乳糖を分解してもカルシウムはできないよ

こんなどうしようもないような、いい加減な情報を見かけた。

牛乳は体に悪い? 知られざる秘密
http://news.livedoor.com/article/detail/8323070/

よくある牛乳有害論なのだけど、説明がちょっとぶっ飛んでいたので興味をひいてしまった。

記事より引用

人間、特にアジア人(成年)は牛に含まれる乳糖をカルシウムに分解する分解酵素が体内で分泌されないために、うまく吸収できないケースが多いのだ。

乳糖はガラクトースとグルコースという単糖類が2つ結合した糖であり、カルシウム元素を含んでおりません。う〜ん、頭痛いです。
でも、牛乳有害論はしぶといので何がおかしいのかをちゃんと説明しておこうかなと思い、ツイッターで連続ツイート解説してみました。どらねこのツイッターを追っかけていない人も多いと思いますので、ブログにも転載して紹介しておきます。



■ツイッターで少し説明してみた

件の内海さんの乳糖を分解してカルシウムにする酵素の件は、色々な意味で間違いすぎているよね。

まず、乳糖は糖質であり、無機質のカルシウムを含んでいないものなので分解しても現れる事はありません。
酵素には化学反応を起こりやすくする効果がありますが、無から有を生み出す効果などありません。

つぎに、どうしてカルシウムがでてきたのかしら?という事です。
おそらく、日本人には乳糖を分解する酵素が十分でない人が多いという話と、牛乳を飲むとおなかがゴロゴロするという話から、牛乳を飲んでも十分に栄養が吸収できない、という牛乳有害論ではよくある話が念頭にあるのだろうと思います。

さて、この有害論は正しいのでしょうか?
答えは否です。
まず、乳糖を分解することが難しいのと栄養素を吸収できないは別問題だからです。ちょっと長くなりますが説明してみます。

乳糖を分解する酵素を十分にもたない乳糖不耐症の人でもまったく乳糖を分解できない人はまれで少しの牛乳なら問題ないケースがほとんどです。
また、乳糖が分解できないという現象は、別の角度から考えるとその人にとって、乳糖は「食物繊維」的な働きをする食品成分となります。

つまり「食物繊維を摂りすぎて、消化吸収ができないままに腸内を進み、浸透圧が高くなり水分吸収が妨げられる」→おなかゴロゴロ
というわけです。
あれ?じゃあキシリトールガム食べ過ぎるとおなかがゴロゴロという注意書きと同じなんじゃない?
そう、似たようなものです。

だから、乳糖は上手に利用できないかも知れないけれど、他の成分に大きな影響を与えたりしないよ、という感じです。
乳糖不耐症でもカルシウムはちゃんと吸収されるという研究報告も実際にあります。

また、おなかゴロゴロが吸収不全のイメージに結びつきやすいですが、カルシウムは腸の比較的上部で吸収されるので、ゴロゴロいたい原因の小腸下部や大腸とは関係有りません。あしからず。

というわけで、乳糖を分解してもカルシウムはできないし、乳糖をうまく分解できなくても牛乳のカルシウムはちゃんと吸収されるしで、二重の意味で間違っています。

牛乳を良く飲むグループの方が、そうでないグループに比べて骨粗鬆症リスクが低いという疫学調査の結果があります。
これは日本人対象の研究なので、外国がどーのこーのよりも遙かに説得力があります。
勿論、これだけでは牛乳を飲めば骨折を予防できるというような強い主張の根拠にはなりません。

謎解き超科学の牛乳有害論検証記事みたいにはちゃんと書いてないけど、ブログにはこんなのも書いている。
牛乳飲んでも骨折のリスクは高くならないでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20100508/1273295373

根拠無く不安を煽るような言説に対し、その理屈はおかしいという批判も勿論大事であるが、こういうデータがあるから安心して良いよ、というような情報提示型批判も同じように大事だと思う。
なるべくこの両輪を心がけたいと思う。


これら情報の提供がなんらかの参考になれば幸いです。




■おまけ
「ミルクは赤ちゃんのためのもので他の動物では大人になってもミルクを飲んだりしないし、他の生き物のミルクを飲むのは不自然である」というような主張ってどうなんだろ?という話。

こうした話には基本的に正解はないです。自分にとって不自然でも他の人には不自然で無い事もありますし、逆もまた然りだからです。
とはいえ、どれほど妥当な話なのか、健康上はどうなんだろう?という事については語る事はできるでしょう。
健康については、色々な食品の1つとしてとても有用であるから、食生活に採り入れる場合には有用な面が多いでしょうとはいえます。摂りすぎるとトランス脂肪酸や飽和脂肪酸過剰のリスクありますからほどほどにともいえます。
さて、他の動物の赤ちゃんの為の食べものを食べるという事に違和感・・・というような感覚に対してはそれが間違いとはいえるものではないのですが、勘違いもあるんじゃないですか?というアプローチはできそうに思います。
こんな例はどうでしょうか。

「わ〜い、今日は目玉焼きだぁ、いただきまぁ〜す」
「目玉焼きの卵はニワトリの赤ちゃんが殻の中で成長するための栄養がつまっている、つまりヒヨコのための栄養なんだ。それを食べるのは不自然だよ」

ちょっと無理があるかしら・・・ですが本質的には大して違いはありません。
人が食物としているものは、元々人が食べるために生まれてきたモノではありません。何のためのものであるかは重要では無く、それを食べる事によりどんな利点があるか、なのです。牛の赤ちゃんのためのものであっても、人間が摂取して有用ならそれは利用しない手はないのです。生きていくという事にはそんな側面もあるんですね。
このあたりを全然受け入れられないという人もいるかも知れませんが、それはしょうがないので分かってくれとはいいません。