木村 昌福(きむら まさとみ)とは、大日本帝国海軍軍人。最終階級は中将。
大東亜戦争(太平洋戦争)時、日本海軍でも屈指の水雷戦隊司令官として知られる。
1891(明治24)年12月6日に静岡県静岡市で生まれる。
海軍兵学校を後ろから数えたほうが早い順位(118人中107人目)で卒業する。海軍では兵学校の卒業成績(ハンモックナンバー)がのちの出世に響くため、出世とはほとんど無縁…だったように見えるがそうでもない。
「潮気の多い士官」、つまり艦艇勤務(しかも駆逐艦乗り組みなど)の現場周りを厭わない優秀な士官で抜擢するというもう一つの気風も若干は残っており、若干名が将官にまでなったケースはある。その一人が木村提督であり、昇進は遅かったとはいえ将官になったのだから逸材といえるだろう。
(その反面、司令部などでは海軍大学校出のエリート士官達からはあまり快く思われていなかったという話も残っている)
性格は豪快でさっぱりとしており、大酒呑みであった。また、部下を無闇に叱ることもなく常に冷静な態度を崩すこともなかった。部下もそんな彼を「ショーフク」と呼んでいたという。
様々なエピソードにことかかない提督であり、作戦目的をよく理解して「待つ」ことが出来た数少ない将官の一人である。そして、いざ戦にあっては常に先頭に立って参加し、敵味方に対しての人道的配慮を決して忘れず、撤退するにあたっても殿を務めたケースが多い。
提督を語る上では外すことができないのはキスカ島撤退作戦だが、ここでは彼の名言を冠した個別記事に譲るとして、その後のエピソードを紹介する。
キスカ島撤退を成功させた後、レイテの戦いに参加する。レイテ周辺を巡る戦いにおいて海軍は大敗し、米軍主力をレイテ島に上陸させることを許してしまう。制海権・制空権ともに米軍に渡っている中で、海軍はマニラがあるルソン島防衛のため、その南のミンドロ島に集結した米艦隊へを突撃を敢行する「礼号作戦」を行うことになった。
この作戦に対して、木村提督は重巡「足柄」、軽巡「大淀」、駆逐艦「霞」以下駆逐艦6隻の艦隊の指揮をとることになった。
提督はこの作戦に重巡ではなく身軽な駆逐艦「霞」での指揮を選ぶ。泊地突入までに空襲を受け、駆逐艦「清霜」を喪失し、「足柄」、「大淀」が損傷を受けたものの、作戦決行が可能なところまで進出することに成功した。
作戦開始間際にあたって「挺身部隊ハ予定ドオリ突入ス。各隊ハ一層警戒ヲ厳ニシ、敵ノ奇襲ヲ未然ニ封ジ、全軍結束、作戦目的ノ達成ヲ期セ」という訓示を行い、泊地に突入する。
(これは作戦目的である米軍輸送船の撃破を目指せという意味で、敵艦隊の撃破だけで輸送船団の撃破まで行わず撤退した第1次ソロモン海海戦や、最後まで作戦目標が曖昧なまま艦隊をすりつぶしたレイテ沖海戦の様子を考えると意義深い電文であるともいえる)
砲雷撃を完了させ、艦隊は帰路についたが、撃沈された「清霜」乗員はいまだ海上に漂っていた。ここにおいて、木村提督は随伴艦に対して脱出を指示し、旗艦「霞」のみでの乗組員救助に取り掛かった。この時「霞」は機関を停止している。これはスクリューに溺者が巻き込まれる可能性を考えてのことだが、健在な敵魚雷艇や航空機の襲撃を考えると大変危険な行為だった。
その状況下で殿(しんがり)としてとどまることを選択した提督の判断と行為に、他の艦艇も撤退命令に逆らって救助活動に参加する。残った駆逐艦による救出活動の間に巡洋艦が敵魚雷艇の排除を行うなどして多くの乗組員を救出することに成功し、残りの艦艇は無事帰投を果たした。
この「礼号作戦」における「ミンドロ島沖海戦」は後に大日本帝国海軍の艦隊作戦行動における最後の勝利として知られることになる。作戦の困難さに比べればその戦果は輸送船1隻撃沈・航空機数十機撃破という乏しいものであったことは否めない。しかし、戦果の多寡ではなく、その指揮官や作戦に参加した者達が見せた振る舞いは「最後の勝利」として記憶されるにふさわしいのではないだろうか。
困難な状況の中でこそ人間の資質が問われる中、木村提督は「礼号作戦」だけでなく幾度と無くそれを示した稀有な指揮官であった。戦後、敵であったアメリカ海軍・戦史関係者からも高く評価されているのも頷ける。
戦後、山口県で彼を慕う部下と共に製塩会社を興す。家族の前では戦場での体験を口にすることがなかったため、最晩年に戦史家がキスカ島撤退作戦の取材に自宅を訪れるまでは家族もみな「お酒のみの穏やかなお父さま」としか思っていなかったという。1960(昭和35)年2月14日逝去、享年68歳。
キスカ島撤退作戦の経緯は後に多少の脚色を加えられ、東宝映画「太平洋奇跡の作戦 キスカ」として映画化されている。当時の東宝男優オールスター総出演・円谷英二渾身の特撮・団伊玖磨作曲の劇中音楽と豪華な出来であり、邦画の戦争映画の名作として名高い。DVDも出ているので機会があれば是非ご鑑賞を。
掲示板
55 ななしのよっしん
2021/08/14(土) 14:38:44 ID: bkjJo2swsf
>>42
無理だって。
海軍がシーメンス事件を起こしてなかったならともかく。
56 ななしのよっしん
2021/12/17(金) 22:19:21 ID: HjqfGoT5xE
本来なら功績や人格の高潔さを語るべきなのだがここはニコニコ大百科なので次男がマンガを描いていたことや缶これの人気キャラクターに乗船してたことに注目してもいいはず
57 ななしのよっしん
2021/12/18(土) 23:26:06 ID: P3CtVAknQd
キスカ撤退作戦の木村昌福しかり、スラバヤ沖海戦でイギリス海兵を救出した工藤俊作しかり、エンガノ岬では敵の攻撃をかわしまくり、戦後は発明でいくつも特許を得た松田千秋しかり、帝国海軍でひげ提督って良きキャラばかりだと思う。
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最終更新:2024/12/24(火) 00:00
最終更新:2024/12/24(火) 00:00
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