エニックスとは、ゲーム会社および出版社である。
元々は創業者である福嶋康博が不動産情報誌配布事業として営んでいた営団社募集サービスセンターの新規事業としてパソコンゲーム市場へ進出するために設立した会社。ドラゴンクエストシリーズのプロデューサーとしても知られる千田幸信氏が合流して、わずか3人で創業された。創業後すぐにゲームコンテスト開催を告知するも、全くの無名であったことから怪しまれ、なかなかゲームを集められなかった。それでも根気強くマイコンショップなどを周り、さらに週刊少年ジャンプ編集部を訪問したところで鳥嶋和彦氏から堀井雄二氏を紹介してもらえることになり、ここからエニックスとジャンプ、堀井雄二との関係が始まった。
集まった316本のゲームの中から受賞作13本が販売され、想定を大きく上回る売上を記録した(堀井氏の作品も販売)。エニックスは買い切りではなく印税契約を結んだため、優秀賞を受賞した「ドアドア」を制作した中村光一少年は、高校生にして月100万円の収入を得たという(上京後の1984年にチュンソフトを設立)。
1985年には任天堂と提携しファミリーコンピュータ市場に参入。翌年に「ドラゴンクエスト」を発売しヒットを飛ばす。以降はドラクエを中心にソフトプロデュースを展開。1988年発売の「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」で社会現象を巻き起こし、業界内での地位を確固たるものとした。また社内に開発部門を持たず外部企業に開発を委託するパブリッシャーとして業界では異色の存在となる。主な委託先にはチュンソフトやクインテット、トライエースなどが挙げられる。
「ドラゴンクエスト」シリーズ関連が事業の多くを占めており、社内には「ドラクエ課」という部署が存在していた。
ドラゴンクエストシリーズのヒットを受け一躍トップメーカーとなったエニックスではあるが、売り上げをドラクエに頼っている状態で、発売されなかった年度は売り上げを落とす不安定な状態が続いていた。これを打開し安定的な売り上げを上げるため、漫画雑誌業界に参入。1991年に月刊少年ガンガンを創刊。草創期こそジャンプやマガジンなどの少年漫画誌同様の作風が多く見受けられたが、年々それだけではなく少女漫画に近いテイストの作品も増え始める。1990年代後半には少年・少女どちらにも当てはめられない独自の作風を持つ作品が多数を占め、当時のファンからは「ガンガン系」「エニックス系」と呼ばれることになる。ガンガン創刊以前およそ15年もの間月刊漫画雑誌で大きな成功が出ない中での成功を収め、業界に旋風を巻き起こした。以降ガンガンWING、Gファンタジーなど次々と姉妹誌を創刊していく。新人の発掘には1982年のプログラムコンテストにならい、自社でコンテストを開催して優秀者をそのままデビューさせる手法を多く取っている。そのため関連雑誌には未成年の作家も見受けられた。特に顕著なのが「妖狐×僕SS」などで知られる藤原ここあで、デビュー当時15歳という若さだった。
前述のプログラマや漫画家以外にも様々なコンテストを開催しており、アニメ企画者や声優のコンテストも開催していた。声優コンテストは1回しか開催しなかったが3000人以上の応募があり、8名しかいなかった受賞者の中には野川さくら、今井麻美、早水リサや榊原ゆいなどが並んでおり、発掘と言う意味では成功を収めている(その後のサポートについてはアレだが)。
2003年4月1日に、スクウェアと合併しスクウェア・エニックスとなった。コンテストでクリエイターを発掘する姿勢は合併後も継承されている。
掲示板
52 ななしのよっしん
2023/08/23(水) 19:13:11 ID: TCMPJXQSbl
>>44
4年前のレスに亀するのもアレだけど
それほぼドラクエと出版部門…もうスタオーは既に死に体の時期だったし
53 ななしのよっしん
2024/02/26(月) 21:53:20 ID: 7btDzNJQkB
国内じゃマイナー雑誌扱いされる方だけど、漫画はジャンプと並んでヒット作や名作が多いんだよね
ゲームはDQだけだったのか・・・(ヴァルキリーとかスタオとか無かったっけ)
アドベンチャーゲームとか結構名作多いイメージあったんだけどな
後は変なゲームというか、バカゲーが多かった印象
色々と個性的な人が多かったと思う
54 ななしのよっしん
2024/04/11(木) 19:03:15 ID: ESe6G09Xul
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最終更新:2024/12/23(月) 10:00
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