ロジータとは、1986年生まれの競走馬。主に川崎競馬他の南関東公営で走り、そしてその名を現在まで轟かせる名牝である。名前は百合の花の一種から。
主な勝ち鞍
1989年:南関東競馬三冠[羽田盃、東京ダービー、東京王冠賞]、東京大賞典、ニューイヤーカップ、京浜盃、浦和桜花賞
1990年:川崎記念
※当記事ではロジータの馬齢を活躍時期に合わせ、旧表記で記載します
父ミルジョージ 母メロウマダング 母父マダングという血統。
父ミルジョージは力馬を出させたら右に出るものはいないほどの種牡馬で、一時期の地方競馬では出走馬が「ミルジョージ産駒祭り」な事が良くあった。
母メロウマダングは川崎競馬の馬で、デビュー戦と2戦目をレコードタイムで快勝。その後は大成できずに引退してしまったが、コアなファンや記者は彼女の仔の活躍を心待ちにしていたという。
母父マタングは1977年に重賞2勝のアイルランド産馬。重賞はいずれも短距離で、父に1969年のムーラン・ド・ロンシャン賞などマイル4勝のHabitatを持つマイル・短距離寄りの血筋。
ロジータは450kg台とそれ程大きくはない馬であったが、後脚の蹴りが物凄く、暴れて馬房の天井を蹴り抜いた事があったとか。気性が強いが、指示にはよく従う賢い馬であったという。
88年10月7日、3歳でデビュー。主戦騎手は川崎競馬所属の野崎武司で、以後全レースの手綱を取った。
この年の戦績は4戦2勝、2着と3着を1回ずつ。この時は「強い牝馬」程度の扱いだったが、翌年、物凄いことになる。
年が明け4歳となったロジータは、野崎騎手にとっては重賞初勝利となったニューイヤーカップを皮切りにいきなり重賞3連勝を挙げる。しかも3連勝目は浦和の桜花賞である。その強さを見た陣営は牡馬への挑戦、即ち南関東三冠路線への挑戦を決める。
……いや、「挑戦」などという言葉はロジータには失礼だった。結論から書くと、ロジータは春の二冠である羽田杯と東京ダービーを楽勝した。東京ダービーなんて直線堂々と抜け出す圧倒的な勝ち方であった。
7月、当時は夏のトップレースの一つだった報知オールスターカップで初めて古馬と対戦。ここでは前年の浦和記念などを勝った6歳牝馬ダイタクジーニアスに敗れ2着となったが、この時期の4歳牝馬が古馬に混じって2着しただけでも恐るべきことと言えよう。
ロジータは余勢を駆って中央競馬に挑戦する。当時まだ数が少なかった中央・地方交流重賞のオールカマーである。ところがここには、前年に笠松競馬から中央に移籍し、翌年に一大ムーブメントを起こす「葦毛の怪物」オグリキャップがいた。葦毛の怪物は春シーズンを治療に当て全休し、このオールカマーが復帰戦であったが、それを感じさせぬ走りでレコードタイム優勝。ロジータはコーナーでオグリに弾かれたこともあり5着。ぐぬぬ……。とはいえ掲示板は確保し、国際招待GI・ジャパンカップの地方馬優先出走権をお土産にもらったのであった。
南関東に戻ったロジータは、3冠最後の東京王冠賞へ出走。これを、もうなんというか、「格が違う」としか表現できないレースで勝ち、南関東4冠(3冠+浦和桜花賞)を達成。この時点で「南関東最強、いや公営最強牝馬だ」と言われ、地方馬代表としてジャパンカップへ堂々参戦した。
しかし、勝ったのはホーリックス。そう、あの2分22秒2という目を疑うようなタイムを叩き出したニュージーランドの怪物である。その後方でロジータは……なんとシンガリ負け。しかし負けこそしたが、ロジータの走破タイム2分26秒9は、この年のオークスで勝ち馬ライトカラーが出した2分29秒0より2.1秒も速かった。しかもダービーでウィナーズサークルが出した2分28秒8にも1.9秒差。腐っても地方最強馬、ましてや1989年クラシック世代の日本馬代表として少しは意地を見せることが出来た(このJCで出走した4歳馬はロジータと米国から参戦のホークスターのみ、中央所属馬は無し)。
12月、ロジータは公営の年末のビッグレース、東京大賞典へと出走する。流石にJCしんがり負けの悪評は無視できなかったか、岩手から転入してきていたスイフトセイダイに一番人気を譲る。だが、レース本番ではスイフトセイダイが逃げ切りを計るところ、外から馬なりでぶっちぎって圧勝。「はぁ?なんだありゃあ!?」と誰もがたまげる強さで、ロジータは南関東最強を証明したのだった。
正直、まだまだいける。先がある。ファンは期待したのだが、陣営は早期の引退を決める。早く繁殖に上がって仔に未来を託したいという判断だったのだろう。牝馬は使い切ってしまうと繁殖成績が上がらない傾向が強いのである。90年2月12日の川崎記念がラストランと決まった。
するともう、川崎記念はロジータ一色に染まったレースになった。公式の開催告知板にでかでかと「ロジータ引退記念」と書かれていたというのだから、ロジータが川崎に凱旋、引退するということがどれほどのことだったのかが分かろうというものである。当時はオグリキャップブームが最盛期に入ろうとし、第二次競馬ブームが巻き起こりつつあった。そこにロジータの引退フィーバーが重なり、川崎競馬場は入場者数記録を更新。97年のホクトベガ国内ラストラン・川崎記念まで抜かれることはなかった。
そして今でも語り草になっているのがオッズである。一番最初に発表されたオッズ(つまり前日売り)からロジータの単勝は1.0倍、つまり元返し状態。そしてその状態は締め切りまで一瞬たりとも変わらなかった。それどころか、出走するほかの馬の単勝は全て万馬券。ロジータの絡まない枠連も全て万馬券。なのにロジータの記念馬券(当時は馬券に名前も入らなかったのに)を求めるファンの列は締め切りを過ぎても続き、発走時刻が30分ほど遅れたのである。
そしてレース本番では直線で抜け出して独走。最終直線でロジータが抜け出したその瞬間、川崎競馬場は大歓声・大拍手。8馬身差の独走でゴールした後も、暖かな歓声と拍手は鳴り止む事がなかった。
南関東にはこれまでも非常に強い馬はいた。しかしながら、これほどまでにファンの心を掴んだ馬はいなかっただろう。地方競馬なんて鉄火場であるから、強い馬はバクチの妙味を薄めるとして嫌われるものであるのに。なぜかロジータは博徒のおっちゃんたちまで頬を緩めて応援してしまうようなところがあったのである。
あの日の川崎ほど平和で幸福感に満ちた競馬場を他に知らない。1990年2月12日。まだバブルの真っ只中で、すぐそこにカタストロフが待ち構えているなんて、誰も想像すらしていなかった頃のことだ。直線に入り、後続を引き離して、引退の花道を悠然と駆け抜けるロジータの姿に、スタンドを立錐の余地なく埋めた大観衆から拍手が鳴り止まなかった。ヨーロッパならまだしも、馬券優先の日本では稀有な瞬間。みんなロジータが大好きだったのだ。あまりに幸福な大団円。通常なら物語はそこで終わるはずだが、第二幕、第三幕が控えているのが牝馬の楽しさであり、面白さである。
90年3月3日に引退。繁殖に上がってからもロジータは期待に応えた。母の無念を晴らすかのように中央で活躍する馬が続々と出たのである。
初仔のシスターソノは中央のクラシック戦線を沸かせ、3番仔のオースミサンデーは故障で早世したものの短いキャリアの中で弥生賞2着の実績を残し、5番仔イブキガバメントは朝日チャレンジカップと鳴尾記念を優勝した。最後の仔(15番仔)のオースミイレブンは怪我で大成できなかったものの中央で5勝を上げている。地方では6番仔カネツフルーヴが母に続く川崎記念制覇を成し遂げるなどの活躍を挙げ「ロジータが帰ってきた!」と往年のファンを歓喜させた。
皐月賞でも4番人気に推されていたようにGIレベルでも期待が高く、種牡馬としても楽しみだったオースミサンデーの早世は極めて残念だが、シスターソノの仔・レギュラーメンバーも川崎記念に勝っているように、牝系は伸びるだろう。その牝系から中央のGIを勝つ馬が出るのが楽しみである。
ロジータは2007年を最後に繁殖牝馬を引退し、功労馬として暮らした。繁殖時代から引退後まで牧場のドンとでもいうべき存在だったという。その後2016年12月に死亡。31歳の大往生であった。ただ、この訃報が公となったのはなぜか2017年11月のこと。折しも当年のロジータ記念開催直前での発表であり、開催当日は川崎競馬場に献花台が設けられた。
ロジータの強さは川崎の伝説、そして神話となった。引退年である90年12月には早くも南関東所属牝馬限定の重賞競走「ロジータ記念」(2022年時点南関東SI、3歳牝馬限定2100m、地方全国交流、定量54kg、1着賞金2200万円)が創設され、今日までその名を伝えている。そして2010年に開始された地方競馬による世代別牝馬限定重賞シリーズ「GRANDAME-JAPAN(グランダム・ジャパン)」では、次代のロジータを探す旅の合言葉として「ロジータふたたび。」が掲げられた。
2019年8月には川崎競馬場にも専属の生ファンファーレ隊が誕生。その名も「川崎競馬ロジータブラス」である。奏者はいずれも若手の実力者ばかりなので、ダートグレード競走が開催された際には一度生で聴いてみてほしい。
*ミルジョージ Mill George 1975 鹿毛 |
Mill Reef 1968 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah |
Lalun | |||
Milan Mill | Princequillo | ||
Virginia Water | |||
Miss Charisma 1967 鹿毛 |
Ragusa | Ribot | |
Fantan | |||
*マタテイナ | Grey Sovereign | ||
Zanzara | |||
メロウマダング 1981 鹿毛 FNo.4-m |
*マダング 1973 鹿毛 |
Habitat | Sir Gaylord |
Little Hut | |||
Jellatina | *フォルティノ | ||
Queenpot | |||
スピードキヨフジ 1970 鹿毛 |
*チャイナロック | Rockefella | |
May Wong | |||
イチシンヒカリ | トサミドリ | ||
ニユーライト | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nasrullah 4×5(9.38%)、Grey Sovereign 4×5(9.38%)
南関東三冠馬 | |
南関東限定時代 | ヒカルタカイ(1967年) | ゴールデンリボー(1975年) | ハツシバオー(1978年) | サンオーイ(1983年) | ハナキオー(1986年) | ロジータ(1989年) | トーシンブリザード(2001年) |
---|---|
全国交流時代 | ミックファイア(2023年) |
3歳ダート三冠時代 | 達成馬無し |
南関東牝馬三冠 | チャームアスリープ(2006年) |
競馬テンプレート |
掲示板
16 ななしのよっしん
2022/12/13(火) 09:05:59 ID: rOsichPbcH
>>15 出すならオールカマーの段階で出さないといけないわけで(その年の目黒記念勝ち馬キリパワー(7着)に先着しているから芝でもいけるって雰囲気出したい)。
まあ平成三強(向こうの世界では永世三強)がほかに誰もいないからさらっと流されるかもだけど。
>>14 まあそのあたりはそうよね。川崎記念のこと考えたり、ゲームシステムの都合とかあるからね
17 ななしのよっしん
2023/06/12(月) 21:37:46 ID: oXWeYjKYLt
牝馬の引退レースは年末じゃなく繁殖前の2~3月まで粘る場合も多いけど、そこで代表的なレースをしちゃうのはそう考えたら珍しいね。
18 ななしのよっしん
2023/06/16(金) 15:42:12 ID: tk7UU5aJvM
>>16
スピンオフなら主役張れるかも。シングレの進捗的にも翌年のメジロ家の面々の顔出しに使えそうだし
まぁその後の進展は2.5周年の発表待ちやね、地方含めてダート大拡充頼む
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最終更新:2025/01/11(土) 00:00
最終更新:2025/01/10(金) 23:00
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