Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

昔、アル中だった。


 アルコール中毒、アルコール依存症の定義がどういうものかよく知らないが、二十代の終わりの二年弱のあいだの俺は間違いなくアルコール中毒だったと思う。

 どんなありさまだったかというと、実際に俺と飲んだことがある人なら俺の飲みかた、飲みっぷりをイメージできると思うが、あれよりも百倍悪い。朝、起きてカップ酒を二杯飲み、昼、安酒の匂いが口から消えるとわけもなく寂しくなるので、大人の頭ほどもあるペット容器にはいった安焼酎を割らずにがぶがぶ飲んだ。夕方、缶ビールを飲みながら散歩をして晩酌は日本酒、冷酒、熱燗。ウイスキーやワインは高いので飲まなかった。味なんかわからなかったので安さと手に入れやすさが最優先だ。


 本牧の倉庫で日雇い仕事をやりはじめたころは、いちばん、ひどかった。ヘイキューブという牧草を四角くかためて加工した飼料があるのだが、アメリカからコンテナで輸入されるそいつを、マタイと呼ばれた袋に詰め倉庫に積む。俺の仕事はフォークの運転、埃と粉っぽい草の臭いのあいだで日雇いのおっさんたちが積みあげたヘイキューブを倉庫の奥へ運んだ。仕事が終わると浴びるように酒を飲んだ。「大人なんだから自分で自分のケツを拭け。ただ人様に迷惑をかけるな」とだけ言うと俺の家族は俺と距離を置くようになったので、面白くなくて、倉庫の似たような奴らとその日の稼ぎを全部酒にした。金がなくなっても誰かが払ってくれた。払う金がなくなるとツケで飲んだ。


 目ヤニが黄色く粘り、手が震えるようになり、付き合っていた女は去った。高橋尚子選手が勝った夜は知らないおっさんと祝い酒を飲んでべろべろになり、自転車ごと川に飛び込み、翌朝海岸で目を覚ました。口にはいった砂を洗い流そうと水を求めてコンビニに行き、買い物を済ませるとビニル袋にはカップ酒が入っていた。


 不眠と注意力散漫でフォーク運転をミスっておっさんを転倒させて、倉庫の仕事を辞めた。弟の、出来ちゃった結婚を婚姻届提出半年後に知った。アルコールに溺れた原因や理由はわからない。こんなふうに会社を辞めてからぶらぶらしていたので、人にきかれると、好きな芥川を真似て、将来に対する唯ぼんやりした不安と答えた。


 理由は、まあ、俺の心の弱さだ。いつかは誰かが助けてくれる。そのうち俺はやりなおせる。今だけだ。明日から俺は。やがて、そんな甘い考えすらアルコールでごまかすようになった。明るい街に置いていかれそうで、怖くて逃げて隠れていた。酒を飲みながら天井を眺める日が何日か続いたとき、俺はもう駄目だ、終わりだ、破滅だと思った。


 アルコール中毒についていえば、そこに神はいない。見守る神も試す神も救う神もいない。見放す神すらいない。誰も救ってはくれない。助言は耳を素通りし、差し延べられた手は、慎重さを欠くと、手の主の意に反して、アルコール地獄の、よりいっそう深く抜けられないところへと追いやりかねない。救いが救いになるとは限らないのがアルコールの恐ろしさだ。突き放しても悪化の一途。


 今、俺がこうして、いられるのは、ただラッキーなだけだ。もし、今、あのころの俺と同じようにアルコールに溺れてしまっている奴らに対して、俺が出来ることは、他者の力ではなく自分の力で立ち直るしかない、絶望するな、自分を信じろ、そんな陳腐なことを言ってやること以外にない。


 最後に、ラッキーな俺がどうやってアルコールから立ち直ったかを話そう。実家に戻ってからしばらくした日曜に、お袋が俺のデジタルカメラを借りて出かけていった。夕方戻ってきたお袋は酩酊状態の俺にデジカメを返し、今日の写真をプリントしておいてと言った。


 画像を確認した瞬間の衝撃を俺は死ぬまで忘れないだろう。そこには俺が今まさに失おうとしているものが、失ってしまったものがあったからだ。事態を尋ねるとお袋は、近い親戚だけでぱぱっとやったの、とだけ言った。デジカメには、出来ちゃった結婚した弟のささやかな結婚式の様子がおさめられていた。弟夫婦と甥。お袋。祖父。叔父と叔母。知らない顔は義妹の両親だろう。どこかのレストラン、壁を背にみんなが並んでいる一枚、お袋と祖父のあいだには、偶然だと思うが大人一人ぶんの空間があるように俺にはみえた。そこにいるはずの俺の姿はそこになかった。俺は酒も飲まずに自分への腹立たしさと情けなさでめそめそ泣いた。


 その日を境に、俺は、完全にではないが酒を断ち、立ち直った。もうあんな思い、絶対に、いやだ。俺を式に誘わなかったのが、俺の目を覚まさせるためだったのか、今はもう確かめるつもりもないが、突き放してくれた人達に、今、俺は感謝している。