水谷豊の出世作ともなった、ドラマ「傷だらけの天使」が放送されたのは、今から半世紀前。その誕生のきっかけは、主演したショーケン(萩原健一)が、当時のテレビの健全路線に反旗を翻したことだった。伝説的ドラマが始まる経緯を紐解いていこう。※本稿は、山本俊輔、佐藤洋笑『永遠なる「傷だらけの天使」』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
「健全路線」にモノ申した萩原健一
求めたのは性とバイオレンス
1973(昭和48)年の7月、大人気番組『太陽にほえろ!』において、主役のマカロニ刑事は殉職。演じる萩原健一は『太陽』を降板した。
萩原はレギュラー刑事として出演中から、プロデューサーの岡田晋吉に対し、『太陽』の「健全路線」にモノ申し続けていた。萩原の求めるものは、『太陽』にはなかったセックスとバイオレンスだった。
『太陽』は一切セックス抜いちゃったわけですね。セックスシーンもなければ、セックスに絡んだ犯罪も720本あって3本か4本しかない。それがまずショーケンは気に入らなかったんですよね。今の若者の生活の中を見たら、セックスっていうのが大部分だ。だから、それをドラマの中で描かないのはおかしいって言われたんです。僕はセックスっていうのは誰でもできるわけだから、真似される可能性が非常に強いし、おかしな人がいっぱいいるわけだから、一切ダメっていうことで、ずっと否認してたんですよ。(『STUDIO VOICE』2000年8月号の岡田晋吉インタビュー)
『太陽にほえろ!』は金曜夜8時というゴールデンタイムの放送。子供も見る可能性のあるこの時間枠でセックスを絡めるような犯罪を描くことを、岡田はタブーとしていた。とはいえ、1年間4クールにわたってマカロニを演じ続けた萩原に「ご褒美」をくれてやりたい気持ちもある。そこで岡田が提案したのが、土曜10時という、1974(昭和49)年当時としては「深夜枠」と言ってもいい遅い時間帯の新企画だった。
好きにやっていい
視聴率が取れなくても構わない
昨年の7月、「太陽にほえろ!」(NTV)の刑事役を新人の松田優作にバトンタッチしたショーケン(萩原健一)が、岡田晋吉C・Pに「こんどは、犯罪者側に立ちたい」ともらした。
同局の清水欣也プロデューサーが、渡辺企画とコンセンサスを計りながら企画作りにはいった。
時間枠は土曜日の10時台が最有力ということだった。
8時台の「太陽……」では頑ななまでにSEXを封じ込めていた岡田C・Pが、それを解禁した。(『シナリオ』1974年12月号の市川森一「傷だらけの天使裏話」)