「少年隊」とは、731部隊に存在したとされる、主に少年らが所属した組織である。
大日本帝国陸軍の関東軍の一部隊である「関東軍防疫給水部本部」、通称号「満洲第七三一部隊」、すなわちいわゆる「731部隊」に存在したとされる組織。高等小学校を卒業した14歳の少年たちなどが軍属として採用され、部隊内での様々な雑事に従事したとされる。
この「731部隊」内で人体実験などが行われていたとする証言を行った元隊員たちは数多いが、その中にはこの「少年隊」に所属していたという経歴を語る人々も含まれており、中にはかなり詳細に体験を語った者もいたため、731部隊に興味を持っている人々の中では有名である。
また単に有名なだけでなく、731部隊で人体実験などが行われていたという話に対して懐疑的な人々の中には「14歳で軍人になれるわけがないからこの証言はウソだ」という論調で彼らが731部隊に所属していたという点そのものを嘘と断じ、「よって証言の内容自体は論じるに値しない」と切って捨てるような風潮があることでも知られていた。
しかし滋賀医科大学名誉教授の西山勝夫が、国立公文書館に保管されていた当時の関東軍防疫給水部のある時点での隊員名簿である『關東軍防疫給水部 満洲第六五九部隊 留守名簿』の存在を知り、2015年に国立公文書館に公開を要請。何度かの交渉の末に、2016年には国立公文書館側が撮影したカラースキャンデータファイルを送付してもらうことに成功した。
そして西山勝夫によって氏名目次などの索引性の高いデジタルデータも作成されつつインターネット公開されたその名簿には、「石井四郎」などの731部隊の幹部隊員だけでなく、この「少年隊」に所属していたとしてこれまで証言をしてきた複数の人物の名前が確かに記載されていたのである。
この名簿に名前が掲載されているから、彼らが実際に防疫給水部に所属していたというその一点はかなり信頼性が高いということが明らかとなったとも言える。国立公文書館に所蔵されていたこの名簿は当時の軍の公文書であり、捏造があるとは考えづらいからだ。
また、同じく西山勝夫名誉教授らが国立公文書館に請求して2020年に公開された別の文書『関東軍防疫給水部部隊概況』にも、「少年隊」という記載が確かにあった事が確認された。
PDFファイルの形式で公開されているこの文書のスキャン画像の14ページ目右端付近、「本部」の「要調項目」の箇所に
一.編成機構に應する人員、狀態
二.錬成隊中 青年隊及少年隊の狀況
㊂.防給全体として下條隊への派遣人名の把握 特に通化事件に関係あるに付重視
㊃.帰国途中各地に下車した人名の裏付
㊄.ハルピン残留人員が双城壁にて武解しているが之等人名の調査
という記載が確認できる。よって、「少年隊」という呼称もまた公文書にて裏付けられたことになる。
「731部隊員であったはずがないから彼らの証言は嘘で論じるに値しない」という足踏み状態から、「公文書を参照する限り、少年隊は確かに存在しており、証言者らは確かに当時防疫給水部に所属していた。その彼らの証言を踏まえて、実際にはどうだったのだろうか」と具体的な論考に移ることができる段階に入ったとも言えるだろう。
また、上記の引用文中にある「錬成隊」と同じものと考えられる組織区分「練成隊」の記述が関東軍防疫給水部に関する別の公文書にも登場しており、そちらでは
本部 「ハルピン」 総務部、第一、二、三、四部
資材部 教育部(練成隊)
診療部
とある[1]。
上記の文書と「練」と「錬」で文字が一文字異なるが、「錬成」と「練成」がほぼ同じ意味であるために生じた表記ゆれとして説明できる範囲だろう。
上記の名簿(「氏名目次」ではなくカラースキャン画像の方)には、それぞれの区分名も記載されているのだが、少年隊員として証言した人物らの区分は「傭人」とある。
この「傭人」とは「雇員」などと同じくいわゆる「軍属」の下級職員である。軍属とは「軍人ではないが軍に雇用されて様々な業務を果たし軍を構成する」人々の事である。すなわち彼らは軍人ではなく軍属であったことになる。
よって、以前からよく言われた「14歳で軍人になれるわけがないからこの証言はウソだ」という主張が意味をなさないことがここでわかる。彼らはそもそも「軍人」ではなかったためだ。
すぐ次の日に。満州のどこにいくとかいうことは判らなくて、軍属ということだけで。軍属というのが僕はよくわからないんですが、兵隊じゃないんですね?
兵隊じゃない。軍隊に属するんですね。給料は軍隊からでるんですね。
階級はないんですね?
階級はあります。4段階くらいに分れますね。ええと下から庸員、雇員、判任官、高等官。高等官いうのは佐官級です。少年隊は庸員になります。
といったやり取りもあるが、上記の名簿の記載と照らすとこの証言記録内の「庸員」とは「傭人」の誤りであったかと思われる。インタビュアーが「軍属というのが僕はよくわからないんですが」と話しているが、その軍属に関する予備知識が無かったインタビュアーが聞き取って記載したために誤表記となったものか。
少年隊に所属していたと証言を行った人物や、あるいは文献や証言などで少年隊員として名称が登場する人物のうち、上記の『關東軍防疫給水部 満洲第六五九部隊 留守名簿』で名前が確認できる人々の一部を、この節にて一部紹介する(なお、ここに掲載した人々で全員というわけではない)。インターネット上に証言記録などが存在する場合は、その証言記録などへのリンクも示した。
ただし「この名簿に名前が無い=実際には所属していなかった」とは言い切れないことには注意も必要である。この名簿の表紙に記載されている日付は「昭和二十年一月一日」であり、「一度は所属していたが、何らかの理由でこの日付の時点にはもう所属していなかった」といった人物は名簿には掲載されていない可能性もある。
また上記の名簿はページに一部破れがあったりする。よって上記のファイル「氏名目次」や「名簿翻刻一覧表」では、文字が判読不能として該当文字が黒塗りで翻刻されている例もある。さらに「氏名目次」や「名簿翻刻一覧表」のファイル内には、単純ミスと思われる「実際とは異なる別の文字で誤って翻刻されているのではないかと伺われる人名」「頁数の誤り」「同一人物を複数個所に2回記してしまっている(片方は誤りで、そこに本来記載されているべき人物が抜けている)」などの例も散見される。
『満洲第六五九部隊 留守名簿』内での掲載ページは、後半に付属する「別冊」の10ページ。
4期生で、同期は34名、同郷からの採用も多かったと語る。
「書籍『特別部隊731』の作者も自分の同期だった」と語るが、おそらく秋山浩による1956年の書籍『特殊部隊七三一』の誤りではないか。なお秋山浩は上記のように1950年代と戦後かなり早期に731部隊の人体実験などについて証言を始めた少年隊員であり、そのためかこの「秋山浩」は変名で本名ではないともいう。
『満洲第六五九部隊 留守名簿』内での掲載ページは299ページ。
上記の清水英男氏より3年先に入隊したとのことで1期生だったかと思われる。
ペスト菌爆弾に使用される陶器製の容器の焼成を行うのが業務内容だったと語る。
『満洲第六五九部隊 留守名簿』内での掲載ページは、後半に付属する「別冊」の14ページ。
岩手県一関市で活動している反戦団体「一関九条の会」が2011年12月10日に開催したイベント「戦争を語る会冬のつどい」にて体験談を講演した記録がある。「私は命じられて、満人部隊にペスト菌を入れたドーナツ・饅頭・飴玉などを配った」などと証言していたようだ。
『満洲第六五九部隊 留守名簿』内での掲載ページは553ページ。
2017年8月13日に放送されたテレビ番組「NHKスペシャル 731部隊の真実 ~エリート医学者と人体実験~」に出演して、当時自分が目撃したという、人体実験に使用される囚人たちについて証言した。
731部隊で保有する飛行機の整備に携わっており、囚人たちが実験のために演習場に運ばれる時に立ち会っていたという。囚人たちは「マルタ」と呼ばれていたと話した。
『満洲第六五九部隊 留守名簿』内での掲載ページは575ページ。
少年隊では3班(井上精二班長)に配属されたと語る。配属されて経験を積んだのちに、「人体解剖後の処理(ホルマリン標本化など)」「人間に何かを注射して死ぬまでの経過を記録する実験の観察係」等といった、人体実験に直接関わる業務についていたことも含めて、かなり詳細に記憶を語っている。
なお、そういった部隊での業務や人体実験やマルタに関する話も多いが、「班長らの目を盗んでくすねたメリケン粉でパンを作って食べた話」「ハルピンの遊郭で買春したときの思い出話」など、当時の日常的な話もかなり混ざっている。
もう一度七三一行きたいですか?
行きたいですねえ。死ぬまでにもう一度行きたいですねえ。なんの贅沢もいわんからもう一度行きたいですねえ。私が七三一におったいうことでその場で射殺されても本望ですわねえ。
といった言葉で締めくくられている。
また、「自らは証言を行っていないが森下清人の証言に名前が登場しており、『満洲第六五九部隊 留守名簿』内でも名前が確認できる」人物を以下に挙げる。
『満洲第六五九部隊 留守名簿』内での掲載ページは、後藤祥太郎は222ページ、和田清美は636ページ。
森下清人の悪友ら。大分出身というつながりからつるんでいたようだ。以下の引用部にあるように、部隊の食品倉庫からかっぱらってきた小麦粉で隠れてパンを作って食べたり、上がることが禁じられていた屋上に上がってみたり、輸送用のトロッコで遊んでみたりと、あまり真面目とは言い難い行動をとっており、それが上官にバレて殴られたりしている。
フルネームが記されているのは上記の「後藤祥太郎」「和田清美」の二名のみだが、「衛藤」「谷口」「小笠原」「佐藤」といった苗字のみ言及されている人物も居る。
このうち「小笠原」のみを除く3名は、『満洲第六五九部隊 留守名簿』の中に「大分県出身」「部隊編入時に14歳~15歳」「業種が傭人」の条件に合う、同姓またはよく似た姓(「衛藤」ではなく「江藤」。森下の記憶違い、またはインタビュアーによる漢字の記載間違いか)の人物が見つかるため、同一人物かと思われる。
見つかった時覚えてますか?
ぱ、と上官がドアをあけた。ボイラーの上で食べよったとき。口に一杯ほおばっとるけん返事がでけんのです。こりゃ降りてこい言われて、口あけいと言われて、開けたらパンがぽろぽろですわね。それが柄沢少佐だったりしたらバーンと殴られて、
1回や2回じゃなさそうですね
ないです。それと上官の部屋の掃除の時が楽しかったね。机のなかに煙草があるんですよ。まー悪いことはようしよった。
一緒に悪いことした悪友の名前覚えていますか?
後藤祥太郎とか和田清美とか衛藤とか大分県からいとるのと一緒にしてましたわね。皆覚えとります。とにかく腹がへるからねー。
その時の状況を思い出してもらえますか。
はい。許可無くして屋上に上がることを厳禁す、という張紙があるんですね。階段の所に。なんでかのう、なんで上がったらいけんのかのう、いうて子供ごころに思ったんですわね。行くないうたら行きたくなるからですね。
ロープかなんか張っていたんですか?
いや、板に張ってあった。何人といえど、許可なく屋上に上がることを厳禁す、と部隊長名ででしたね。
で、一人で上がった?
いえいえ、その時は3人で。えーと私と、和田清美いうのと後藤祥太郎と。皆、大分県の者で。
まあ、なんでも悪いことするのは私ですわね。それと後藤と和田と谷口。みんな大分です。
それでそれからは少し慎重になりましたか?
いやあ、ならんですよ。子供ですから。それと柄沢少佐が時々自分の作業場をまうことがあるんですよね。ほで、薄暗いんですよね。で私らがトロッコで遊びよって、ここまがったところで鉢併せになってしもうた。
どういわれましたか?
キサマラワー! 言われてもすぐとまらん。それからずっと足で止めようとして、止まったところがちょうど柄沢少佐の前。気様ら何しとるか!並べえー!いうてカツーンと叩かれた。頭を刀で。いたいですよ。
その時の仲間もさっきの悪友?
そう後藤祥太郎と和田と谷口。夏やったですね。
買ったんですか?
買ったんじゃない。貰ろて帰ったんですわ。向うも認めて、もってけって。それで服とかも、将校の服なんかもありましたし。2回行きましたわね。
一緒に取りに行った仲間は誰ですか?
私たちのグループは、いつもの後藤、谷口、小笠原、和田、佐藤、それと私ですわね。佐藤いうのは今もこの近くに住んでますよ。前は大分の鉄道に出よった。
『満洲第六五九部隊 留守名簿』内での掲載ページは312ページ。
森下曰く、自分より1つ先輩で、少年隊の中の森下と同じ3班に所属していたという。
それで佐世保もどったときに・・・
DDTまいとって予防接種しとるとこに先輩の鹿児島出身の瀬戸口祐雄(さちお)いうのががいたんです。おー。森下やないか。今ごろ帰ってきたんか、お前も苦労したんやろうなあいうてね。佐世保の検疫所に御飯とおつゆ2つ持ってきてくれたですね。1つ先輩やけど少年隊の3班。同じやった。佐世保で防疫給水しとったんですね。その後も文通してたけど、もう亡くなりました。この人もいい先輩でしたねえ。
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最終更新:2024/12/23(月) 19:00
最終更新:2024/12/23(月) 19:00
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