ゆきしもとは、「艦隊これくしょん~艦これ~」におけるカップリングのひとつである。
駆逐艦娘「雪風(艦これ)」と「初霜(艦これ)」のペアのことを指す。
史実的には昭和20年4月20日から8月15日における第31戦隊第17駆逐隊に所属した初春型駆逐艦4番艦「初霜」、陽炎型駆逐艦8番艦「雪風」を指し、実質的に「第十七駆逐隊(最終)」と同義。
45年8月15日付で解散。
雪風は第41駆逐隊に、初霜(大破擱座)は31戦隊付予備艦籍にそれぞれ編入された。
「初霜」は第一艦隊第一水雷戦隊(旗艦:「阿武隈」)第21駆逐隊、「雪風」は第二艦隊第二水雷戦隊(旗艦:「神通」)第16駆逐隊に所属して開戦を迎えた。一見接点のなさそうなこの2隻が共に戦った記録がある。
1942年1月、フィリピン・スラウェシ島ケンダリ攻略戦。第一根拠地部隊(旗艦「長良」)指揮下で第15駆逐隊(夏潮・黒潮・親潮・早潮)、第16駆逐隊(雪風・時津風・天津風・初風)、第二航空部隊(水上機母艦千歳・瑞穂)に第21駆逐隊(若葉・初春・子日・初霜)が合流。その際、初春が長良に衝突事故を起こし、初霜が長良から第一根拠地部隊の将旗を預かった。
1944年2月から4月にかけ、雪風・初霜・千歳は一航戦進出に協力せよという命令を受ける。その途中、第三一駆逐隊(朝霜・岸波・沖波)による松輸送作戦の救援要請を受ける。朝霜ら31駆が沈没した崎戸丸乗員救助と対潜哨戒を続け、比較的軽傷だった東山丸の護衛を31駆から引き継ぎ、サイパンに残していた千歳に加え陸軍部隊200名の横須賀帰還を護衛した。一度ここで雪風と初霜は別れるが、雪風には「山雲とともに瑞鳳を護衛せよ」「千歳を護衛せよ」「能代・初霜と共に龍鳳を護衛せよ」という3つの命令が同時に発令された。雪風は山雲・能代・初霜と護衛対象の龍鳳・瑞鳳・千歳が入れ替わりながら南洋への進出と復路の護衛を続けた。この一連の活動中雪風には16駆解散と17駆編入の辞令を受けている。
1944年6月18-20日、マリアナ沖海戦において、補給部隊護衛艦(卯月・雪風・夕凪・初霜・響・栂)は油槽船(速吸・日栄丸・国洋丸・清洋丸)を護衛。米軍機動部隊艦載機の空襲を受け油槽船2隻を失うも奮闘した。なお、雪風は前月接礁によりスクリューを損傷。大和工作班による応急修理を受けるが全速を出せない状態であったため、本隊を離れて補給部隊に配属された。
戦闘や護衛とは直接関係ないが44年11月の第3次多号作戦の後、大和・長門・矢矧を護衛し本土に戻る17駆所属の雪風から多号作戦・マニラ空襲で弾薬を使い果たしていた初霜に対し機銃の弾薬を提供したという記録も残っている。
これら以外にも、初霜・雪風問わず駆逐艦は居合わせた艦で艦隊を組み護衛を頻繁に行っていた。特に雪風はあの「ダンピールの悲劇」[1]で生還した直後にも休みなく護衛任務をこなしており、大きな損傷を受けなかった彼女らは大きな戦闘の合間にも休みなく対潜哨戒や護衛をしていたことを忘れてはならないだろう[2]。
雪風は二水戦第16駆逐隊、のちに第十戦隊第17駆逐隊、初霜は一水戦(一時的に連合艦隊直属)第21駆逐隊で戦い続けた歴戦の駆逐艦であった。第17駆逐隊は雪風移籍直後に谷風、レイテ沖海戦後の本土撤退中に浦風が失われるも3隻の陽炎型駆逐艦(磯風、浜風、雪風)で構成されていたが、第21駆逐隊は末期には初春型(初霜)、朝潮型(霞)、夕雲型(朝霜)と各型駆逐艦最後の生き残りによって構成された混成駆逐隊となっていた[3]
坊ノ岬沖海戦において、初霜・雪風それぞれ所属していた駆逐隊の僚艦を喪失。(詳しくは、磯風(艦これ)、浜風(艦これ)、朝霜(艦これ)、霞(艦これ)等を参照されたし。)生還した雪風・初霜・涼月・冬月の4隻のうち、雪風と初霜によって結成されたのが最後の第17駆逐隊である。
雪風・初霜は坊ノ岬沖海戦から帰投した佐世保から舞鶴へ移動。さらに舞鶴から宮津港に移動する。宮津では航空隊の訓練標的艦として過ごしていたが、米軍による機雷敷設で港内での移動もままならぬ状況になっていた。
昭和20年7月30日、連合国軍による宮津港空襲で初霜は機雷に触れ大破したが艦長の判断で強引にかく座させ沈没は免れた。本艦がポツダム宣言受諾までにおける駆逐艦以上の艦艇で最後の喪失艦となった。9月20日除籍。戦後浮揚解体処分された初霜の錨は東京都墨田区の山田記念病院に保存されている。
宮津港空襲においても生き残った雪風は8月15日付で第41駆逐隊に異動した。その後特別役務艦に指定され武装解除の上復員船として多くの将兵らを日本に帰還させた。復員船任務が終わると賠償艦として中華民国(現在の台湾)に譲渡された。丹陽と改名され中華民国海軍総旗艦として中共軍とも戦い、退役後の1970年台風で大破。のち解体。雪風関係者等による返還運動もあり、中華民国(台湾)より舵輪と錨が日本に返還され江田島・旧海軍兵学校の教育参考館(舵輪)・同庭(錨)に展示・保存されている。
なお、広島県呉市にある第17駆逐隊慰霊碑には、初期の17駆浦風・磯風・浜風・谷風に加えて雪風・初霜の名も刻まれている。
艦これにおいて、ゲームでは、2021年夏イベで実装され、史実で終戦時、雪風及び初霜が所在した宮津湾のすぐ側である伊根に停泊し、艦橋被弾状態で終戦を迎えた迅鯨型潜水母艦「長鯨」が彼女らに言及している。二次創作においては、史実を知る一部のユーザーが作品を上げているのが現状のようである。
ゲーム内でのゆきしもで、共通項があるとすれば「運」のパラメータの高さと改二がそれぞれ実装されていることが挙げられよう。
「雪風」の「運」の値は改装前で50、改と中華民国譲渡後の「丹陽」は60、中華民国から返還されたifたる「雪風改二」は63で、実装帝国海軍駆逐艦娘トップ。「初霜(改二)」の値は53。「まるゆ」を改修素材として用いる「運」の改修上限は「雪風改」99に対し「初霜改二」は100。なお、「雪風改二」の運の最大値はイタリアで戦後も生き残り活躍したGrecaleの最大値と同じ120まで跳ね上がる。
これは、あの坊ノ岬沖海戦で不発弾を受け数名の死者を出した「雪風」に対し、大和から通信代行命令を受けて大和の側に寄り添いながらも死者を出さなかった「初霜」の武勲を最大値に、宮津港空襲で明暗を分けた史実を初期値に反映したものなのかもしれない。
公式4コマでは盛夏の描写で大和に寄り添い初霜・雪風の2人が涼を取る様子や、妙高型改二回にて「五倍の相手だって支えてみせます!」という羽黒改二に対して初期17駆僚艦とともに6人でじゃれあう様子が描かれている。
また、初霜改二回ではペアを組みたそうに雪風も登場している(同回準主役の若葉に窘められていたが)。
2021年8月、ゆきしもの近所で終戦を迎えた潜水母艦・長鯨が実装され、彼女の放置ボイスでは雪風・初霜に言及している。他の艦娘によってゆきしもに直接言及するものとしては現状唯一の事例である。なお、初霜終焉の地である京都府宮津市の市立図書館には、初霜と長鯨に関する史料が所蔵されているので、興味を持った提督諸氏は是非閲覧してみていただきたい。
7月30日は宮津港空襲の日~初霜の大破・着底の日、そして大東亜戦争で雪風が最後に戦った日です[4]。
【2015年作品】
掲示板
16 ななしのよっしん
2017/01/06(金) 19:10:39 ID: dlA6s1RGKK
>>15
艦としてみれば空襲で初霜の生は終わったのだろうけど
乗組員の大半は生存してて丘に上がって終戦まで雪風とあれこれしてたみたいなので
寝たきりになってその場で動けなくなったって解釈もありだな
状況的には生存組扱いされることの多い呉空襲組と大差ないし
17 削除しました
削除しました ID: 17T8HDP4jM
削除しました
18 ななしのよっしん
2021/07/01(木) 02:28:11 ID: NSfk07IaQs
だいぶ遅いレスになっちゃうけど、ようやくゆきしも共に改二になったね、本当によかった
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最終更新:2024/12/24(火) 00:00
最終更新:2024/12/23(月) 23:00
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