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モンジュー

もんじゅー

アイルランドに生まれ、フランスで調教された競走馬(1996~2012年)。ヨーロッパでGⅠ6勝を挙げ、引退後は種牡馬としても成功した。日本では、1999年の凱旋門賞で日本調教馬初制覇にあとわずかまで迫ったエルコンドルパサーを打ち破った事績と、その後同年のジャパンカップに参戦、スペシャルウィークらに敗れはしたものの欧州最強馬の襲来として日本の競馬シーンを沸かせたことで知られ、競馬ファンからは恐るべき欧州の名馬・日本の好敵手として記憶されている。
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曖昧さ回避編集

ウマ娘プリティーダービーに登場するキャラクターについてはモンジュー(ウマ娘)を参照。

 

プロフィール編集

生年月日1996年4月4日
死没2012年3月29日
欧字表記Montjeu
性別
毛色鹿毛
サドラーズウェルズ
フロリペデス
母の父トップヴィル
主戦騎手キャッシュ・アスムッセン ⇒ マイケル・キネーン
競走成績16戦11勝

モンジュー」(Montjeu)の名は、生産者であるジェームズ・ゴールドスミス卿が所有していた、フランス・ソーヌ=エ=ロワール県ブロワ(Broye)に所在する城「シャトー・ド・モンジュー」(Château de Montjeu、モンジュー城)に由来する。

ソーヌ=エ=ロワール県はフランス東部の高地にあり、ブルゴーニュワインで名高く、ブドウ生産つながりから日本の山梨県と姉妹都市を締結している土地柄である。


サドラーズウェルズは大種牡馬ノーザンダンサーの子で代表的な後継種牡馬の一頭であり、イギリス/アイルランドおよびフランスで計17回リーディングサイアーを獲得した。モンジュー以外にも欧州で数多くの優駿を生んだ他、その血は日本競馬界にも影響は大きい。

サドラーズウェルズの孫にはテイエムオペラオーメイショウサムソンなど、母父としての産駒にはフサイチコンコルドシーザリオ、そしてのちにモンジューが激突することになるエルコンドルパサーなどがいる。


複数回対決した、日本競馬のいわゆる「98世代」からは一世代下である。


競走馬時代編集

1998年デビュー。1999年6月、フランス3歳馬の頂点を決するフランスダービー(ジョッケクルブ賞)では4馬身差の圧勝で初のGⅠ制覇。同月、さらにアイルランドに転戦しアイリッシュダービーでも5馬身差をつけ勝利。一躍、欧州のトップ3歳馬として名が知れ渡った。

1999年凱旋門賞編集

モンジューはヨーロッパ最高峰のレースの1つである10月の凱旋門賞へ向かうことが決まった。


一方、この年のフランス競馬界を沸かせている別の馬がいた。日本から長期遠征でフランスに参戦していた、前年のジャパンカップエルコンドルパサーである。

エルコンドルパサーは渡航直後こそ欧州競馬場の長い芝への適応に苦戦したものの、7月のGⅠ・サンクルー大賞を制覇、さらに凱旋門賞と同じパリ・ロンシャン競馬場で行われる前哨戦のGⅡ・フォワ賞も制した。

滞在先の調教場から「どうか凱旋門賞を取ってくれよ」と応援されて優先的に整地直後のコースを回してもらえるなど、フランスでも人気馬となっていた。


10月3日、凱旋門賞当日のロンシャン競馬場は芝土の含水率がとんでもない、べっちょべちょの記録的な不良馬場であった。3番人気の、この年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス馬デイラミの陣営があまりの馬場状態に出走中止しようかと迷ったほどである(結果、馬場に脚を取られ9着に敗れた)。

1番人気に推されたモンジューは、心肺機能に優れたステイヤーや重馬場を苦にしないパワーある馬を輩出してきた血統の持ち主である。一方2番人気エルコンドルパサーは日本時代にダート経験もあり、重馬場不良馬場での勝利も豊富な馬。馬場状態もあわせこの2頭の一騎打ちとの見方が強まった。


レースが始まると、1枠1番のエルコンドルパサーがハナを切り、馬なりに逃げにかかった一方、モンジューは5、6番手につけた。

最終直線、馬場に脚を取られて疲弊し多くの馬の脚が鈍る中、エルコンドルパサーが突き放しにいったが、外に持ち出したモンジューはこことばかりに末脚を爆発させる。残り100mで並び、最後は半馬身差の勝利。3着とは6馬身差がついていた。

この好勝負をフランスメディアは「勝ち馬は2頭いた」と讃え、モンジュー陣営も「馬場がもっと良かったら負けていただろう」と紙一重の勝負であったことを認めている。

エルコンドルパサーは、当初の予定通りこの1戦を最後に引退し、種牡馬に転身することとなった。

1999年ジャパンカップ編集

激闘の末に凱旋門賞を制したモンジューは、11月28日のジャパンカップに遠征することが決まった。


ちなみにエルコンドルパサーは日本での2年間で9戦8勝・2着1回という優秀な成績を収めている。日本で唯一エルコンドルパサーの前を走った馬は、1998年毎日王冠でのサイレンススズカのみ。そのサイレンススズカも既に98年天皇賞(秋)で府中ターフに散っていた

そしてエルコンドルパサーが勝てなかった馬が参戦するのである。「欧州最強馬の襲来」に日本の競馬ファンは沸いた一方、易々とジャパンカップを持ち去られてしまうのか、日本の意地を見せて杯を守り抜ける馬はいるのか。この点も注目ポイントの一つとなっていた。


しかし、来日後のモンジューの状態は上がらなかった。11月下旬は欧州競馬界ではオフに入る時期(※現在はかなり形骸化している)、加えて日本遠征の馬への負担は欧州転戦の比ではない。前日インタビューでは、陣営が少しでもマークを外したいという意図もあってか「体調が戻らない。あと3日かかる」「もっと早く日本に連れてくるんだった」と答えるほどだった。


11月28日ジャパンカップ当日、昼休みの東京競馬場では「お前が走ってくれよ」とファンが名残を惜しむ中、エルコンドルパサーの引退式が行われた。

1番人気に推されたモンジューは、後方からレースを進め、最終直線で末脚を伸ばし上がってくるが4着止まり。初めて連対(2着以上)を外した。

勝ち馬は、前年のジャパンカップではエルコンドルパサーの3着に敗れるも、この年の天皇賞春秋制覇を果たし状態を上げていたスペシャルウィーク。2着は香港からの伏兵インディジェナス、3着は98年エプソムダービー馬ハイライズと、2~4着まで海外馬であり、その中で優勝杯を日本の手に守り「日本総大将」の役目を果たしたスペシャルウィークに競馬ファンは大喝采だった。

2000年、そして引退編集

古馬となった2000年も、タクソールズゴールドカップ(愛)、サンクルー大賞(仏)、そしてキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(英)では日本から挑戦してきた皐月賞エアシャカールを退け、GⅠ3連勝。凱旋門賞前哨戦のフォワ賞も制し、2連覇へ死角なしとみられていた。

しかし、凱旋門賞本番では、この年のエプソムダービー馬シンダーに7馬身差をつけられる4着と大敗。

その後もチャンピオンステークス(英)、ブリーダーズカップ・ターフ(米)と敗れ、同年限りで引退した。


種牡馬時代編集

種牡馬に転身するや、いきなり初年度産駒たち(2002年生)から、凱旋門賞2代制覇を果たしたハリケーンラン、パリ大賞典勝ち馬スコーピオン、エプソムダービー馬モティヴェーターらを出し、種牡馬デビューからわずか2年の2005年にフランスのリーディングサイアーを獲得した。その後も数多くの活躍馬を生み出している。


2012年、現役種牡馬のまま敗血症により16歳で亡くなった。


その後の余談編集

2006年凱旋門賞編集

日本競馬の英雄・ディープインパクトが挑戦した2006年の凱旋門賞では、モンジューの初年度産駒で父をなぞるように欧州最強の座へ登りつめたハリケーンランが最大のライバルと目されたことで、99年の記憶もまだ新しかった当時、親子2代で日本の悲願に立ちはだかる存在として話題になった。なお、ハリケーンランは凱旋門賞以降モンジュー同様精彩を欠いてしまった。


2013年凱旋門賞編集

モンジュー死後の2013年の凱旋門賞。

この年は日本から2頭が挑戦していた。1頭は新進気鋭の当年日本ダービーキズナ。そしてもう1頭は、前年の凱旋門賞では悲願の日本馬初制覇……と思われた瞬間、最終直線で思いっきり斜行して2着に沈んだ暴れ馬オルフェーヴルである。


前年のオルフェーヴルは、同じ池江泰寿厩舎の8歳馬アヴェンティーノをペースメーカー役として随伴したのだが、この年のキズナは当たり前だが本気で凱旋門賞を勝ちにフランスに赴いている。2頭のガチタッグで、今年こそ日本に初制覇をもたらすのではと、ファンの期待は高かった。


……その前に立ちはだかったのは、モンジューの孫娘たる3歳牝馬トレヴ(Treve、父モティヴェイター)であった。2歳上のオルフェーヴルに5馬身差をつけて圧勝(キズナは4着)。またしても日本勢は2着止まりとなった。血の因縁というのは恐ろしいものである。(トレヴは2014年も凱旋門賞を制し連覇を果たしている。)


日本での子孫編集

モンジュー産駒、あるいは母父としての産駒は、少数が日本でも走ったが長い間目立った成績は残せていなかった。日本で子孫の活躍馬が出始めたのは、2020年代になってからである。


まず、モティヴェーター産駒の牝馬メーヴェ(2008年生)が産んだメロディーレーン(2016年生)・タイトルホルダー(2018年生)姉弟が挙げられる。つまりモンジューは2頭の母父父に当たり、2頭ともモンジューやモティヴェイターの血を引き長距離で結果を残している。

メロディーレーン(父オルフェーヴル)は、馬体重300kg台前半というリアルマキバコかというような小型サラブレッドである。軽量低燃費を活かして長距離を主戦場としており、重賞勝利はないが、馬体重338kgでの勝利、340kgでのGⅠ出走(菊花賞・天皇賞春)など、最軽量馬にまつわるJRAの記録を複数持っている個性派。

タイトルホルダー(父ドゥラメンテ)は、2021年の菊花賞を1998年のセイウンスカイ以来の逃げ切り勝ちで制覇した。翌2022年には天皇賞(春)をこれまた逃げ切り勝ちした他、同年の宝塚記念では超ハイペースでのレースの中、苦手と思われていた番手からの押し切り勝ちを決めてレースレコードを叩き出した。


また、母父としての産駒に当たるパンサラッサ(父ロードカナロア)は、2000m前後を主戦場に大逃げスタイルを武器として活躍。2022年ドバイターフでは前年度覇者ロードノースと同着優勝を果たし、歴史的名勝負となった。なお同レースでハナ差の3着に突っ込んだヴァンドギャルドも母父モティヴェーター、即ちモンジューの血を引く馬であり、海外レースでの強さを受け継いでいる。


関連タグ編集

競走馬 凱旋門賞 ジャパンカップ

エルコンドルパサー スペシャルウィーク


ブロワイエ:『ウマ娘プリティーダービー』のアニメ版(第1期)登場キャラクター(アニメオリジナルウマ娘)。史実におけるモンジューに相当する役として登場する。

モンジュー(ウマ娘):上記の登場後にアプリ版で実名で登場した。

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