1947年(昭和22年)7月29日、樺太生まれ。父の転勤に伴い小学2年生の頃に東京に移り住み、それからは東京育ち。18歳年上の兄がいる。駒澤大学を中退後、服部栄養専門学校を卒業し、調理師免許を所持している。息子にせんだ雄太(俳優・声優・ナレーター)、娘にせんだるか(タレント・実業家)がいる。もともとは犬派だったが、2009年に野良猫を保護したことがきっかけで猫派にも傾き、現在は猫を多頭飼いしている。和田アキ子とは旧知の仲。
小学校3年生の頃から子役・モデルとして活動したが、約2年ほどでやめてしまう。その後、専門学校に通いながら、ムッシュ中野という芸名でフォークバンドの付き人兼司会として活動するようになる。バンドの司会が他のバンドにも広まり、コンサートでの司会をこなしていたところを見込まれ、スカウトされる形でラジオ番組のレポーターの仕事を経て[1]、1969年にはメインパーソナリティとなるラジオ番組を得るなど、芸能界に再度入っていくことになった。和田アキ子とはこの頃からの付き合いがある。
その後、1970年代はじめから数多くのラジオ番組やテレビ番組でパーソナリティを務め、70年代の黄金期を飾る。しかし、過密スケジュールのせいもあり、70年代の後半に体調を崩し、半年の休養を経て復帰したものの、おりしも漫才ブームのあおりを受けたこともあり一時は全てのレギュラー番組を失った。
80年代に入っても芸能活動を続けたが全盛期には届かず、コメディアン・司会業としては陰りが見えた半面、70年代の終わりごろから80年代にかけて俳優としての活動にシフトしていった。近年では生島ヒロシが会長を務める生島企画室と業務提携を行い、ドラマなどでたまに脇役として出演する彼の姿を見ることができる。現在は企業のパーティ等での司会を務めるなどをしながら、5匹の猫に囲まれて暮らしているらしい。
実は1977年に実写映画化された「こちら葛飾区亀有公園前派出所」では、両津平吉役で主演もしている。当時は原作に麗子も登場前で、両津のフルネームも設定されていなかった等、現在のこち亀とは配役や設定が異なる作品となっていた。同作のVHSビデオが発売されたこともあるが、家庭用ビデオデッキが普及する前のことでもあり、現在は入手困難と思われる。
90年代後半から流行った宴会芸、パーティゲームの一種。ゲームの流れは以下のようなもの。
参加者は列を作る。車座になっていたり、隣り合わせて座っている等、宴席・酒席に向いている。まず最初の誰か一人が「せんだ!」と言いながら誰かを指さす。指名された人は「みつお!」と言いながら、また誰かを指さす。「みつお!」と指をさされた人の両隣の人が「ナハッ!ナハッ!」とギャグを飛ばす。「みつお!」と指をさされた人は釣られてギャグを飛ばしてはいけない。これを1ターンとして、「みつお!」と指をさされた人が次の指名者となって、「せんだ!」と言いながら誰かを指さして次のターンが始まる。
ミスした人はお酒を飲まされる、何か芸をさせられるなど、ちょっとした罰ゲームを求められることが多い。
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最終更新:2025/01/11(土) 06:00
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