平成三強 単語


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ヘイセイサンキョウ

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平成三強とは、平成初頭に中央競馬で活躍した3頭のサラブレッド競走馬オグリキャップ」「スーパークリーク」「イナリワン」のことである。

概要

1989年1990年中央競馬において中心となって活躍した競走馬平成という新元号に移り変わった時期故に平成三強と呼ばれるようになった。イナリワン1989年年度代表馬オグリキャップ1989年JRA賞特別賞1990年年度代表馬JRA顕彰馬に選ばれている。

なお、3頭の共通点として、ダービーには出走していない。また、武豊は3頭全てに騎乗して、かつGIを複数勝利している。頭おかしい。

オグリキャップ

ダンシングキャップ ホワイトナルビー シルバーシャーク

勝ち有馬記念(GI)(19881990)、安田記念(GI)1990)、マイルCS(GI)(1989)、ニュージーランドトロフィー4歳ステークス(GII)(1988)、高松宮杯(GII)(1988)、毎日王冠(GII)(1988、1989)、ペガサスステークス(GIII)(1988)、毎日杯(GIII)(1988)、京都4歳特別(GIII)(1988)、オールカマー(GIII)(1989)

騎手高橋一成、安藤勝己河内洋南井克巳武豊

芦毛の怪物」と言われたアイドルホースNative dancerで、牝系を辿ると五代天皇賞クインナルビーがいるとはいえ、当時の血統評価は「三流」。地方営の笠松競馬から中央競馬に殴り込み、中央出身の競走馬と互以上の競争を繰り広げた。また、「オグリキャップより強いはいても、オグリキャップよりされたはいない」と言われたオグリキャップの絶大な人気は第二次競馬ブームの直接的な原因となった。

スーパークリーク

ノーアテンション ナイスデイ インターメゾ

勝ち菊花賞(GI)(1988)、天皇賞(秋)(GI)(1989)、天皇賞(春)(GI)(1990)、京都大賞典(GII)(1989、1990)、産経大阪杯GII)(1990)

騎手武豊

三強一の中央出身。当時としても、やや時代遅れになり始めていたステイヤー血統であったが、スピードも相応に兼ね備えており、後の高速ステイヤーのはしりともされる。上の武豊菊花賞では本に乗れないなら出走できなくてもいい覚悟だったくらい入れ込んでいた。一方、秋の天皇賞オグリに勝った際はオグリファンから相当嫌われたらしい。後、顔がデカい。

イナリワン

ミルジョージ :テイトヤシマ ラークスパ

勝ち東京王冠賞(1987)、東京湾カップ(1987)、東京大賞典(1988)、天皇賞(春)(GI)(1989)、宝塚記念(GI)(1989)、有馬記念(GI)(1989)

騎手:宮正行、武豊柴田政人

Mill Reef地方競馬でも較的レベルの高い大井競馬出身。また、他2頭より1歳上。中央競馬では1番人気になったことがない人気のなさ。だが、中央での勝ちは全てGIというお祭り男である。

三強の激突

平成元年の春景色

昭和最後の大競走となった1988年有馬記念勝利し、中央最強の座をタマモクロスから継いだオグリキャップだったが、中央重賞9連戦(地方含めれば11連戦)はさしも怪物にとっても理があり、繋靭帯炎を発症。は全休となり、福島温泉で休養を取ることとなった。

なお、離脱したのはオグリキャップに限ったことではなかった。大であった菊花賞スーパークリーク筋肉痛が長引き、サッカーボーイは蹄の状態が悪化、ダービーサクラチヨノオー屈腱炎を発症し長期休養と、前年の活躍場で元気だったのは皐月賞ヤエノムテキぐらいだった。

さて、そんな平成元年中央競馬を席巻したのは、大井から来たイナリワンであった。前年の東京大賞典勝利して中央に乗り込んだこのは転厩当初こそ4着、5着だったが、武豊に乗り替わった天皇賞(春)ではミスターシクレノン以下を5身置き去りにしてコースレコードで快勝。宝塚記念でもフレッシュボイス追い込みを抑えて勝利し、中央競馬役の一頭に躍り出た。

天皇賞(秋)~盾をめぐる争い~

さて、オグリキャップ初戦のオールカマーレコード勝ちして復活。そのまま、天皇賞(秋)す予定が、旺盛な食欲のせいで太残りが懸念されたため毎日王冠へ出走する。ここを初戦と定めていたのが、武豊スーパークリークのもとへ戻ったため、柴田正人騎手に乗り替わりとなったイナリワンである。

レースでは、大外から突っ込んだ2頭がゴール前まで全く譲らない接戦を繰り広げ、ハナ差でオグリキャップ勝利スーパークリーク京都大賞典を初戦に選ぶと、ここをレコード勝ちして、天皇賞(秋)へと駒を進めた。

平成三強が初めて一堂に会したのは、記念となる第100回の天皇賞(秋)。ステップレースを勝ったオグリキャップスーパークリークが1番人気、2番人気だったが、3番人気メジロアルダンイナリワンがそれに続くこととなった。

レースでは、15万人の観客が詰めかけた東京競馬場で、逃げレジェンドテイオーを内からメジロアルダン抜くも、スーパークリークが交わし、それをオグリキャップが大外から猛然と追い込むも群の抜けだしに掛かった手間がいて首差届かず。オグリキャップは去年に引き続き2着。敗れたオグリクリークを睨み付け帰らない一幕もあった。イナリワンは6着。

ジャパンカップ~ワールドレコードの事件~

次なる対決の場はジャパンカップだったが、オグリはその前にマイルチャンピオンシップへ出走。ここには、武豊騎乗のの単距離王者バンブーメモリーが待ち構えていた。レースでは先に抜け出していたバンブーをオグリが凄い末脚でとらえてハナ勝利を挙げる。

続くジャパンカップ関東関西の輸送を繰り返す上に連闘となるこのレース選びに批判もあったが、なぜかバンブーメモリーともども、オグリは出走。連闘ともあってオグリキャップは2番人気スーパークリークが1番人気となり、イナリワンは8番人気だった。

本番のレースでは、暴走した英国イブンベイ米国ホークスターが競りかけていき、史上まれにみるハイペースが現出。1600m通過タイム安田記念レコードを、2000mは天皇賞(秋)レコードえ、1800m、2200mの通過タイムに至っては当時の日本レコードをも上回るもの。例外的に前年覇者ペイザバトラーが3着に突っ込んできた以外は、後方のすら足を溜める余裕すらない有様であった。

最終的にレースは先行した22頭の勝負となり、オグリキャップとの過酷な競り合いを制したニュージーランドホーリックス優勝を果たすこととなった。勝ちタイム2:22:2は2:24:9の日本レコードはもちろん、ホークスターが持っていた2:22:8のワールドレコードすら上回るスーパーレコードオグリキャップタイム差なしの頭差であり、負けてなお強しの評を得ることなる。スーパークリークは4着。イナリワンは11着。

有馬記念~平成元年最後の対決~

平成元年最後の舞台グランプリ、有馬記念オグリキャップは当然ファン投票1位で出走に向かうが、時代の調教師鷲見氏が「疲れきっとるようです」といったように競馬での疲労の蓄積は明だった。

更に、レースではマイル戦や前走レコードか、オグリキャップしくかかり番手につく。それに続いたスーパークリークが直線で競り落として先頭に立つも、そこへ外からすさまじい発力をもってイナリワンが強襲。2頭の競り合いとなったが、わずかに外イナリワンに軍配が上がった。2:31:7は、シンボリルドルフの打ち立てた記録を上回る当時のコースレコードであり、グレード制後のグランプリ連覇は史上初。グレード制前に遡ってもスピードシンボリ以来であり、これをもって、イナリワン年度代表馬となる。オグリキャップマイルCS勝利ワールドレコードとのタイム差なしが評価され、特別賞を獲得。

平成元年の古競争は彼らによって席巻され、競馬の世間的な人気が高まるとともに、動員数、馬券売上は大きく向上。ここから10年にわたる第二次競馬ブームが引き起こされるのである。

二年目の春~三強の盛衰~

平成二年の三強の突は天皇賞(春)からだった。ここに出走してきたのはイナリワンスーパークリークジャパンカップ有馬記念発力で遅れを取ったことからと、スーパークリークは先行押切でイナリワンを抑えて勝利

天皇賞(春)出走も考慮されていたオグリキャップだったが、最終的に安田記念に出走。ここでは、前年の戦であった南井から武豊に乗り替わっていた。この乗り替わりに一部のファンから非難もあったが、結果的にこのコンビど何事もなくヤエノムテキオサイチジョージ以下を2身差つけてのコースレコードで圧勝を決めた。シンボリルドルフ日本による総獲得賞金額も更新し、宝塚記念後、米国アーリントンミリオンへの出走が計画される。

やはり三強が席捲するかと思われた平成二年の競馬だったが、筋肉痛でスーパークリーク宝塚記念を回避。さらに、その宝塚記念では、オグリキャップイナリワンも抑えてオサイチジョージがついに戴冠。3身差以上つけての圧勝だったが、オサイチジョージ力よりも、オグリキャップ敗北衝撃ファンには大きかった。アメリカ遠征もご破算となるが、オグリキャップは既に日本であっても立て直しが聞かなくなっていたのである。

秋の哀愁~三強の引退~

どうあれ、天皇賞(秋)に向け、準備を進めていた三強だったが、いずれも不運な結果が待っていた。

オールカマーから天皇賞(秋)を計画していたイナリワンだったが、右前脚の球節に不安が生じたため、回避。そのまま、回復することなく引退

前年同様、京都大賞典初戦に選んだスーパークリークは、タニノチカラ以来、グレード制導入後初となる連覇を果たすも左前脚の繋靭帯炎が発覚し、引退

残ったオグリキャップ天皇賞(秋)へと直行するも、出走前に続けざまに起こった脚部の故障、更に過剰な取材によって、状態の悪化は如何ともし難くなっていた。本番の天皇賞でも折り合いを欠き、直線は伸びず6着。続くジャパンカップでは生涯最低着順の11着と大敗北を喫してしまう。

ファンのみならず、競馬関係者からもオグリキャップ引退すべきではないかとのが出始め、過ファンからは、オーナーへの嫌がらせ電話、更にはJRAへの爆弾予告による引退強要の脅迫すら届く有様となる。オーナーは厩舎への関係者以外の立入を禁止し、天才武豊に最後の騎乗依頼を出した。オースミシャダイの先約があった武豊だったが、別厩舎なのに武邦彦がオースミの馬主へ断りの助けをだし、これで上が確定。営はここに有馬記念引退レースと決断。

かくて、12月23日昼休みイナリワン引退式が挙行された中山競馬場で、17万余の大観衆、数千万のテレビ視聴者が見る中、15時25分、第11レース、第35回有馬記念ゲートは開くのである。

対戦成績

彼らの登場したGI級及び2頭以上登場した競走を示す。

競走名 オグリキャップ スーパークリーク イナリワン 参考:優勝
1988年
天皇賞(秋) 2着 - - タマモクロス
菊花賞 - 1着 -
ジャパンカップ 3着 - - ペイザバトラー
有馬記念 1着 失格(3位入線) -
1989年
天皇賞(春) - - 1着
宝塚記念 - - 1着
毎日王冠 1着 - 2着
天皇賞(秋) 2着 1着 6着
マイルチャンピオンシップ 1着
ジャパンカップ 2着 4着 11着 ホーリックス
有馬記念 5着 2着 1着
1990年
天皇賞(春) - 1着 2着
安田記念 1着 - -
宝塚記念 2着 - 4着 オサイチジョージ
天皇賞(秋) 6着 - - ヤエノムテキ
ジャパンカップ 11着 - - ベタールースンアップ
有馬記念 1着 - -

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