「母さん。東京と田舎では、はたしてどちらが生活しやすいのでしょうね?」そういう文章の罪は意味がありそうでまったくないところにある。なぜなら生活において何に重きを置くかは個々の価値観によりけりなのでどちらか一方が優れていると決めることは出来ないからだ。東京と田舎は優劣ではなく差異。違いでしかない。東京の雑踏を愛している人もいれば田舎の静けさから離れられない人もいる。双方にメリットとデメリットがあり、どちらを取るのかは個人の価値観による。それだけのこと。
確かに優劣をつける方がエンタメ的でわかりやすいけれども「どこどこで生活するよりとさとさで生活する方がずっと素晴らしい」というふうに他人を貶さないといられないのは素敵な品性のあらわれとしか僕には見えない。他者を下に見ればどんなものでも相対的に高く見ることが出来る。楽な自己肯定なのだ。ただ、その構造は子供でも看破出来てしまうほど拙いものなので詐欺にすらならないのが悲しい。
生まれも育ちも神奈川の僕には東京も田舎もありえない。神奈川サイコー。そんだけ。神奈川はおそらく他県の人がイメージするよりもずっと田舎である。それでいて横浜という大都市がありすぐそばには東京。都会と田舎の両者を知っているので憧憬やコンプレックスを持ちようがない。それゆえ異様にプライドが高い。僕が東京と田舎の優劣について語られてもどうでもいいとしか思えないのはこのプライドの高さからなのである。
はっきり言って神奈川がサイコーすぎるので東京にも田舎にも住みたいとはまったく思わない。強いていえば東京には女子大が多いこと田舎はラブホテルが安いことが羨ましいといえば羨ましいが、女子大や格安ラブホを理由とした移住は現実的ではないので考えるだけ時間の無駄なのである。また、都会の女性が性的に開放的であるとか、田舎の女性はやることがないので性的にオープンという俗説を盲信できたら別だけども、悲しいかな、僕はもう中学生ではない。
サイコーな神奈川で生まれ育ってしまうと他の土地への憧れを持つのがひどく難しいので、僕と同様に神奈川で生まれ育ってきてきた人が田舎暮らしサイコーと言ってもにわかに信じられない。このくだらない文章で言いたいことはただひとつ。東京と田舎に優劣をつけることこそが文字通りの消耗でしかないということ、しょうもないということなのである。(所要時間12分)