いつものこと

あうう、先週末から風邪でダウン('A`)
7日のアニメ会ライブに久々に行こうかと思ってたら、急に気持ち悪くなり発熱してました。ここしばらく風邪も引いてなかったけどねえ。東京の空気は汚れてるよ!
もうだいぶライブとか何も見に行ってないので、なんか見に行きたいんですけどねえ。
んでまたしばらく家を空けるので更新がまた途切れるんですが、もう何時もの事というのがまた悲しい……

それはそうとウロンちゃんが更新してました。なんか更新スピードが上がってて嬉しいです。
いや100人しかみてないなんてこと…
なんてこと…
……どうなんだろう。

ここ最近見て面白かったアニメ

 ということで活字編もひと段落したところで、今回は2007年度で面白かったアニメベスト10でもやってみようかと思ったのですが、
 えーそもそも去年から今年にかけてアニメをさっぱり見てませんで*1、ベスト10挙げようにも毎週毎週ちゃんとチェックしてたアニメが10本以下ということです。ていうか1本ぐらいかも。
 まー仕方が無いんで、劇場版アニメやDVDで見たもの、ネットで見たものなんかも含めてのベスト10ということで、
2007―2008年放映のもの以外も含めての、あくまで「ここ最近見て面白かったアニメ」をご紹介したいと思います。

第10位 秒速5センチメートル


 鬱病誘発アニメとして名高い、ごぞんじ新海誠の劇場アニメ最新作。
 公開当時に見に行ってたのですが、なんだかすっかり感想書き忘れてましたな。なのでこれだけちょっと詳しく感想。
 物語自体は相変わらず中学生のポエムみたいな感じで、「もう!見てるこっちが恥ずかしくなっちゃったわよ!」と赤面しながらもほんのちょっぴり素直すぎる誠くんを羨ましいと思ったりする天野邪子とか伊知川累的なポジションに思わずついてしまうそんな作品。
 最後の最後でヒロインを寝取られて主人公は孤独な無職になって終わるという斬新なエンディングには「こ、これが新海流のリアリズムなのかーっ!?(;´Д`)」とぶっ飛びそうになりましたが、あれは「美化された幼少時の記憶にいつまでも呪縛されてることはない」という、解放のメッセージと解釈すれば…
 でも解放されちゃってどうするんだろう?(;´Д`)
 主人公の貴樹くんは最後はさわやかな顔つきになってましたが、結局事態はなんも良くなってないしねえ。エンディングの後はハローワークにでも向かうんでしょうか。
 監督はパンフレットで「どんなつらいときでも美しい風景の中に自分は生きてるんだと思えればケセラセラさー」という旨の発言をされてますが、そういう考え方があの凄まじい風景描写に繋がるんですかな。
 ということで風景描写なんですが、本当に極まって綺麗ですね。あの田んぼしかない両毛線の風景がここまで美しくなるのか!と感動しました。最近のアニメは舞台に現実の地域を設定してたものが多いですが、作品の中でその地域である必然性があって、加えて泣きそうなほど感動する背景が描かれている作品というのは、実に貴重だと思います。
 背景画集とか出たら買うのになあ。DVDの限定版とかにはついてたんだっけ?ともあれ、全体的に良い作品だと思います。ただ「耳をすませば」系列なので即死攻撃に耐性の無い人は注意な。

第9位 涼宮ハルヒの憂鬱


 いや、実を言うと見てなかったんですハルヒ。
 こんなエントリ書いといてなんですが。
 きっと面白いんだろうなーとは思いつつ、「まだ俺にとってハルヒを見るべき時は来てない」というわけわからない直感により長らく回避していたのですが、去年の秋口くらいに意を決して視聴、ああなるほどコレは面白い、若い子に受けるもんだべと感心してました。
 ハルヒの感想や作品解釈なんかは佃煮にしても余るくらい出回ってるわけですが、特に気になったのはやっぱりこれですかねー。あのサイゾーのハルヒ記事書いてた人みたいですね。まあ幾つか思うところはありますが、成程こういう解釈もあるだろうなっつう感じで面白いです。惑星開発委員会の本とかも色々手に入れて読んだりしてるので、またいずれ。
 なにはともあれ、ハルヒ自体は面白いアニメだとは思うんで僕のように「なんかハルヒを見る時が来てないような気がする」人はそろそろ見ても良いと思いますよ!

第8位 天元突破グレンラガン


 久々に脳みそアッパーなロボットアニメがやってきたぜ!最後の方の目ん玉グルグル具合とか見るに、石川ゲッターリスペクトな作品なんだろうなと思うんですが、ああいうぶっ飛び具合の作品はナイスですね。
 一応ロボットアニメ史を辿るような意匠が盛り込まれているらしいので、物語の展開からガイナックスのロボットアニメ観とかを読み込むのも面白い作業だと思いますが、それよりも単純に爽快感溢れるロボットアニメとして見ても非常に面白いです。
 ドリルギュイイィーンッ!ミサイルズガガガァーンッ!バキューンッ!ズバーッ!ビーッ!ドカーンッドバーッズババババァーン! てな感じで、とにかく盛り上がるだけ盛り上げる展開や気持ちの良いキャラクターたちは、子供向けロボットアニメとしてかなり高い水準にあると思いました。
 でもこれ子供は見てたのかな。近所のトイザラスには結構プラモが残ってるんだけど(´・ω・`)

第7位 電脳コイル

 相変わらずNHKはポルノアニメを量産してやがるぜ!
 再放送でヤサコさんの腹黒さを確認しつつ、「やはりブサエとダイチがキャッキャウフフでヤサコとイサコの子作りな第二期を作るべきである」と思いを強くする次第です。
 テレ東の入らない地方では、コナン君を除くと土曜6時半のNHK教育アニメが唯一のゴールデンなんて場所もあったりするので、そこでこういう良いアニメを放送するのは素晴らしいこってす。
 あと主題歌が良いなあと思って歌ってる人を検索かけたら江原啓之とコラボしてたりしてゲンナリしたのも良い思い出。でもないか。

第6位 地球防衛企業ダイガード


 これは知人に借りて見たもんなんですが、いやー久しぶりに見ても面白かったです。これももう10年近く前になるんですかね。確かこのアニメがコブラツイスターズ初体験だったような。
 リアリティロボットもの+踊る大走査線という一見陳腐そうなモチーフなんですが、90年代後半のエヴァコピー作品とは一線を画すものがあると思います。「仕事としてロボットで戦う」という部分のせいかですかな。
 こういう雰囲気のアニメも少ないんで、続編とか出来たら嬉しいですね。無理だろうけど。
 あとこれもエンディングテーマ好きだったなあ。

第5位 おにいさまへ…

 

 噎せ返るほどの出崎臭。
 これは「埋もれたアニメを語る〜あなたの知らないアニメの世界〜」というロフトプラスワンでやってたイベントで紹介されてたアニメなんですが、面白い…というか、いや、面白いことは面白いんだけど、面白いとかを超越したなんか情念がズッシリと伝わってくるアニメでした。DVDのチャプター画面からもう「こいつはヤクいぜ!」と思わず口にするほどのオーラが放たれています。
信夫マリ子さんの「ポルノ作家の娘」には笑わせてもらいましたが、なんといっても朝霞れいさまのフライングなシーンが一番でしたかねー。あと一の宮蕗子こと我らの宮様はこえー宮様こえーでもおにいさまとくっ付いて欲しいーって感じでした。
 あれだ、ヤンデレがどうこう言うひとは「おにいさまへ…」を見ると良いと思うよ!
 イベントは第2弾が今年の5月にやるみたいですね。行けるかどうか分かりませんが期待してます。

第4位 河童のクゥと夏休み

 俺的07年ベスト映画。次点は「レミーのおいしいレストラン」。ってノミネートし忘れてたわそういや。まあ良し!
 絵がキモイと敬遠してる人を結構見かけますが、動いてるのを見るとクゥも可愛いですよ。
 「どうせ夏休み家族向けお涙頂戴爽やか映画なんだべ?」とか思ってる人は考えを改めたほうが良いですよ!こんなに血飛沫舞うアニメはそうそう見られやしないですよ!
 カラスの脳みそバーン!近くのおばさんに顔射!岩手!幼女とおすもう!犬が死ぬ!河童も死ぬ!座敷童子ババア!宅急便!ヒューマンニンジャサムラーイ!埼玉!カラスの脳みそバーン!CLAMPの「X」っぽい東京タワーカタストロフィ!ちんこ!マスゴミ!ブリーフをはいた少年!家族の絆!カラスの脳みそバーン!沖縄!
 とまあ以上、この作品の重要なキーワードを幾つか挙げましたが、御覧のように「家族の絆」くらいしか良い言葉が入ってないでしょう!?子供が見ても大人が見ても楽しめるハートフル&バイオレンスな作品なんですよ!好き嫌いしないで是非見て欲しいアニメ。おすすめです。
 でも映画館だと家族連れとオタクしか居ないと思ったら女性一人の客が結構いたんですが、どういう客層なんだろ?

第3位 夢のクレヨン王国

 
 これももう10年前の作品ですね。…実を言うと、この作品はニコニコしたアレをナニしてソレで見た作品だったりします。
 まあその辺の話はさておき、「人には優しくしよう」「困っている人は助けよう」「つらい事も多いけど、ありのまま生きていこう」「欠点は受け入れて、長所に変わるよう努力しよう」という非常に教育的なメッセージを、ドタバタなコメディの中に入れているザ・子供向けな作品。
 笑って泣いて考えさせられてまた笑って、いやーそうだよアニメってこういうんだよ!これがアニメだよ!という気にさせられる作品。のちの「おジャ魔女どれみ」にもこういう精神は伝わっていきますね。
 やっぱり下手にオタ受けを意識した作品より、こういうド直球子供向けのアニメの方が好きだなあ。
 ということで「ボンバーマンジェッターズ」とか「ムシキング」とか好きな人にもオススメ。そういうのが好きな人はオススメされなくても見てるわっつう話ですが。
 プリキュアも悪くは無いんですけど、そろそろセラムン系から路線を戻してほしいなあという気もします。


 え、ナージャの二期?ああ、そういうのはいいから。*2

第2位 チャージマン研

 
 今年最も衝撃的だった作品といえば、なんといってもチャージマン研を置いて他ありますまい!
 これも件の「埋もれたアニメを語る〜あなたの知らないアニメの世界〜」で初めて知ったのですが、いや、
 これは凄い!凄すぎる!
 そうだ、これがオタクだ!オタク好きのするアニメだ!
 おかげで僕もクソアニメの道がバーっと開けていきました。
 ありがとう「埋もれたアニメを語る」の皆さん!ありがとうロフトプラスワン!ありがとうアニメの王国通り!ありがとうチャージマン研!ありがとう…


 多くは語りません、僕が一番お気に入りの話「頭の中にダイナマイト」を御覧ください、見ればわかる、わかるんだーっ!
 

第1位

 さていよいよベストオブベストの発表です。まあ2007年度のアニメといえば、オタク業界はあのアニメが席巻していたといっても過言ではありますまい。
 というと皆さんピンと来たでしょう。まあ地方とアニメがどうだこうだと何度も語ってきたこのブログで、あのアニメを外して語るわけにもいきませんからな。
 なんか鉄板過ぎて意外性もクソもないですが、まあその辺はね。
 さあそれではいよいよ発表です!
 栄えある(あるかな?)ここ最近でもっとも面白かったアニメ、それはご存知……






























































 やっとかめ探偵団だーっ!
 
 物語は清水義範原作小説という磐石な基礎をもち、そこにアニメ独自のデフォルメされた絵柄を導入し、原作には無かった「マイマイ探偵団」などのエッセンスを加えることで、既存ファン層にも高い評価を受けました。
 また新規視聴者に対しては「ババア」「名古屋弁」「三遊亭円丈師匠」といったオリジナリティ溢れる萌え要素がふんだんに使い、またそこから「名古屋萌え」という独特の世界観を構築したことで、かつてないほどに高い独創性を打ち出し、圧倒的な支持を集めました。
 また「スポンサーとの契約が切れて放送打ち切り」という番組の外のトホホな出来事も含めて、審査員(俺)から非常に高い評価を得たため、2007年度最優秀アニメの座にぶっちぎりで輝くこととなりました。
 第一話から「老人による痴情と痴呆のもつれで起きた殺人事件」を描くと言う、非常に社会性が高いんだけど日曜朝に放映する内容じゃねーだろ!とツッコミを受けることを厭わない、実に勇敢かつユーモラスな番組に、名古屋っ子はもうメロメロ。
 その名古屋プロパガンダとも取れる内容に全国で議論が巻き起こりましたが、これもまた人気作品の宿業とでも言えるでしょう。
 審査員が視聴したのが1月以降であるというハンデをものともせず、他の優れたアニメの数々を追い抜いての優勝となりました。このダークホースの活躍に大きく貢献したニコニコ動画にも拍手を送りたいと思います。
 あ、ニコニコで見たってバレちまったよ!


 なにはともあれ、「やっとかめ探偵団」、マジで面白いアニメです!DVDとかはもう絶対出ないでしょうから、まだ未見の方はアレをソレするような方法を使ってでも是非見てください!





 え、「らき☆すた」?
 うむ…あれはまだ見るべき時が来ていないのだ…っ!

*1:放映してないというのも大きいんですが

*2:一応言っておくと明日のナージャは大好きですよ!ホント!

ここ最近読んで面白かった本(活字編その3)

 月曜日に休んでるってとても素敵なことね。なんか後々つらいことが待ってそうだけど。
 ということでこのシリーズも無駄に3回もやってきましたが、そんなシリーズ化するほどの数を読んでないので、アマゾンの注文履歴を見て「あー確かにこの本読んだなあ」とか「そいやあの本も積んどったワイ」と思い出しながら書いております。
まあ今回で活字編も一区切りですよ。

犬の現代史

犬の現代史

 まずは動物の話。
 この本は押井守の「立喰師列伝」でも紹介されてたもので、戦前から戦後すぐまでの、日本における犬の扱いの変遷をまとめた書籍です。
 犬と言っても人との関わり方は無数にありまして、この本の中では「軍用犬」「狂犬病」「動物愛護運動」の3つに焦点を絞って紹介されているのですが、それぞれの犬の扱い方の移り変わりから、社会はどのような変化を辿ってきたのかを明らかにしております。
 「立喰師列伝」に出てきたのは毒ダンゴを用いた薬殺が戦後に多く行われたっつう下りで、東京オリンピックを控えて諸外国に治安や衛生環境の良さを誇示するために、片っ端から野犬を殺しまくったという話ですね。いや中国とかも今そんな感じらしいんですけど。
 その他のトピックとしては、戦前の警察犬や軍用犬に対する需要が、戦後のペット産業の発展に繋がってきたりだとか、日本の動物愛護運動はそもそも駐日イギリス人外交官とかのマダム方が中心になって始まったですとか。
 要するに昨今の「可愛いからペットは正義」的風潮なんざ日本じゃこの数十年のもんだよべらんめえということです。
 ネットやってる人は犬より猫好きな人が多そうですけど、猫もまー昔はガキや犬にしょっちゅう面白半分で殺されてたという話もありますし、日本人もそんな上等なもんじゃないですな。
 犬という存在から戦前〜戦後の期間の社会史を紐解いていく作業はなかなか面白いもんです。昭和30年代以降から現在までは、巻末年表にざーっとまとめられているものの、詳しい記述が無いんでそういうところについての話も読んでみたいですね。

川は誰のものか―人と環境の民俗学 (歴史文化ライブラリー)

川は誰のものか―人と環境の民俗学 (歴史文化ライブラリー)

 でこちらは魚とコモンズの話。
 「コモンズ」というと、ネットではレッシグとかの「クリエイティブ・コモンズ」についての議論が中心になってます。まあそりゃネットという表現媒体使ってる人にとってはそっちのほうが身近で重要な問題ですからむべなるかなつう感じですが。
 川を上ってくるサケは今でこそ金銭的価値も大して無いもんですが、身から皮まで余さず利用していた前近代社会においては金が海からやってくるような存在だったそうな。
 しかしそんなサケを獲るのも地域において一定のルールというものがありました。
 たとえば新潟県の大川流域においては、サケ漁はコドと呼ばれる昔ながらの仕掛け漁でちょっとずつ獲るというやり方が採用されていました。
 しかし網漁を行って一気にサケをその村の人だけで獲り尽くすということも出来るはずなのですが、そうなるとその上流の村々との間で利権をめぐって激しい争いが繰り広げられることになります。実際に歴史の上では川からの利益を奪い合い、村と村とで紛争状態になることもしばしばあったとか。
 そうした長年の縄張り争いが、村々の川の利用可能領域を定める境界線を厳密に設定し、コドという仕掛け漁を行うようにすることで、網漁で一つところが鮭を独占しないように様々な慣習法が成立していたそうです。
 こういった歴史を重ねた上で作り上げた、「川はみんなもの」という人々の意識、つまり「コモンズ」というものが、現代社会においては村と村、人と人との関係性を作り上げる大きな要素になっている、ということが書かれた本です。

計算不可能性を設計する―ITアーキテクトの未来への挑戦 (That’s Japan)

計算不可能性を設計する―ITアーキテクトの未来への挑戦 (That’s Japan)

 昔の話から一気に現代の最先端な所に話が飛ぶんですが、「現実社会において実際に人が介在している場で、情報技術というものがどのように役立てられるか」ということについて研究している人が神成さんという方らしいんですな。
 でまあその人と宮台真司がコンピュテーションと社会・人間というテーマで語りあっているのが本書です。
 宮台本も「まぼろしの郊外」とか「制服少女の選択」のあたりの援助交際本読んだくらいで他はさっぱり読んでなかったんですが、この人今はこんなんやってんのねえと感慨深く…もねえな別に。
 地域の農業の話からユビキタスコンピューター、地方のハコ物の話からグーグルやマイクロソフト、大学教育の話から技術と社会のありかたについてまで、様々なトピックを扱っているので、ITとかようわからんっつう人でもどっかしら引っかかる話はあるんじゃないかなと思います。
 個人的に面白かった、というより笑ってしまったのは、「IT業界の連中が一般人にわけのわからない横文字の言葉を使いまくって話すのは、自分たちが社会の要請に即したことやってないのをやってないのを誤魔化すため」つう旨の話ですかね。
 まあ確かに、スラッシュドットとかITmediaとか、それこそはてなのブログとか、そんな単語は日本語で言えよ!英語使う必要性ねーだろ!つう所でもカタカナ横文字つかって格好つけてる文章とか多いなーとかちょっと思う時はありますが、それを実際に情報関係の人が言うのは珍しいなあと思ったり。

神成 コンピューター分野というのは、学問としてもテクノロジーとしても非常に発達段階のものです。先日もIP電話の不通トラブルが騒ぎになっていましたが、あのようなトラブルは今後も社会のさまざまな局面で起きていると思います。私自身が製造業と連携して感じていることは、いかに、いまのITというものが精度に対する考え方が甘く、ある意味いい加減であるかということです。
 ……
 それがばれるのが怖いから、むやみに英語の略語を多発して、IT業界って難しいという印象を打ち出しているのでしょう。IT業界の方々の話には、むやみに専門用語が多いと思いませんか?この専門用語により、いわゆる、村社会をつくっているのです。
それが、社会全体をゆがめ、宮台さんが指摘したような、あるいは私が製作立案の現場で感じたような乖離をもたらしているのではないでしょうか。
(神成淳司「計算不可能性を設計する ITアーキテクトの未来への挑戦」ウェイツ) 

 アーキテクトというエリートとその育成という問題については、なるほど最近の宮台真司がエリートどうこうとか言ってるらしいのはこういう事かと納得しましたが、これはまだこれから色々考えなきゃ行けない問題だなあと思いました。


木枯し紋次郎 (一) 赦免花は散った (光文社文庫)

木枯し紋次郎 (一) 赦免花は散った (光文社文庫)

 でたー!ということで僕らがヒーロー木枯らし紋次郎兄貴の登場だーッ!
 市川昆のドラマが有名なこの作品、ドラマもそうですが小説がガチ喪向けの傑作です!
第一巻第一話でさっそく罪人として島流しの憂き目にあってる紋次郎親分、なぜかというと、世話になった兄貴分の身代わりに、罪を被って流刑になっておりました。紋次郎親分はお夕という女を慕って、その女にも慕われていると思っていたのですが、自分が島流しにされる際、そのお夕さんが橋から身を投げて自殺してしまいます。
 「ああ、俺なんかのためにカタギの娘さんが死んでしまった('A`)」と罪悪感に悩む紋次郎親分。
 流れ着いた先の島は、隙あらば他人を裏切って自分だけ助かろうという連中の集う悪人島。
 そんな島で紋次郎親分は、身投げした娘と同じ「お夕」という女囚の面倒をついつい見てしまいます。こちらのお夕さんは島で売春してなんとか暮らしており、父親の知らぬ子をみごもっていたんですが、ある日とうとう身投げしてしまいます。
 しかもほぼ同時に、兄貴分が実は自分に罪を着せて暗殺しようとしていたことが判明、裏切りと別れのダブルショック。
 「ああ、また俺の身の回りの人が死んでしまった。しかも信じてたアニキには裏切られるし('A`)」と思うも、それを機に島から脱出することを決意します。
 しかし脱出過程でまた人の裏切りや醜い内輪揉めに巻き込まれ、何人も居た仲間の中、唯一人生還した紋次郎親分。
 そして元の町にもどってみたら、死んだはずのお夕さんがピンピンしていることが判明。なんとお夕は実は兄貴分と出来ており二人でグルになって紋次郎を殺そうと企んでいたのです!('A`)
 ただ罪を着せただけではいつか戻って来て真実を知り、復讐されたりするかもしれない。そこで兄貴分への義理人情と、娘を死なせたという罪悪感を植えつけて、腑抜けにしたところを殺そうと画策していたわけです。
 しかもこのお夕さん、ブチ切れた紋次郎親分に追い詰められると、「私のおなかの中には左文治(紋次郎の兄貴分)の子供がいるの!左文治を殺さないで!」てなことを言うのですが、紋次郎兄貴は一言、
「赦免花は散ったんでござんすよ」
 とつぶやいて、左文治を切り捨てたのでした。くーかっこいい!でもなんだか意味の分からないセリフですが、紋次郎兄貴自身よく分かってないで使ってるので問題ないです。お夕さんは生きてますが、めでたしめでたし。ってめでたくもねーよ!
 とまあのっけから「バハムートラグーン」 並にひどい展開の話なんですが、どの話も負けず劣らず鬱になるような展開ばっかりで、基本的に紋次郎親分が女に裏切られてひどい目にあるか、男に絡まれてひどい目にあうかのどっちかという話ばっかりです。
 姉萌え喪男の紋次郎親分の冒険はまだはじまったばかりだぜ!

どこかで誰かが きっと待っていてくれる
雲は焼け 道は乾き
陽(ヒ)はいつまでも 沈まない
心は昔死んだ
微笑には 会ったこともない
昨日なんか知らない
今日は旅を一人
  
けれども どこかで
お前は待っていてくれる
きっとお前は 風の中で
待っている
(上條恒彦 「だれかが風の中で」)

ここ最近読んで面白かった本(活字編その2)

内なる目―意識の進化論 (科学選書)

内なる目―意識の進化論 (科学選書)

つうことで前回の続きなんですが、進化心理学系で他に読んだ本としては、このニコラス・ハンフリーの本くらいですかね。
この本だけは借りて読んだやつなんで手元に無いのですが、大まかな内容は、「人の心の意識とは進化的に見てどのような役割を持って淘汰に勝ち残ってきたのか」というものです。

意識という言葉によって私が意味するのは、私たちが自らをどのようなものとして思い描いているか、その内なる像、つまり自己認識のことである。私たちの一人一人に「自我」と呼ばれる心(自己、魂……)が存在することを言っているのだ。思考のほか、感情、感覚、記憶、願望を持つものが「自我」である。私自身の存在と、自らの時間的な連続性を意識しているのが「自我」である。要するに、「自我」こそまさに人間であることの本質なのだ。
(ニコラス・ハンフリー「内なる目―意識の進化論」紀伊国屋書店)

引用文はこちらから孫引きさせていただきました。
「私は今ブログを書いている」とか「私は喉が渇いた」とか「目の前の人はおなかが空いて苦しそうだ」という、自分や他人の心がどうなっているかについて考える「意識」や「自我」というもの。こうしたものは人類のほかチンパンジーにそれっぽいのがチョイと見られる程度で、犬や猫は自分が何を考えているかとか、飼主が今何を感じているかなんてのを意識することは出来ません。
自然界でも極めて特異なこの性質は、進化の上でどのような価値を持っていたのでしょうか。それはおそらく「自分の心をモデルとして他人の心について洞察できる」能力があることで、他の社会性動物は持たない類のコミュニケーションを可能にし、それによる生存能力の大きな向上をもたらしたのではないか、つうことですね。
またこちらから孫引きさせてもらいますと、ようは以下の文章にあるようなことなわけです。

他者に当てはめるためのモデルとして自らを使うというこのトリックは、人類に非常によく役立つものとなっている(そしてこれまでもつねに役立ってきた)ほどなのだ。つまり、常識としてあるいは科学として知られている他のいかなる心理学の実践法よりも実際に優れているのである。
 進化的な見方からすれば、それは巨大な飛躍だったに違いない。競争相手たちの内面生活について現実性のある推量を行なえる能力を発達させた最初の人類の祖先が手に入れた生物学的な恩恵を想像してもみよ。他人が何を考え、次にどうしようと計画しているかを思い描くことができ、自分自身の心を読むことによって他人の心を読むことができる。共感、同情、信頼、反逆、裏切り(まさに私たちを人間たらしめている要件)といった、人間の社会的関係における新たな協定への道が切り開かれたのだ。
(ニコラス・ハンフリー「内なる目―意識の進化論」紀伊国屋書店

この本はBBCだかのドキュメンタリー番組用の内容を本に直したもので、あんまり専門用語とかも無く、挿絵入りでサクサク読めるのでおすすめです。高いけど。
進化心理学関連はこんなもんですかね。

まっとうな経済学

まっとうな経済学

経済学とか勉強したいなー理解できたら面白いだろうなーと思いつつ、高校数学の段階で挫折した者としては計算とかさっぱり出来ません。ベクトルとかスラムダンクの桜木レベルです。なもんで有斐閣選書とかから出てる経済学の教科書読むと頭痛眩暈腰痛肩こりに襲われてギバーップ!ということで半ば諦めている昨今です。
でも経済学について書かれた読み物は、計算式とか見えないところで処理してくれるんで、その辺の脳みそ使わなくて楽で良いですな。つってもヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検するとか経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書)くらいしか読んだこと無いんですが。
で、たしか読んだのが2007年になってからだったような気がするんですが、「まっとうな経済学」は経済学の教科書に書かれてるような理論を色々な事例から引き出して説明するという内容で面白かったですな。んでまあ今はクルーグマン教授のミクロ経済学が面白いし分かりやすいという噂を聞くのですが
クルーグマン ミクロ経済学

クルーグマン ミクロ経済学

しかし、一般常識として経済学を知ろうとした研究者でも学生でもない私にとって、実は最高の入門書でした。高価ですしやたら情報量が多いですが、中身の薄い自称入門書を100冊購入するより余程コストパフォーマンスが高いです。

…
スティグリッツやマンキュー、ヴァリアンを全て読破したが、現時点ではその頂点に立つと思っている。

…
頻繁に使われるトピックスを紹介していて誰にでも興味をもてる内容になっています。
数式は簡単な四則演算のみです。
(以上、アマゾンレビューより)

…う、うむ!これなら私にも経済学が出来そうな気がしてきたよ!*1


しかしなんかまたちょっと書いただけで眠くなっちゃったね!
20時くらいから書き始めてるのに気がつくと日付変わってるし。もうちょっと集中して書きましょう僕。
まあ今はまだリハビリということで、また次回に続きます。

*1:ちなみに僕は進研ゼミとかによく騙されました

ここ最近読んで面白かった本(活字編その1)

ということで今日は雪さんの誕生日に限らず以前書いた面白本まとめの続きをしようと思うんですが、もう誰が覚えてんだっつう感じですな。えーと以前書いたのが確か10月だから……



…まあちょっと日にちが開いちゃいましたがほんのちょっとです。
今回はここ最近というか2006年後半〜2007年度に読んだ活字本のまとめという感じで、実は結構前に読んだけどブログでは何も言及してなかったものから、今読んでる最中のものも含めてちょこっとずつ感想を述べて行きたいと思います。紹介してる物の中でも後々ちゃんとしたレビューするかもしれません。しないかもしれないけど。なんか色々と前科を見るにものすごく放置しそうですが。
ともあれシャキシャキやって行きたいと思います。


進化心理学入門 (心理学エレメンタルズ)

進化心理学入門 (心理学エレメンタルズ)

まずは進化心理学っちゅう分野の本です。進化心理学はご存知ダーウィン理論と心理学を融合させたものですな。
めっちゃ雑駁に説明させて頂きますと、まず「俺たちの心にはこんな傾向とか現象があるぜ!」つう事実に対し「なぜそうした傾向や現象があるのか?」と考える学問が心理学です。
例えばここでフロイト先生ならリビドー抑圧のトラウマのせいじゃー云々とかいう理屈をこねるわけですね。
で、進化心理学の場合、「その特徴は進化の過程で自然淘汰の結果残された、人類の適応形態のひとつなんじゃねーの?!」という観点から分析し、「狩猟採集生活でのこういう事情に対して、こんなやり方で適応しようとした結果が現代社会でこういう風に発現してるんじゃん?」つう理屈で説明しようとする学問です。その証明する過程の中で、人類学とか考古学とか脳科学とか遺伝子学の資料を用いたりしています。
上の本は進化心理学つう学問について、入門者向けの目立ったトピックについてをまとめたものですが、トピックごとにその要点が最後にまとめられているので、結構サクサク読みやすいし教科書として最適な良書だと思います。個人的には特に性淘汰のお話があれまービックリな感じでした。

ここで問題になるのは、ヒトの心が、200万年前から4万年前の間の進化的適応環境(environment of our evolutionary adaptation:EEA)の中にあった問題によくに対処するために形作られているのか、あるいは、現代の世界においても依然として自分の繁殖性向度を増大させるだけの柔軟性をもっているのか、ということである。
(ジョン・H.カートライト「進化心理学入門」新曜社)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (2)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (2)

女と男のだましあい―ヒトの性行動の進化

女と男のだましあい―ヒトの性行動の進化

でその性淘汰ってのは何じゃらホイてのが上の本です。
そもそも自然淘汰というものには大きく二つありまして、一つが生存に適応する形での淘汰です。生き残るのに適した性質を備えていた人は生き残って、適応できなかった人は死んじゃった。だから今あるこういう性質っていうのは、こういう状況で生き残るためのもんが遺伝されてるんだよん、というもの。
もう一つが性淘汰。
性淘汰の考え方はだいたい以下のような感じです。
『生き残るだけでガキ作らなきゃ結局その性質は遺伝はされないじゃん!つうことは、ご先祖様方は「生き残るための適応」と同時に、「活きの良い相方を見つけて子どもつくるための適応」を備えていたつうことじゃん!』
ということで、「セックスして子どもをつくり育てるための適応形質」つうのを生み出すのが「性淘汰」なんですな。
上二冊はまだ読み途中で、上巻がそろそろ読み終わりそうな感じで下巻がつまみ食いに読んでるつう感じなんで、あんまり詳細なレビューはできませんが、内容としては「性淘汰とはどういうもので、どういう淘汰圧に対してどういう適応が生じたのか、その影響としてどういうことがおこったのか」をまとめたもので、面白いですね。
三冊目の本はもうちょっとフランクな内容で、現代社会に見られる男女の性行動について、性淘汰の観点から分析していったものです。なぜそもそも人は結婚して離婚するのか、なぜ男は若く美しい娘を好んで、女は社会的地位の高い財力ある男を求めるのか、とかそういうことを分析しています。フランクっても扱ってる内容がフランクなだけで、文章はちゃんとしたものなんですよ。
脚注とか参考引用文献一覧をなんでつけねーんだよという不満はあるものの、面白いし読み応えあるんで概ね満足な内容です。なんですが、書かれてることが「女はとどのつまり男の財布が目当てなんよ」みたいな喪板の書き込みと大差ないってのは凄いっつうか、そんなこと学問で証明しちゃうのかよ!という感じです。これはその内ちゃんと内容を紹介したいですね。

……しかし、われわれ人間は自然淘汰によって形成された存在であり、善意と結婚生活の幸福に安住するようには出来ていないのだ。われわれは、自分自身が生き残り、遺伝子を子孫に伝えるという目的に合わせて作られている。この無慈悲な基準が生み出した心理メカニズムは、ときとして利己的になる。
(デヴィット・M・バス「女と男のだましあい―ヒトの性行動の進化―」草思社)

と、ここまで書いてたらこんな時間になってしまった。なんということでしょう。
筆が遅いのか俺。単に集中力なくてすぐ引用してる本読みふけったり他のことやってるせいでしょう僕。
そんなわけでまだまだ紹介したい本はあるんですが眠いんで今日は寝ます。続きは明日!以降。

][チラシの裏]とりあえず今日は雪さんの誕生日ということで

精進潔斎しております。
その行為になんか意味あんのかったら別に無いんですが。
ともあれ雪さん誕生日おめでとうございます。

物欲番長(鈴木央 著)

ということでまたまたご無沙汰。
昨日ようやっと、ここ一年と半年ちょっとくらい時間や思考を奪ってくれちゃっていた色々な案件が全て片付いたので、今は新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のよーにスッゲー爽やかな気分なわけです。
でまたこのクソ寒い雪まみれの中、やたら文章のテンションが高いのは僕自身のテンションが高いせいでもあるんですが、最近スタパ斉藤の本を買ってしまったばっかりに分かりやすく影響受けているのですねこれが。

人間「ようやく仕事終わりそう!」とか「すげえ暇!」と言う状態になると、金も無いのに物欲だけは募ってきまして、デザイナーでもないのにadobeのサイトをみながら「うーんcreative suiteのdesign standard欲しいなあ…でもメッチャ高いし、使い道はあってもわざわざ買うほど必要では無いような…うーん…」と逡巡しておりました。
ふにゃふにゃと悩みながら結局買ってないのですが、なんかこの買い物直前に付きまとう悩み苦しみ優柔不断ぶりを緩和できんかと思い、たまたま目に付いたスタパ本を買ってしまったわけなのです。
でまあ読んでみたら凄いですよこの本は!なんと170ページくらいある文章のうちの170ページくらいが、ひたすら自分の物欲に対する言い訳なのです!

なんていうかぁ〜、ただ欲しいからって物欲に身をまかせちゃうとぉ〜、ムダに浪費して生活苦しくなるとかのデメリットっていうかダメダメな点があるしぃ〜、所詮消費社会のなかで大規模資本に踊らされてるだけっていうかぁ〜、でもやっぱり欲しいもんは欲しいしぃ〜っていうか欲しい欲しいんだよ結局詰まりなんと言ってもマジ欲しいんだっていやホント欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しいっていうか欲しいし欲しいもんは欲しいンだヨォーーーッ!


っていう文章が、割と誇張抜きにこんな感じで170ページ続いてるんですわ。うーん凄い。
とはいえ全編こんな無茶な駄々こねてるだけでなく、「でもやっぱり欲しいものは買ったほうが自分にとって良いんだよ!」という主張を、著者の実体験を挙げながら説明していくことで、「もしかしてそうかも」と思わせる説得力を生み出しているんですな。
「人間何時死ぬかわかんないんだし、お金は使うことで価値を発揮するのだから、自分が欲しいと思ったものは買ったほうが良い」という著者の主張は刹那的な部分もあるんですが、「でもこれが一番楽しいんだよーんヒャッホーイ!」という気持ちがビンビン伝わる、読んでて楽しい文章に変換されることで、「あんま小難しい打算で考えんほうが良いかも」という気持ちにこっちもさせられます。
ただそこでスタパさんが素敵だなあと思うのは、そんな物欲奨励文の中にも、「でもやっぱり自分の分を超えた買い物はしちゃダメよね」「でも下手すると借金→破産→樹海みたいになっちゃうから注意よね」つうニュアンスの韜晦というか、照れみたいなんがそこかしこに挿入されてることです。
こういう部分があることで、単にあの手この手で物欲を煽ってるだけの文章じゃなくて、スタパさん自身も悩みながら買ってることや、それでも幸せそうな感じが伝わってきて、気合の入った文体に反してほんわかした気持ちで読み進められるようになってます。
ということでcreative suiteは買うかどうかまだ分かりませんが、人がオタクである限り物欲の種は尽きないので、スタパさんの話を心に留めつつ精進していきたいと思います。


それにしてもこれ出版されたのが2001年というと、今スタパさんは何千万円くらい「ムダ遣い」なさってるんだろうか。

すなわち、買い物においては、無駄ということはありえません。買い人にとっては、そのモノはお金と交換する価値があるのですから、最低限はモノとお金(価格)は等価です。いやむしろ、価格破壊の現在においては、"モノ>お金(価格)"という価値関係が有る場合が多いのです、ここで「そんなことはないよ〜」と思われたアナタは、買い物がヘタクソであるかお人好しであるか身をなげうってでも他者の幸福を願う本格派善人です。フツーの人は、買う価値がなさそーなモンにお金を払わないのです。ともかく、お金と交換することを納得できるから買うということを考えると、その状況における購入者本人内には"無駄"という意識はありません。いやちょっとだけある状況もありますが、しかし、その「無駄かも」という意識は購入せんとする物品の価値やっ魅力や意義など各種の要素で最終的には消去され、結局買うのです。
なので、全ての買い物は、本人にとって全然無駄ではないのです。その物品を買うことを無駄と思わないから、買う。だから、どこをどうつっついても全然無駄ではないのです。
(スタパ斎藤「3000万円のムダ遣い デジタル機器買いまくり人生の軌跡」アスキー)