Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

福祉の向こう側にいる悪

 僕は食品会社の営業課長、顧客は一般企業や官公庁から老人ホームまで多岐にわたる。今日はある社会福祉法人との商談だった。その法人は特別養護老人ホームをはじめとしたさまざまな福祉施設を運営していて、代表者である理事長は地元では名士として通っている人物だ。

 老人ホームの食事についての商談。何回かの面談を通じて、理事長の人柄や福祉に対する考えや熱意に触れるたびに「さすが名士だ」と感心したものだ。彼はいつもこんなことを言う。「この国の福祉は限られた予算でやっていて厳しい状況にある、ウチの施設の場合、入居者の方からいただいたお金や公的な補助金を職員一同無駄を切り詰めてやっているが余裕はない、頑張っているスタッフの待遇も良くしたいがままならない、私財を投じるにも限界がある」。彼は別れ際の僕にこう言って面談を締めるのだ。「福祉という事業の特性と実態をご理解いただいて」。<(価格を)勉強してくれ>というわけだ。


 出来るかぎり応じたい協力したいと思う。でも限界がある。ウチの会社も営利の企業だからだ。相手が求める金額、交渉の着地点がわかっていながら、そこに到達しないまでもウチの会社として出来るかぎり金額を社内でまとめて、僕は理事長との面談に臨んだ。見積書に記載した金額は先方の希望とは天地の開きがあった。理事長は提示した見積書に目を落とすや否や「高いですね…率直にいってかなり高いです。これでは…」僕が想像したとおり、否、想像より悪い答えを返してきた。


 成約は難しいと覚悟を決めてきたものの、いざ失注となるとやはりショックで、そのとき僕は、政治がもう少し福祉に対して予算を与えてくれれば契約が取れてノルマも達成なのに畜生、政治が悪い、政治家が憎い、選挙白票入れたる、なんて現実逃避気味の終戦ムードに浸っていたのだけれど、続けられた理事長の言葉が予想を超えていて僕は驚きのあまり、思わず「えッ」と軽く声をあげてしまった。


 「いいでしょう。この金額でも構いません」と理事長は言ったのだった。「うええええええええええ!」と僕。金額はアウトなはず…商品の評価が高かったのか、営業トークが功を奏したのか、それともただ運がよかっただけなのか…と逡巡していると「ひとつ条件があります」と理事長、やっぱりね。多少の値引きなら…と構えていると理事長は一段声のトーンを落として言葉を続けた。「この金額で施設の方に請求してもらって構いません。きちんとお支払いします。ただし…」「ただしなんですか?」「そのウチの施設が支払った金額の何パーセントかを私個人に手数料として支払っていただけますか?それが出来るなら契約しましょう」


 手数料?入居者が支払った金や自治体からの補助金を食品会社を通じてポケットに入れようとしていた。再三、経営が苦しい、福祉事業のもつ意味意義をご理解いただいて、福祉福祉福祉といっていたのに…。老人ホームのため入居している人のためそこで働いている人のためにもっと値段を勉強せんかい!って叩くのがあんたの仕事じゃないのか?そこの法人はいくつもの施設を運営していてウチのような業者が出入りしているが、理事長と業者の間でそういう金の流れが出来ているのだろうか。これでは八百長じゃないか。


 そんな人が名士とされ、講演をおこない、老人ホームのロビーでお年寄りに笑顔で手を振り「先生」「先生」と慕われる。本来使われるべきところで使われなきゃいけない金が一個人のポケットに流れているかもしれない。もしかすると、ひょっとするとだが、僕がこの社会福祉法人向けの仕事をしていて今までこういう事態に遭ったことがなかっただけでこんなことがスタンダードで横行しているのか?悲しかった。いろいろ悲しいけれどなにより悲しかったのは僕が八百長に応じる人間だと思われたことだ。


「そういったものには応じかねます」僕は会社に持ち帰らずその場で理事長の申し出を断った。「ホントに?」理事長は僕の申し出が意外だったようだ。「結構です」僕は答えた。「今のはもちろん冗談ですよ」「パートナーになれず残念だ」理事長の声に適当に応じながら退出した。


 ロビーに理事長の言葉をおさめた額が飾られていた。玄関脇には理事長の高級セダンがとまっていた。とんだ茶番だ。契約が取れれば嬉しい、今期のノルマも達成で楽になれる、会社の売り上げも伸びる、僕自身が被るものはなにもない。僕にはいいことずくめだ。でもちがう。これは八百長だ。名士だか金持ちだか知らないが教えてやらなきゃいけない。こんなくだらない申し出に応じない人間もいるってことを。