回答(6件)

犠牲者数の推計は恐ろしくバラツキが大きいものの、トンデモ論を別にしたら、『無かった』説なんてありませんよ。 無かったのなら、閑院宮陸軍参謀総長名で、松井石根中支那方面軍司令官宛に1938年1月4日付の「軍紀粛清の要請」の文書(国立公文書館アジア歴史資料センターレファレンスコードC04120161000)って一体なんだよ??、ではあります。 南京攻略戦の司令官で極東軍事裁判で有罪になった松井石根が、内外法政研究会(極東軍事裁判の弁護対策を研究する、学者などの民間団体)に対して話した内容が、現在、防衛庁防衛研究所戦史部にあります。そこで、松井石根が何と言っているか、というと… 『捕虜に食はせる物もない、さういふ状態で戦闘しつつ捕虜が出来るから捕虜を始末することが出来ない、それでちょん斬ってしまうといふことになった。(引用者による略)又捕虜となっても逃亡する者もあるし、始末が付かぬものだからシヤーシヤーと射ってしまったのだ。(引用者による略)。だからその問題は所謂半戦闘行動である。』 内外法政研究会の目的からして、松井石根が本心をストレートに言った保証はありません。少なくとも本人の主観では、自分を弁護する為のネタを語ったはずですからね。が、弁護対策を研究している学者達に、自分が不利になるようウソを言う事も考えられず、「戦闘中で取扱いに困るし、与える食料もないので捕虜を殺した」という点は松井石根も認めているのは事実です。松井石根は、自分の弁護を検討している相手に、やってもない事をわざわざウソ付いてやった事にしたの?!、って話もあります。 日中歴史共同研究で日本側の座長を務めた北岡伸一は、雑誌『外交フォーラム』の2010年4月号所収の『「日中歴史共同研究」を振り返る』で、 ~~ 日本の近代史の研究者の中で、南京で相当数の不法な殺人・暴行があったということを認めない人はほとんどいない。それは、戦前から日本の内部でも不祥事として割合知られていた。中国国民党が宣伝に利用したことは確かだが、だから虐殺がなかったということにはならない。 実際、多くの部隊の記録に、捕虜の「処分」に関する記述がある。「処分」のすべてではないにせよ、相当部分は処刑である。捕虜に対しては人道的な対応をするのが国際法の義務であって、軽微な不服従程度で殺してよいなどということはありえない。 便衣隊についても、本来は兵士は軍服を着たまま降伏すべきであるが、軍服を脱いで民衆に紛れようとしたから殺してもよいというのは、とんでもない論理の飛躍である。 ~~ と言っています。 要するに、(少なくとも日本側の研究者の中では)日本側の記録を根拠として、(犠牲者数の推計には恐ろしく幅があるけど)あった、と考えられている、って事です。 そのホンのサワリを御紹介します。(勿論、これが根拠の全て、では決してありません。) 南京攻略戦に参加した第16師団の師団長の中島今朝吾がその日記の12月13日分に… 『大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたる共千五千一万の群集となれば之が武装を解除することすら出来ず唯彼等が全く戦意を失ひぞろぞろついて来るから安全なるものの之が一端掻擾せば始末に困るので』(以下略) 『此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず 一案としては百二百に分割したる後適当のけ処に誘きて処理する予定なり』 と書いてます。元々捕虜はとらないつもりで、「戦意を失ってぞろぞろついてくる」降伏兵を、“片付ける”為には大きな穴が必要だが見つからない、なんて事を師団長(中将)が日記に書いていた、という事です。(「南京戦史資料集 Ⅰ」(南京戦史編集委員会・偕行社・1989年所収) これは命令を出す側(師団長)が日記に書いていた事ですが、命令を受けた側の証言もあって、元陸軍将校と陸上自衛隊将官の親睦団体である偕行社の機関紙「偕行」の1984年8月号の中の『証言による「南京戦史」(5)』には… 第16師団副官宮本四郎氏の遺稿より 『参謀長に指示をうけようとしたが、参謀長は即座に「捕虜はつくらん」と言われたので、後方参謀に話した。暫くすると、紺色の服をきた捕虜が、四列縦隊でゾロゾロやってきた』 児玉義雄氏(第16師団歩兵第30旅団歩兵第38連隊副官)の証言より 『連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。私はこれはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。 師団長中島今朝吾将軍は豪快な将軍で好ましい御人柄と思っておりますが、この命令だけは何としても納得できないと思っております。参謀長以下参謀にも幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。 部隊としては実に驚き、困却しましたが、命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。』 独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊観測班長砲兵中尉沢田正久氏の証言より 『敵は力尽き、白旗を掲げて正午頃投降してきました。 その行動は極めて整然としたもので、既に戦意は全くなく、取りあえず道路の下の田圃に集結させて、武装解除しました。多くの敵兵は胸に「首都防衛決死隊」の布片を縫い付けていました。 俘虜の数は約一万(戦場のことですから、正確には数えておりませんが、約八千以上おったと記憶します)でしたが、早速、軍司令部に報告したところ、「直ちに銃殺せよ」と言ってきたので拒否しましたら、「では中山門まで連れて来い」と命令されました。(中略) この「首都防衛決死隊」は、重機関銃、迫撃砲を中心に装備され、正規兵の外に一般市民の志願兵(大学生など)もかなり加わっていました。全員軍服姿でしたが、英語を話す者、ブロー人具の肩掛け大型拳銃を持っている者も居り、集団行動は、よく統制がとれていました。』 とか書いてあります。 要するに、師団レベルで(中国兵が降伏してきてもそれを認めず)捕虜を殺す命令が『でた』事そのものは、出す側も受けた側も認めている、って事ですね。 国立公文書館アジア歴史資料センターで「南京附近戦闘詳報 歩兵第33連隊」という軍内の公式報告が見られます。(御自身で確認される場合は、↓のページにレファレンスコードC11111198100を入れてリンクを辿って下さい。これ以外のアルファベット1文字+数字11桁も同様) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/reference その全44画像中の43画像目にある『戦闘詳報 第三号 附表』には、 浮虜(俘虜の間違い=捕虜のこと)の数として、将校14、准士官、下士官、兵3,082という数が記載され、更に『俘虜は処断す』、(敵の遺棄死体の表のところに『十二月十三日の分は処決せし敗残兵を含む』と書いてあります。明らかに降伏してきた中国人兵士を処刑しています。処刑しなきゃ、死体にはなりませんからね… という訳で、第16師団では、師団長レベルから「捕虜は処分(処置・処決)せよ」という命令がでて、それが指揮命令系統を通じて伝達され、実行された、という事が、この三つの史料《だけ》でわかります。歩兵第33連隊は第16師団に属していました。 それでも、『中国軍及び中国軍督戦隊による、自軍や住民の虐殺』で『日本が敗戦にしたことにより、この事実をすり替えた』とか『アメリカからの援助を得るための中国国民党中央宣伝部国際宣伝処によるネツゾー』とか、言っちゃうオキノドクでイタイタシイ人が日本の一部にいる、って事のようですね… 南京攻略の総司令官の松井石根や、その下の中島今朝吾第16師団長や、さらにその下の将校や、歩兵第33連隊の公式報告である戦闘詳報が、『中国軍及び中国軍督戦隊による、自軍や住民の虐殺』を、自分達がやったことにすり替えたんですかね。(爆笑) そうしたすり替えに陸軍参謀本部もひっかかって、松井石根に軍紀粛清の要請を参謀総長名で出しちゃったんですかね…(爆笑) ついでに言うと… 国立公文書館アジア歴史資料センターで見られる『支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)昭和15年11月』(レファレンスコードC11110762200)には… ~~ 第三 主として戦地に於いて著意すべき事 (中略) 事変勃発以来の実情に徴するに赫々たる武勲の反面に掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺等皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ為に聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とする所なり ~~ 陸軍内の教育用資料の《案》であって、これが実際に配布されたかどうかは私にはわかりませんが、掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺などが続いて、戦争目的の達成の障害にすらなっている、と言う認識があったのは間南京事件って、たくさんの犯罪の中の一部に過ぎなかったのですね。日本陸軍にとっては… こういう陸軍自身が残した史料が、今や誰でもその気になれば読めるのにねぇ… 超長文失礼。

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>南京事件ってあったのか、なかったのかどっちですか? 南京事件は事実としては、ありました。 ただし、 中国軍及び中国軍督戦隊による、 自軍や住民の虐殺という事ですね。 日本が敗戦にしたことにより、この事実をすり替えたという事です。 尚、 当時の中国軍上将や、在中外国人・・・ そして何よりも、数千人に及ぶ南京住民の証言により、 この事は、証明されているものです。

台湾の自由化により機密文章が公開され、日本軍による南京陥落時の虐殺行為は、アメリカからの援助を得るための中国国民党中央宣伝部国際宣伝処による捏造であったことが判明しています。

あなたの言う南京事件が何を指すのかが分かりませんが 一般的に言われる30万人の大虐殺は誇張(嘘)だと思います ただ被害者視点から見ると100人も1万人も大虐殺には変わりはないと言うことは事実です 戦争なのですから人が死ななかった筈がありません 逆に南京城の無血開城なんて話は加害者視点からしても聞いたことないですよね?