会社勤めを愛し、会社に裏切られ、会社勤めを憎んだ。家族に退職を切り出しても「辞めてもいいけど今以上の収入を確保せよ」と諭され、逃げ道がなくなった。能力や特技もない。若さと気力は失われて久しい。50歳で、今から転職するのもダルい。そんなふうに人生に諦めていたところ、ミステリー作家中山七里先生の『超合理的!ミステリーの書き方』(中山七里)が目にとまった。帯には『個性や才能は不要』とある。つまりこの本を読んで紹介されている方法を実践すれば小説が書けて収入が得られて会社勤めを辞められるというわけである。
中山七里先生のデビューが50歳前で、今の僕とほぼ同じ年齢であったこともプラスになって、すがるように一気読みをしたのだが、凄い本だった。自費出版を趣味としているように本書はあくまでプロの小説家になる方法について述べている。なので《最初に三日三晩かけてプロットを考えぬく》《伏線の張り方》《情報の開示のコツ》《トリックは後で考える》《帰納法ではなく演繹法で書く》《取材はいらない》といった中山流ミステリーの書き方がわかりやすく解説してあるのと並行して商業出版について、たとえば《編集者との付き合い方》《関係者に迷惑をかけるな》《締め切りについて》について頁を割いて述べられている。ミステリーの書き方については、インプットの量があって中山流のコツをつかめば確かに個性や才能がなくても書けそうだと思える実践的な内容だった。できたら三日三晩考えるプロットの書き方を伝授していただけたら完璧だったけれども、そこは自分で考えろということなのだろう。
で、ミステリー作家になれる感がマックスになったところからが、この本の真骨頂なのである。中山流の厳しさを叩きつけてくるのだ。「会社勤めを辞めてミステリー小説でも書いてみようかな」なーんて軽く考えている僕のような人間には戒めの連発であった。まず、前半のミステリーの書き方でも述べられていたとおり中山流はとにかく作品を「量産」することが大事なのであるが、そのベースとなる「三日三晩考え抜いた2000文字のプロットで頭の中で設計図が出来ている」「原稿の直しは頭の中のものを出しているだけだから一度もない」について述べているあたりから、ミステリー作家になれる感がしぼんできて、「地獄を楽しんじゃうタイプ」「専業作家になったときからまともな暮らしを諦めた」「トイレは一日一回」「睡眠時間は3時間」「命の限り書く」「遊びたい、休みたい、と思ったらやめる」と中山流作家生活を述べる章を読んでいくと、「中山先生…個性や才能は要らないかもしれませんが、そのかわりに怪物的なバイタリティが必要じゃないですか…」と圧倒されてしまうのである。きっと「才能や個性がなくてもバイタリティとタフさがあればミステリー作家になれるよ」という中山先生なりの優しさなのだろうが常人にはできませんよ、それ。ひとことでまとめると、非常に分かりやすいミステリー書き方指南書の皮をかぶって、怪物のような中山七里流作家生活を紹介しているのが本書である。どんでん返しで有名な先生らしく「ミステリーなんて誰でも書けるよー(^^)」からの「ミステリー作家やばいよー」へのどんでん返しが面白い本であった。
なお、本書で紹介されていた方法を参考にしたら、僕も1ヵ月ちょっとで10万字弱のミステリー(っぽい)小説が2本書けたので、紹介されている方法論はマジで実用的だ(1行目に伏線を張り、どんでん返しも入れた)。で、本書にあるように他人の評価を得るべく、ウチの奥様に書いたミステリー小説を読んでもらったら「つまらない」と酷評され、2本目は読んでももらえなかった。ミステリー作家への道は厳しい。(所要時間21分)