もうダマされない為の読書術講義(?):その2


前振りだけで終わってしまった前回の続きです。
もうダマされない為の読書術講義(?):その1

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20111016/1318728079


みつどん:さて、軽くおやつも食べたし事だし、本題に入りましょうか。

どらねこ:一応、第1章から順繰りに言及していきたいな、と思ってますけどそれでいいですか。

黒猫亭:オレは構いませんよ。

みつどん:ええ、異論はないです。

どらねこ:聞いた話によると、どらねこは菊池教団の番頭格らしいので、第1章に好意的な言及をすると『信者乙』とか謂われそうだから少し控えめにしますね。

みつどん:いつのまに。こんど入信*1させてくださいね。

黒猫亭:冗談はともかく、著者ごとに贔屓があるような印象を持たれるのは宜しくないね。相手が菊池誠だろうが誰だろうが、悪いところは指摘しつつ良いところも挙げて、有用な読み方を提案していきましょう。目の痛くなるような長文を読ませて、何も役に立ちませんでしたじゃ申し訳ないからね。


■第1章全体の感想は?
みつどん:とは言え、良い所はキッチリ褒めないとね。菊池さんの章は、実際にダマされない為に必要な前提について具体的かつ網羅的に扱っているし、表題には最も合った内容だと思いました。

どらねこ:確かに最初から騙されない為の話から始まってますね。

みつどん:菊池さんを御用学者に仕立てる動きもあるみたいだけど、この章を読めば御用的なものに対する批判もちゃんと書いてあって。例えば、マイナスイオンみたいなものを擁護する科学者は誰を代弁しているのか、なんて考えてみる。

どらねこ:といいますと?

みつどん:ニセ科学を擁護する科学者は「利益の為に恣意的に科学を援用」している訳で、大衆サイドに向いた「御用」と見ることができます、むいている方向が「お上」であるかどうかの違いこそあれ。御用聞きはなにもお上の家にだけ伺っていた訳でも無いですからね。

どらねこ:なるほど、菊池さんについてはむしろ、最初の例示で食育冊子の問題点を指摘してるワケだから、これは「お上」に刃向かっているとも見ることができますね。全然御用じゃない(笑)。

黒猫亭:一部批判で彼が謂われてる事って、実はちゃんと著書に書いてあったりするんだよな。

みつどん:総じて、ニセ科学に批判的にコミットしている人から見れば既知の話題ばっかりだろうけど、こうやって本になっていると参照しやすいし、入門編としてはかなりよくまとまっているな、と。

黒猫亭:オレはちょっと印象が違うなぁ。

みつどん:体系的に学ぶことができてお得だと思うけどなぁ。

黒猫亭:いやそれは否定しない。オレの感想としては、論旨がコンデンスされすぎていると感じましたね。

みつどん:あ、コーヒー用のコンデンスミルク忘れた。マイチューブ持参は基本だよね。(ガチャ)すいません、コーヒーフロートお願いします。 

黒猫亭: 菊池さんの考えるニセ科学批判の要諦が簡潔にまとめられているけど、見た目が口語体なので油断してしまう。実は無駄なことは何一つ書いてないので、あの程度の文章量で菊池さんの考えが全部まとまっているから、全部読まないといけない。或る結論を語る為のプロセスじゃないから、読み飛ばせないんだけど、そう謂うふうに見えない。

どらねこ:シノドスセミナーが元ですから項目毎にキチンと、と謂う感じにはならないでしょうね。

黒猫亭:だから、読み方としては箇条書きのレジュメみたいな使い方になるんだけど、一般向けの概説書として読者がそこまで労力を割いて読むかと謂えば、ちょっとキビシイ。

みつどん:なるほど。慣れていればサクッと読めるけど、大事なことが詰め込まれているから始めて目にした人には息をつく暇もないかもしれない。

黒猫亭:なので、何度も読むような読み方をする人にはよくわかるけど、一回しか読まない人にとっては、全部意味があるから一度では伝わらない。「え?」と思って本を読むとちゃんと書いてある。でも印象には残らない。一般向けの本の書き方じゃなくて、自分の考えをコンパクトにコンデンスしたテクストだから、全部意味がある。

どらねこ:ツイッターなどでも、ああ・・・菊池さん書いているのに気がついていないんだなぁ、と謂うような感想を目にしたことあります。油断できない文章なんですね。一見目が痛くならない文章なのに、実は目を痛くして読めというワケなのね。

黒猫亭:多分、一般向けに読ませるとしたら、この文章量でこの内容をわからせようとするのは、本来過剰なんですよ。

みつどん:気持ちはわかるなぁ、だってどれも大事で美味しい部分だから削りたくないものね。ダイエットはホント難しいよ。

黒猫亭:げらげらげら!失礼、素で爆笑してしまったよ。スマン、スマン。

どらねこ:確かに・・・。コレだけは分かってもらいたいから、と他の大事なところを削って、例示を増やすのもありだけど、体系的にキチンと学んで欲しかったりもする。ジレンマですね。

黒猫亭:だから、小見出し単位の一節で読者に伝わることって精々一個か二個なんですね。その一個か二個の主張をわからせる為に途中のプロセスとして例示や喩えがある。菊池さんのパートは全部意味があるから、教科書的な使い方に向いているんだけど、一般概説書向きではないんですよ。それはそれで問題ないんだけど、不都合な面があるとしたら、そう謂う読み方をすればわかると言っちゃうと「教義」的なイメージを持つ人が一定数出てくる。「全部意味があるから一言一句全部ちゃんと読め」と謂う言い方をすると、「聖典」的な印象を覚える人がいる。それがまずいんですね。それって「きくまこ教団」みたいなイメージにつながるじゃないですか。

みつどん:キッチリ読み込めば菊池さんの科学とニセ科学についての考えがあらかた理解できるのなら確かに、「教典」的ではありますね。

黒猫亭:だから「全部意味がある」と言うと誤解を招くんじゃないか、と謂うことなんですが、まあ、一番印象が近いのは「教科書」ですね。普通の書籍ってもうちょっと読者とのキャッチボールがあって、普通の読者はそんなに一生懸命本を読むものではないから、読み飛ばされても結論に影響のない部分と、ここだけは読んでね、と謂うツボの部分でリズムを作る書き方をするものです。でも、菊池さんの章はフラットに必要最低限なことしか書いてないから、そう謂うリズムもダレ場もない。菊池さんのテクストは、つまり「『もうダマされないため』にはこれぞと謂う易道なんかないから、しっかり科学の考え方を学びましょう」と謂うのがすでに前提に織り込まれていて、その切り口で「科学の考え方の概説」を書いているんだと思いますよ。ですから・・・

みつどん:もうダマ第1章は菊池さんのニセ科学批判論の概説として、レジュメ的な読み方をすればよい!これが今回の読書術講義(?)の提案ですね。

黒猫亭:みつどんさんはいつも美味しいところを持っていくなぁ(笑)。

どらねこ:美味しい物には目がないんですよねぇ・・・


■これってどうなんだろ?
みつどん:大まかなところはこのぐらいにして、第1章の個別の記述などで何か気になったところや意味の取りにくかったところなどありますか?

どらねこ:何が、と謂う程ではないのですが、菊池さんが具体的に何を述べたいのか今ひとつつかめなかった箇所はありますね。例えばコレ。

p37より
ここで挙げておきたいのがオウム真理教です。オウムは超能力志向の強いカルトですが、その組織の中に科学技術省というのがありました。ここの長官だった村井秀夫氏は僕と同い年なのですが、大阪大学の物理学の修士課程を出ています。科学の専門教育を受けたわけです。ほかにも科学の教育を受けた人たちがオウムの中で科学をやろうとしました。なぜ彼らがカルトで科学をやろうとしたのか。それは、科学教育が何を教えてきたのかということと関係しそうです。もちろん、彼らには個々に個人的な理由があったでしょう。だから、理系の高等教育を受けた人がたくさんいたという事実を安易に一般化してはいけないのですが、しかし、科学教育が教えてきた科学的合理性が、いわば個人的体験に勝てなかったということは言えるのだと思います。

黒猫亭:何がわからないのですか?

どらねこ:科学教育が何を教えてきたのかということと関係しそうと述べてますが、具体的には何であると謂いたかったのでしょう?科学的合理性には繋がらないようなニュアンスに見えますが。

黒猫亭:菊池さんの考えはどうだかわかりませんが、その種の問題に関連して、オレは以前書いた「ホメオパシーに関する私的総括(4) 許容は可能か」と謂うエントリで、こう謂うことを言っています。

であるから、自然科学は史上最も厳密な基準で「わかるもの」を記述可能なツールであるが、それは別の言い方をすれば万有の一切を無限分割していく作業であり、いつまで経っても世界には「わからないもの」が残されていくと謂うことでもある。或る種の心性の持ち主にはこれが我慢ならない。


この種の心性の持ち主は、この世の「すべて」が「わかるもの」でないことに不満を抱くわけで、つまり自然科学が霊性の次元の現実を記述出来ないのであれば、そこにこそこの世の「すべて」を解き明かす鍵があると思い込む。

黒猫亭:つまり、宗教と科学は別段対立概念ではないと謂うのがオレの考え方なんですが、自然科学が分割した「わからないもの」と謂うものの代表的なものが霊的な事象であって、ここにはスッポリ宗教が入り込むことが可能なんですね。で、霊的な次元と謂うのは科学が扱わない以上は個人的体験が強い動因となり得るわけで、たとえば宗教的カリスマの召命体験と謂うものもあるし、個人の神秘体験と謂うものもある。それが人々を宗教的世界観へと強く後押しするわけです。それはもしかしたら科学の土俵でも、人間の認知や生理の仕組みの問題として解き明かし得るのかもしれないけれど、霊的な次元ではその科学的な知見には意味がないのかもしれない。菊池さんはフィリップ・K・ディックの熱烈なファンですから、おそらく晩年のディックが「ヴァリス三部作」*2を書いた頃の宗教観のイメージがあってこう謂うことを書かれたのでは、と思います。

どらねこ:にゃるほど、何だかわかったようなわからないような(笑)・・・誰でもわかるように詳しく書こうとすると黒猫亭さんのお話のように長くなって脇道に逸れるから、このくらいの書き方に留めたと謂う感じなんですかね(笑)・・・あとはここでしょうか。

p44より
というわけで、いくつかの具体的な事例を考えてみましょう。有名なのは、マイナスイオンですね。これは家電業界を巻き込んだ大スキャンダルでした。

どらねこ:世間では大スキャンダルと謂う評価になってませんよね。

みつどん:それで株価が下がったとか経営者が責任を取った、という「騒動」にはなっていないですね。

黒猫亭:世間的な評価と謂う意味では、多分マイナスイオンは「昔の流行」と謂う感覚でしょうね。「大スキャンダル」と謂うのは菊池さんの批判的な見方が表れた表現なのでしょうけれど、多分世間ではマイナスイオンがインチキだったとか、家電メーカーが不正に走ったと謂う感覚はないでしょう。「昔、身体に良いと言われて流行ったアイディア」と謂う程度で、今マイナスイオンを正面から謳った製品がないのは「流行が終わったから」と解釈されているんじゃないでしょうかね。マイナスイオンに狂奔した家電業界に対する批判は、ネットでは盛んだったけどマスコミでは表面に出てこなかった。それは結局、「マイナスイオンなんてイカガワシイものに走った反省」はたしかに業界内にあるけれど、世間的に周知され議論されることなく業界内の問題として処理されたと謂うことじゃないでしょうか。

どらねこ:これがニセ科学の恐ろしさと謂うか、ダマされた若しくは、誤解を与えられていたと認識しなければ問題点に気がつかないまま事態は収束して、次に現れる似たような構図の新たな○○効果みたいなのに、そのまま引っ掛かってしまうんですよね。それじゃあこのままで良いのかと謂う。

みつどん:だからこそ、菊池さんは世間の認識に寄り添わず、敢えて大スキャンダルなんて表現をとったのかも知れませんね。

どらねこ:もうダマされない為の講義ですものね。

黒猫亭:「これってホントは大スキャンダルじゃねーの?」てな底意ですか(笑)。たしかに「大スキャンダルに『なりました』」とは書いてない。「大スキャンダル『でした』」だからね。「本来醜聞であるべきだ」と謂う読み方も出来るかな。

どらねこ:さて、今日はこんなところでしょうね。次は2章ですが、場所をかえませんか?

みつどん:いいですね、もっとしっかりとしたものを食べたいと思ってました。

黒猫亭:・・・やれやれ、こっちのほうは「大スキャンダル」じゃなくて「大好かん樽」だよ。

みつどん:よーし、みんな「お相撲喰いなー」を目指して大イスカンダルにGO!

どらねこ:恥ずかしいからもうやめてー。恥ずかしくってもう椅子噛んだるって気持ちだよ。


つづく・・・

*1:教祖(?)は信者を募集していないと語っている。出典→http://twitter.com/#!/kikumaco/status/113563590719582208

*2:ディックが1974年に経験した神秘体験を契機にして執筆されたと伝えられている。