Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

僕の子供が宿題拒否不登校ユーチューバーになったら。

「不登校は不幸じゃない」10歳のユーチューバー 沖縄から世界に発信「ハイサイまいど!」(琉球新報) - Yahoo!ニュース
宿題拒否不登校ユーチューバー(沖縄在住/10才)が物議を醸しているけれど、別にいいんじゃないか、というのが僕の感想である。これは「いろいろな生き方があること」「今の世の中に感情のはけ口があること」に対しての限定された「いいんじゃないか」である。プラスでも、マイナスでもない。もし、彼が自分の子供だったら「もっと賢いやり方があるだろう」と助言くらいはする。知人の子供だったら「申し訳ないけど僕に近づけないでくれ」とお願いする。だいたい、僕の子供ならば彼よりもずっと賢…いや、僕の子供時代に近い思考と性格と能力を持っているであろうから、かつての僕がやったように宿題をちゃちゃちゃっと瞬殺して学校で友達と遊んでいるはずであるが。

そもそも、他人の子供、それも僕の住む神奈川県から遠く離れた都道府県で暮らす小学生が、どのような生き方を選ぼうが僕には関係ないのである。人生が交差しそうなときに対応を考えればいい。それよりも「学校へは行った方がいい」「人生ナメてる」「親にコントロールされすぎ」などと人生において彼と交差することのないであろう人たちが本気で熱くなっている事態に驚いている。その優しさに感動している。皮肉ではなく、世の中、捨てたものではないと思った。この優しさが彼に対する心配から生まれたものであって、「責任を取らなくていい奴だからTwitterで言いたいことだけ言っておこう。優しくて正しいアッピールになるからね」という、いい加減な気持ちから発生したものではないと信じたい。

僕は彼の生き方を否定できない。なぜなら僕にも、一秒ほど血迷って「宿題やりたくないから学校へ行きたくない」と思ったことが小学生時代にあったような気がするからだ。多くの人は一瞬くらいはそう思ったことがあるのではないか。だが、ほとんどのボンクラ小学生は母ちゃんから「バカ言っていないで宿題をやれ」と一喝され、「何バカなこと言っていたんだろう?可能性を広げるために算数ドリルを広げよう」と我にかえって机に向かうものだ。もし、そういう普通の親がいなければ、算数ドリルの入ったランドセルを捨てて、ユーチューブへ向かっても仕方ない。僕らには普通な親がいた、それだけのことである。

彼の動画も拝聴させていただいた。残念ながら45才の僕には響かなかったけれど、小学生なら響くものがあるのだろう。20年くらい同じような動画を放ち続ければ、世の中は変わるかもしれない。ただ、宿題を拒否して不登校をするのは彼の人生だからオッケーだけど、なぜ、周りを巻き込むように不登校を呼びかけるのかが引っ掛かった。一人でやれよ、と。もちろんイジメを受けている子供たちはガンガン逃げるべきだ。イジメをするようなバカから、そういうバカを野放しにする学校から。だが、宿題拒否という彼にとっては大真面目でも周りからみればバカな理由で不登校を推奨する動画をつくられて、これだけ話題になったら、イジメられてナイーブになっている子供たちが、「あんな宿題拒否の人と一緒にされたくない」といってかえって学校から逃げられなくなってしまうのではないかと心配になってしまった。大人であれ子供であれ、自由に生きるのは大変結構だけれども、その自由には責任がともなうのを忘れてはならない。

動画の評価を見る限り、彼の活動に対して世の中の大人はマイナスの評価を下しているようだ。それは我々大人が生きてきた人生や社会を、宿題拒否というふざけた理由で否定しているように感じるからだ。ナメられているように思えるからだ。ひとことでいえば「なんかムカつく」。ムカつくは非常に強い感情であり、一度、ムカついてしまうと彼の考えや行動だけでなく、動画における顔面や態度まですべてがムカついてくる。ムカムカムカー!覚えていてほしい。ムカついたからといって彼を否定するとき、あなたは宿題にムカついた彼そのものだということを。まあ、冷静になろうぜ。

僕はイキっている若者を観察して「ムカつくなあ」といいながらお茶をすするのを老後の楽しみにしている。僕の老後のために、ムカつくからという理由で彼のような逸材を潰さないでいただきたいものである。(所要時間25分)