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仏教思想からすると、自我に実体があると考えると、唯物論か霊魂主義(唯心論とも見なせる)に行き着いてしまう、となっています。そう考えると、ベルクソンは自我には実体はないと考えていたのでしょうか?
仏教思想からすると、自我に実体があると考えると、唯物論か霊魂主義(唯心論とも見なせる)に行き着いてしまう、となっています。そう考えると、ベルクソンは自我には実体はないと考えていたのでしょうか? ベルクソンの出発点は、ダーウィンの進化論に対する反発だったと思われますが、そこから始まった思索の果てに、仏教の真理に接近したと見る事はできると思われますか?
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