真田信尹(さなだ・のぶただ 1547? ~ 1632)とは、信濃の戦国武将である。
真田昌幸の弟。彼もまた怒涛の戦国乱世の中で真田の家名を残すことに成功した人物である。武田家滅亡後は主に徳川家康に仕え、最終的には幕府旗本となった。
大坂夏の陣において、真田幸村(信繁)の説得役として出向いたエピソードが有名。
真田幸隆の四男。真田昌幸のすぐ下の弟にあたるが、通説に従うと生年も生母も同じになってしまうので、双子の可能性も唱えられている。初めは武田家臣の加津野氏に養子入りして加津野信昌(かつの・のぶまさ)を名乗る。
1571年、「地黄八幡」北条綱成が守る駿河・深沢城攻略に参加して綱成の旗指物(黄八幡の旗)を奪うなど武功を挙げた。1575年の長篠の戦いで長兄・次兄が討死するが、以後も真田氏を継いだ兄・昌幸とともに武田家を支える。
1582年、甲州征伐で武田氏が滅亡すると真田信尹に改名する。その後は兄とは別行動をとって、あっちへこっちへと主を変えており、1582年だけで北条→池田→徳川、と各地を転々としている。そして天正壬午の乱において、依田信蕃と共に兄・昌幸を説得して徳川方に寝返らせるという功を挙げた。
この辺りの動きは先行き不透明な中での生き残り策とも、昌幸と通じて情報収集に務めていたとも言われる。
結局昌幸はこの後上杉氏に寝返り、第一次上田合戦が行われるのだが、信尹は徳川氏に仕え続けた。が、豊臣秀吉の小田原平定と前後する時期に(まるで真田信幸と入れ替わるような形で)徳川を出奔する。その後、会津に移封された蒲生氏郷に仕えたが、氏郷死後の御家騒動によって蒲生家が宇都宮に大減封されると、再び徳川家臣となった。
関ヶ原の戦いにも徳川方の一員として参加したとされるが、具体的な部隊や働きは不詳(信之とは異なり、上田合戦に参加していたとの記述もない)。彼の活動で最も有名なのは大坂の陣で、真田幸村に対する説得・調略を担当し、降れば信濃一国という条件を伝えるも幸村に断られる、というエピソードが伝わる(具体的な時期は冬終結~夏勃発の間)。大抵のドラマや小説で彼の出番と言えばここくらい。幸村の首実検を担当したとも。一方で武功も挙げており加増され、甲斐に5200石(4000石とも)の領地を得た。
こうして信之の本家とは別に、旗本真田家として子孫は無事存続した。大坂の時点で69歳、同い年の兄・昌幸は既に亡くなっていたが、その後も(信之には負けるが)長生きして1632年に86歳で没する。
武田滅亡後に兄・昌幸と共に行動していた時期はかなり短いが、その裏では真田家存続のために動いていたとも言われる。また度々の鞍替えを経ながらも、斬られる事なく生き延びた辺りは、流石真田一族のサバイバル能力といったところだろうか。
前述の通り、彼の一世一代の出番と言えば幸村の説得である。
演:栗原英雄。本作では史実とは異なり、初めから真田家臣という形で登場。主に上杉や北条を相手に外交(という名の謀略)を担当する。兄・昌幸と真田家を陰から支える人物で、兄とは以心伝心、ときには汚れ役も担う。その「当主・御家・兄の為に尽くす弟」という姿は、主人公・真田信繁にとっての理想像であるが、彼自身は信繁に対し「儂のようにはなるな」と忠告する。
その後は史実通り徳川家などを転々としつつ、大坂冬の陣で再登場し、信濃10万石を褒賞とする信繁調略を家康に命じられるが…。ここで幸村と改名した信繁と久しぶりに再会するが、皮肉にもこの回では幸村が豊臣家勝利の為に手段を選ばない姿が描かれる。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||||
武将風雲録 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
嵐世記 | 采配 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||||
蒼天録 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
創造 | 統率 | 71 | 武勇 | 66 | 知略 | 79 | 政治 | 77 | ||||||||
大志 | 統率 | 69 | 武勇 | 65 | 知略 | 76 | 内政 | 76 | 外政 | 83 |
掲示板
9 ななしのよっしん
2016/11/21(月) 09:24:52 ID: VBeRBCvI2p
こんだけやってて影が薄いっていのはこの時代としては褒め言葉だね。
策謀家は有名になるようでは二流というのを地で行く英雄だわ。
10 ななしのよっしん
2017/03/11(土) 05:56:54 ID: DK1VgH+1zx
この人も結構いろんな陣営渡り歩いてるよな
この時代にこのフットワークの軽さは驚く
11 ななしのよっしん
2020/08/15(土) 21:49:47 ID: mneTfBMP10
真田丸背水の陣の件にて
昌幸「しかしまぁカンスイは阿呆じゃのう」
信幸「何故ですか?父上」
昌幸「後世にそのような逸話が伝わってしまうのは二流じゃわい。」
これは後世に名を残さない信尹の事を遠回しに褒めてたのかもしれないね
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最終更新:2025/01/09(木) 07:00
最終更新:2025/01/09(木) 07:00
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