Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

僕が受けた最凶最悪のパワハラ

 平成8年、大学卒業後初めて勤めた会社は最高だった。総務希望とは180度違う営業部への配属(その配属も入社翌日に異動というワンダーなものだった。おそらく巨人の江川獲得からヒントを得たのだろう)、それを皮切りに始まった初めての会社員生活は、6年後、不眠、目まい、胃腸炎、偏頭痛、アルコール中毒という、最高の形で結実、終わりを迎えたのである。あの頃の、良くも悪くも充実した日々は、輝いていて、思い出すだけで吐き気がする。

 

 当時はまだパワーハラスメントという言葉は発明されていなかったはずだし、まわりの友人たちも追われるように働いていたし、また、今ほどインターネットで簡単に情報が集められるような状態でなかったので、自分がどういう状態にあるのか、客観的に判断することが出来なかった。言葉は本当にすごい。そう思ったのは「パワハラ」という言葉が発明されたときがはじめてかもしれない。パワハラという言葉は自分の状況を端的にあらわしていると当時感心したのを、つい昨日の出来事のように覚えている。

 

 過大なノルマはキツかったけれど、それは自分の能力不足だと思っていた。叱咤するたびに上司は「お前のためにやっているんだ」と言っていたので、社会とはそういうものなのだと半ば諦めていたのだった。一種の思考停止だった。僕が受けていたパワハラをざっと並べてみると、ノルマ未達の際の鉄拳制裁(頭をはたかれる、灰皿を投げつけられる)、社訓の絶叫唱和(声量が小さいと難癖をつけられての灰皿投げつけ)、強制一気飲み(おかげで下戸だったのが酒に強い体質になった)くらいだろうか。これらが毎日である。

 

 もちろん、「死ね」「ボケナス」「ノータリン」「クソバカ」という悪口や名誉を棄損するような発言といった言葉の暴力も日常茶飯事。だが、そういった言葉に対する耐性は割と早い段階で出来てしまい、深刻な顔をして「すみません…」「わかりました…」と口先だけ合わせて、完全に聞き流していた。口先だけ合していたので、「どうだ俺の娘可愛いだろう?」という問いに対して「すみません…」「自分には無理です…」という返答をしてしまい、灰皿が飛んできたこともあった。

 

 飛んでくる灰皿は、ガラスや陶器で出来た重厚なものではなく、薄い金属で出来た例のアレなので、一応、人命には配慮していたのだろう。直接投げつけるわけではなく、足元の少し離れたところに投げつけるのが卑怯で、ばちーん、と大きな音を立てた灰皿は床ではねて僕のスネあたりに当たってマジで痛いのだ。「今のは床に投げつけたんだからな」「よけろよ」と笑う上司の卑屈さと暴力性がとても恐ろしかった。額に向けて直接投げつけてくれ。怪我をすれば休めるから。僕はそんなふうに思ったものだった。ある時点からスネ当てを靴下の下に仕込んで抵抗していたので、痛ッ…と呻く演技だけはうまくなってしまった。

 

 これら、一連のパワハラでも僕の心と体は崩壊することはなかった(「パワハラ」とは思わなかった)。しかし、僕の心身に深刻なダメージを与え、退職を決意させた最強最悪のパワハラがあった。《強制入浴》だ。あの屈辱を僕は一生忘れない。上司の家に呼ばれた僕は風呂に入るように言われた。狭い団地の風呂なので大人一人が入るのが精いっぱい。そこに僕と一緒に連れてこられた折り合いの悪かった同期と一緒に入浴するよう命じられたのだ。

 

 寒い冬の夕暮れ。「雨の外回り営業で冷え切っただろう。カラダを温めていけ」 上司はそう言った。僕と同期同僚は、缶ビール片手に監視する上司の目前で、狭い風呂に入らされた。触れたくないカラダの部位に触れてしまう。触れられたくない部位が触れてしまう。男と背中をぴったり合わせて入浴する気持ち悪さに涙も出なかった。同僚の全身が無駄に毛深かったのも気持ち悪かった。地獄は終わらない。男色風呂から出た僕に上司はこんなふうに言った。

 

 「以前、男と女の部下を一緒に風呂に入れてやったことがある。俺のおかげで二人は結婚するまでになった。俺はお前らの仲を改善するためにこんなことをしたんだ。わかるな?」わかるわけがなかった。こんなことをずっとやってたのかよ…。悔しさしかなかった。くそ。せめて、同じ仕打ちを受けるなら、女性と、一緒がよかった。なぜ僕だけが毛深い男を相手にしなければいけないのだ。絶対、許せない。その後、僕は軽い悪口を受けただけでも、男の毛深い背中を思い出して吐き気を催すようになってしまった。僕の心は完全に破壊されたのだ。

 

 これが、僕が本当に痛めつけられたパワハラのすべてだ。僕とその同僚はそれまでよりも険悪になった。お互いを認めないことで人に言えない過去を葬り去ったのだ。僕とほぼ同時期に退職したらしい。上司は不正で解雇され、会社はオーナーが変わってしまった。すべて黒歴史になったのだ。

 

 「パワハラ」とか「ブラック企業」という言葉は便利だ。あの頃、それらの言葉があったら、自分をそこに当てはめて、もっと楽に生きられただろう。今、それらの言葉を耳にすると、僕は、これらの言葉が生まれる背景にいたはずの、僕なんかよりずっと酷い目に遭った人たちの存在をまず想ってしまう。そのせいで、己の能力不足を棚にあげて「パワハラ!」「ブラック企業だ!」と騒ぎたてるような甘えた阿呆を見ると白けてしまう。お前わかってんの?安易に使うなよ、って。言葉は神で、味方にすれば大変に便利なのだけど人間を堕落させてしまう厄病神でもあるのだ。僕についていえば、パワハラやブラックへの耐性が付きすぎてしまって、多少のことではビクともしない心身が今は悪い方向に出てしまっている。

 

(この文章は40分もかけて書かれたものである)