった元の名であるようだ。その平泉寺では、養老年間に泰澄が開基した天台宗平泉寺の隆盛期に、伽藍の一部として弁財天が祀られたそうだが、それが
"弁財天白龍王大権現"であったようだ。白蛇は財を成すとされる俗信は、これに関連している。
また俗に
「宮本文書」と云われる
「早池峯妙泉寺文書」によれば
「早池峯の開山説話は、白山の草創説話と非常によく似ていて、霊泉、七不思議など全く同一の着想である。これは延暦寺に対する白山の関係を、中尊寺と早池峯山に想定し、天台の僧によって早池峯山妙泉寺が草創されたものであろう。」としている。これに付け加えれば、早池峯山中の「お金蔵」と「早池峯剣ヶ峰」も白山に同じとなる。また違う話だが、竜神を表記する場合に
「妙泉太神龍」もしくは
「妙泉大龍神」と記す場合がある。早池峯神社の前身が早池峯妙泉寺である事を考えみれば、この影響を受けて命名されたのが早池峯妙泉寺なのだと思える。つまり早池峯妙泉寺とは
"早池峯の龍神を祀る寺"という事であろう。
恐らく白山と早池峯との繋がりが深いというよりも、神を通じて同一だと思って良い。同じく白山を祀る曹洞宗の永平寺でも、熊野神と白山神と早池峯神は同一神として考えられている。
また同じ遠野の白山比咩を祀る上郷町のトンノミに掛けられている額絵には、龍に乗った女神の絵があるが。恐らく上郷町の日出神社とトンノミ、そして中居神社も同じく、白山信仰を再現しているものであろう。また同じ上郷町平清水の白山神社には、龍に乗った女神像が御神体になる。その上郷町の日出神社に並ぶ天香山は早池峯山の遥拝所となっている事から、遠野の白山信仰は、そのまま早池峯信仰に向けられていると言っても過言では無いだろう。
もう一度最初に立ち返るが、何故に白山様と呼ばれる小高い岩山に滝が必要であったのか。確かに景観を考えれば、水を落としてみたくなる岩山である。しかし、長者祈願となる信仰の岩山である事を考えれば、単に景観だけを思って沢水を引いて水を落としたわけでは無いだろう。恐らく、白山であり早池峯の神が穢祓の神である滝神に由来してのものを意識したのだろう。その為に人口滝を作り、白山であり早池峯に近付けようとしたのだと考える。
そして長者になりたいという俗なる欲望は、早池峯の神の伝説の中に泥棒を擁護した話があり、それから
「一生に一度だけ無理な願いを叶えてくれる神」と信じられた事に起因しているのだろう。恐らくこの白山様は当初、早池峯山の遥拝所としてあったのではなかろうか。それが後から弁財天と財を成す白蛇も重り、
無理な願い(長者祈願)の場所として広まったのだろうと思う。