尾藤知宣 単語

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尾藤知宣(びとう とものぶ)(? - 1590年?)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
羽柴四天王の一人。

概要

秀吉配下の衣衆・大衣衆の一人。
羽柴四天王の中でも最も軍事に通じていたという。

仙石秀久の後継に

正13年(1585年)、羽柴秀長に従って四国征伐に参加、讃岐5万石に出世。

正15年(1587年)、戸次の戦いで改易された仙石秀久の後継として軍監に就任。
秀長の下で九州征伐に従軍し、あの黒田官兵衛小早川隆景などの諸将を率いる立場になった。

 白坂の戦いで、宮部継潤の守る白坂砦が島津氏の援軍に攻め込まれた。この時知宣は秀長に慎重論を唱え援軍を出させなかった。しかし、僅かな手勢で救援に赴いた藤堂高虎らの奮戦がきっかけとなり豊臣軍の大勝利という結果となった。
 また、この戦いの後に敗走する島津軍に対して、ここでも知宣は深追いは危険とし諸将に追撃を行わせなかった。結果として島津氏討伐の決定的な好機を逃すこととなる。
このことが、秀吉の怒りを買い所領を収された。

その後

その後、伊勢三重県北部)の山に住んでいたらしい、正18年(1590年)7月小田原定した秀吉の前に剃髪して現れ、寛恕を請うたが容れられず、下野に護送され、路上において処刑された。

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  • 24 ななしのよっしん

    2021/11/11(木) 09:34:13 ID: G+21Xf/qh1

    羹に懲りて膾を吹いて島津を滅亡の縁から救った大恩人。
    追撃して将格をあと数人討ち取っていたら、島津再起不能になり、薩摩大隅の2ヶを保持できなかった。

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  • 25 ななしのよっしん

    2022/02/05(土) 16:27:40 ID: zRUXkI5cSC

    センゴクの尾はなんか憎めないキャラだったので最期が悲しくなってしまったな
    もうちょっと黙ってたら許してくれそうな感じだったのに…

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  • 26 ななしのよっしん

    2024/03/17(日) 04:36:56 ID: UNFYS6pZ9c

    世間的知名度は低い方だと思うが、センゴクだと尾とあと神子田の出番が結構多くて、仙石から見て「嫌なだが頼りにもなる戦友」というポジションだったから、最期が悲しすぎる。

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