これは以前、私が書いたショートショートの内容です。 「真夜中、空腹で目覚めた男は、冷凍庫に入れた餅を食べようとする。 餅を切り分けようと包丁を取り出すが、突然停電になってしまった。それでも真っ暗闇の中、餅を切ろうとする。だが餅はカチカチに凍っていてなかなか刃が入らない。力任せに包丁の背を押したり、叩いても切れず、その時、明かりが戻り、男はゾッとした。包丁の刃の向きが逆だった。」 ←「刃の向きが逆だったら、手は切れてるだろ」という批判をしてくる人がいます。 この話はミスによるゾッとする恐怖を描いていますが、このミスの背景にあるのは、奇跡的に助かったという稀有な体験です。 奇跡や稀有な体験は注目されるもので、九死に一生のドキュメントドラマにもなったりします。 つまり、「手は切れてるだろ」と言って、この奇跡の稀有な体験を否定することは、ドラマを描くべき小説そのものを否定することになってしまうのです。 「刃の向きが逆だったら、手が切れてるだろ」とは、 「雷に打たれたら、死んでるだろ」とか 「ヒグマに遭ったら、殺されてるだろ」などと一緒です。 その「助かった」貴重で稀な「奇」を書くのが小説であり、だからこの話の「手は切れてるだろ」との批判は、現実ではそうなるという理屈の正しさを述べたに過ぎず、創作物の目的にはそもそも立脚しないのです。 従って、この批判は的外れだと思います。 どうでしょうか?