碓氷峠とは、群馬県安中市と長野県軽井沢町との境界にある峠。標高は960m。
造山運動と侵食によって、群馬県側が極端に急峻な地形となっている。このため、かつてはトンネルを貫くことが困難であった。
碓氷峠の範囲は広く、旧道も含めると全部で4つの峠がある。旧信越本線と国道18号線は碓氷峠を、碓氷バイパスは入山峠を通過している。一方で、北陸新幹線と上信越自動車道は碓氷峠付近を大きく迂回し、勾配の緩和を図っている。
1200万年前は海中にあり、700万~200万年前と110万~65万年前の噴火で平地となる。
その後20万年前までに侵食によって急な崖が作られた。最高点が標高960mで、群馬県側の横川が約390m、長野県側の軽井沢は約940mである。
この崖を登る風によって霧が発生する。国道18号線や上信越自動車道では霧の多発地帯となり、注意が必要である。
また、碓氷峠は中央分水嶺である。群馬県側の降水は利根川を経て太平洋に流れ、長野県側の降水は信濃川を流れて日本海へ注ぐ。
上記の通り、青線の北陸新幹線と桃色の上信越自動車道は碓氷峠をバイパスしているのが分かる。北陸新幹線は高崎を出たあと大きく北側に迂回し、安中榛名駅を出たあとトンネル内でカーブを描きながら高度を上げて軽井沢駅の手前で中山道沿いに合流する。上信越道は横川で大きく街道筋南側に逸れ、鰐坂峠南側を通過した後八黒山をトンネルで貫いて佐久市内に抜けていく。なお、旧道の一部はハイキングコースとして整備されている。
碓氷関とは、現在の横川駅の近くにあった関所であり、上毛かるたにて「碓氷峠の関所跡」と詠われている。
899年、当時の坂東国(現在の関東地方)において「僦馬の党」と呼ばれる強盗集団が跋扈しており、各街道や近隣の村々では大きな被害を被っていた。彼等の鎮圧を行う為に中山道に設けられたのがこの関所である。
その後、廃止と再開を繰り返し、17世紀になると幕府が江戸に置かれたこともあり、東海道の箱根関と並び重要な拠点となる。その警備は代々地元の安中藩主によって行われていたといわれる。関所破りは重罪とされ、上野国の侠客として知られる国定忠治もこれにより磔刑に処せられたことは有名である。(少なくとも群馬では)
明治時代に入ると関所は廃止され、碓氷新道ができたことによって本道からも外れた。当時の建造物は残っておらず、現在は跡地に復元された東門および関所資料館が建てられている。
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最終更新:2024/12/23(月) 00:00
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