「ワークライフバランスが崩れているので、給料を上げてほしい」と訴えてきた過去をお持ちの部下の人から「話があるので時間をください」といわれた。嫌な予感しかなかった。当該部下氏は50代。横浜スタジアム前一等地のマンションや高級外車の購入、ご子息の私立学校への進学、ご子息の英国短期留学その他もろもろの要因で支出が増大し、収入が足りない状態になったのを「ワークライフバランスが崩れている」と捉え、「そのバランスを保つのも2010年代を生きる上司の仕事でしょ」的な甘い考えで、かつて、僕に昇給を求めてきたのである。速攻で却下した。僕が評価するのはあなたの仕事だけだ、と言ったのである。厳しいですね、と言われたが、どこが厳しいのか今だにさっぱりわからない。そんな部下氏なので、また終始家計収支バランスとワークライフバランスを混同した話をされるのでは…と警戒するのも無理はないだろう?
面談の冒頭、部下氏は「今、妻はパートを三つ掛け持ちしています。三つですよ。先日、息子に買い与えたサキソフォーンのローンを払うためです。一応、頭に入れておいてください」と意味不明なことを言った。何を何のために入れるのだろうか。サキソフォーンだろうか。さっぱりわからない。ありがたいことに、一応、と本人もわざわざつけてくれたように、絶対ではないらしいので、お言葉に甘えて僕は忘れることにした。彼に話を促すと、給料をあげてほしい、という訴えだった。やはり。きっつー。僕の評価対象はあなたの仕事ぶりだけだ、半年前と同じことを言った。あなたの家計が苦しいのはあなた個人の問題で、収入が少ないのを「わー!お金使ってるから給料あげないといけないねー!」と謎評価して給与アップするのはありえない、と。僕の宣告を受けて、部下氏は「私の家庭は関係ないです!私の仕事ぶりを正当に評価してください!」と声を荒げた。先入観をもっていたのは申し訳ないが、妻がパートを三つ掛け持ちしてる、いわゆるワークワイフの話題をしたのはそっちだろ、と言い返したいところを堪える。正当に仕事を評価する…か。部下氏は僕の預かっている営業スタッフのなかで優秀とはいいがたい。ノルマをギリギリで達成している平均点の営業マン。優秀なスタッフはノルマより更に数字を上積みしているので、正直、見劣りする。とはいえ部署全体の成績は悪くないので、本人の希望に沿っているかはともかく、定期昇給のタイミングで微増にはなるはず。冬季賞与についても同じである。という内容をオブラートに包み、「あまり期待させてもアレだから」「期待しないで欲しいけど」と逃げ道をつくりながら、話をした。誠実すぎる僕。すると部下氏は「数字にあらわれない、数字に出ない仕事も評価してください」と言い出した。氏曰く、人柄の良さや遅刻ゼロ、それから同僚とバトルしない協調性をみてほしい、と。なるへそ。もっとも僕が驚いたのは部下氏が、チームの輪を乱さないよう、数字が突出しないようにセーブしている、と言い放ったことだ。数字が出ない、ではない。あえて数字を出さないようにしていたらしい。勉強が出来ない人の言う「勉強は意味ない」みたいだ。どういうワンダー理論だ。なるほど、それがあなたの仰る「数字に出ない仕事」ですか。きっつー。僕は「もういいかな」といって話を打ち切ろうとした。アホは伝染するからだ。すると部下氏がふたたびワークライフバランスが崩れてる、なんとかしてほしい、という話をはじめたので、僕はこのあいだネットで見かけた薄気味悪いフレーズを持ち出すことにした。「『死ぬこと以外かすりキズ』って考え方もあるみたいですよ。生活頑張ってくださいよ」と僕が言うと、彼は「部長ご存知じゃないんですか。かすり傷でも人間は死ぬんですよ」と反論してきた。じゃあ、言わせてもらうけどね、あなたが時折投げつけてくるワークライフバランス爆弾のかすり傷で僕の心は出血死しそうなんですよ!とは、これ以上精神が疲弊して僕の生活が壊れるのを恐れて言わなかった。僕にも僕のワークライフバランスがあるのだ。(所要時間18分)