回答(3件)
昔からありますよ。 1982年発足の第1次中曽根政権前に中曽根総理、福田赳夫総裁で決まりかけたことがありますが、中曽根氏が拒否して流れたと記憶しています。 当時の自民党は主流派と非主流派で真っ二つに割れていましたから、両派に配慮した折衷案でした。 自民党内が二つに割れているという点では、現状と似ていますね。 これも総裁選後の人事で麻生-高市側の保守派が岸田、菅側に配慮しなかった反動だと思います。
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ちなみに自民党が野党に転じた時代(河野、谷垣総裁時代)については総・総分離という表現はしません。 政権党である自民党の総裁と、総理が分かれた時に用いられる用語です。
昔から自民党内で検討されたことがあったようですが、実現されたことはないようです。 1982年、鈴木善幸総理(鈴木俊一幹事長の御尊父)が退陣した後、中曽根康弘氏を総理大臣、福田赳夫氏を総裁と検討されたことがあったようです。 これまで自民とが多数を占めていたため、自民党総裁=内閣総理大臣となってきました。 かつて、自民党総裁で内閣総理大臣に就任できなかった総裁は2人。 河野洋平氏(H5.7/30~H7.9/30