白滝の傍らに、澄んだ水の溜まった場所があり、そこが何やら祭壇風になっている。昔、熊野の歩き巫女などは河原に簡単な祭壇を築いたり、自然な形状を利用して、水の祭祀を行ったという。「遠野物語拾遺」にも、水の力による占いが紹介されているように、水の力は占いなどにより重要視されていた。
ハツクニシラスと呼ばれた崇神天皇の頃は、水の祭祀場は
「斎庭」と呼ばれ、その祭祀場の名称が、それ以降固定されている。古代の遺跡からは、石を集めて整備し、湧き出た水を一つにまとめ井泉を造り、そこに祭祀用の小型土器や高杯を置いて、儀礼を行ったと云う。これらは全て「聖水」という観念からきているようだ。
陰陽師などは、画像の様な簡単な祭壇を河原に設けて、占いなどをやっていた。水神を祀る神社と言っても、上津瀬、中津瀬、下津瀬では、水神に対する願いも違うようだ。下津瀬などでの水神を祀る神社では洪水などを避ける願いが組み込まれ、中津瀬あたりの神社では水神に対し、豊穣を願う祭祀が行われていた。そして上津瀬では綺麗な水を願うと共に、不動明王が祀られるなどした。
傍らの石には、風化しているが何やら文字が刻まれているのがわかる。
この水溜りは、チロチロと水が流れ込んできて、この澄んだ水を常に保っているようである。恐らく、白滝神社が出来る以前の、簡素な自然祭壇であり、斎庭であったと思われる。