「鬼滅の刃」無限城編 』第一章 猗窩座再来 について質問です。 (※ネタバレを含む質問です。未視聴の方はご注意ください) . 私は元々鬼滅の刃自体にそこまで思い入れがあるわけではなく、原作は未読です。 前作の無限列車編も、今回の映画も、原作ストーリーは不明のまま知人の勧めで観ました(最低限の説明は受けました)。 そんな私でも、次回作もぜひ見たいと思えるほど楽しめました。 しかし1つ、どうしても引っ掛かるというか腑に落ちない点があります。 一言でいうと「猗窩座(あかざ)の過去回想は蛇足に感じた」という点です。 今回の質問は、原作ファン、特に煉獄ファンは、その点について納得しているのでしょうか? という質問です。 というのも、原作未読勢である私の率直な感想として、「悪役にも実は悲しい過去があって…」みたいなシーンは確かにキャラによってはあってもいいかもしれないが、猗窩座に関しては不要だった。 最後まで悪でいて欲しかった。 悪として綺麗さっぱり倒して欲しかった。 というのが率直な感想です。 なぜなら猗窩座は、前作の無限列車編で煉獄を殺した仇であるからです。 煉獄に思い入れがあり、無限列車編での死亡シーンで涙したファンも多いはずです。 炭治郎にとって、またファンにとって、猗窩座は憎むべき仇のはずです。 しかし猗窩座との闘いの中で「煉獄さんの仇」という描写はほとんどありませんでした。 (強いて言えば「煉獄さんの戦いのときにこいつこういう戦い方をしていたな」と思い出すシーンはありましたが) そして猗窩座の悲しい過去回想を2,30分ほど挟んだ後、同情を誘いつつ切ない雰囲気を醸し出しながら消滅していきました。 せっかく煉獄の仇である猗窩座を倒したのに、それが切ない雰囲気になってしまうと、煉獄の死がブレないか? 煉獄の死が軽いものになるのでは? 煉獄が報われないのでは? ちゃんと悪として綺麗さっぱり倒して、煉獄が報われる形にした方がよかったのでは? 煉獄ファンは納得できたのだろうか? という素朴な疑問です。 ちなみに、気を悪くされた方がいたら申し訳ありませんが、映画全体を否定しているわけではありません。 最初にも述べた通り、全体を通して「次回作もぜひ見てみたい」と思えるほど十分に楽しめました。 ただ猗窩座のラストだけはどうしてもひっかかるものがあり「ファンは納得しているのか?」という疑問があります。