朝、僕あてに一本の電話。事務パートの佐藤さんが電話をとり、風俗的な異人さんのようなビジネス口調で、カチョー、カチョーと呼ぶので、誰からの電話か尋ねると、ミヤザキさんです、という。知らない名前。個人名。セールスか借金取りに決まっている。用件だけきいておくよう指示を与えると、女性からですよ、といいやがる。みくびるな、切れ。デスクのうえで、女性からとは、しくじったか、と悔恨でぐずぐずしていると佐藤さんがメモを持ってきた。女性の名前と携帯番号が記されていた。
余談だが、電話番号を漢数字でメモしてしまうお茶目な佐藤さんは一身上の都合で金曜日に辞める。勤務日数五日間。いかん、いかん、これでは。
ミヤザキさんに電話。するとナウな感じの英語な会社名を名乗ったあとで彼女は用件を話した。<わたしたちはスカウト会社の者で、今回、クライアントさまの条件に合致したフミコさまに連絡をさせていただきました。フミコさまの転職を強要するものではないので、私どものヒューマン・リソース・チーフ・スーパーバイザーの者とご都合のいい時間と場所であっていただきたい>。
「わかりました…お話しをききましょう。ところでこの携帯番号はあなた個人のものですか?」と尋ねてみるが、質問を無視して「日時と場所はいかがしましょう」と質問を返すミヤザキ嬢。どうやら、かわいい声をしているが、よく訓練されているビジネス傭兵らしい。ので、「ツデイ、ランチタイム、ドトール」と日時と場所を伝えた。
「それではフミコ様をバックアップするヒューマン・リソース・チーフ・スーパー・バイザーからクライアントさまのオーダーを確認後にご連絡を差し上げますので、いつでも連絡を取れる連絡先を教えてください」「僕のモバイルフォーン・ナンバーはですね…」つってプライベートモバイルフォーンナンバーを教えた。こんなとき、女性に番号をきかれると教えてしまう哀しき雄の性がでてしまう。
「ところでフミコ様、現在の年齢はおいくつになりますか?」「36です」「えっ……わかりました。それではヒューマン・リソース・チーフ・スーパー・バイザーから連絡を差し上げます」といって電話は切れた。軽く動揺していたけれど、やっぱ、英語で粋に答えるべきだったか。アイアムサーティーシックス。
憧れていたんだよね、ほら、インターネット眺めてると嫌でも目に入ってくる<本日付で○×会社を退職しました><S○X株式会社に就職しました>みたいなヘッドハンティング的な記事にさ。キャリアアップ、ステップアップ。そのころ僕はあっぷあっぷ。だが、ついに、とうとう、僕の時代が。来たっぽい。
さきほど、つーか午前11時51分ほどなんだけど、草刈正雄に似ているとブログに書いてくれ、と執拗に要請してくる総務の草刈正雄部長にトイレで会った際、「部長、僕がいなくなったらどうしますか?」って調子にのって言ってしまった。「どういうことだ?辞めるのか?」総務の草刈正雄は興味深々な様子であったが面倒くさいので「部長…、宝くじに当たった人間がサラリーマンをつづけますか?人間やめますか。それともサラリーマンやめますか…」意味深なことを言って煙に巻いておいた。ノリノリな調子で昨日までの残尿感が嘘のように尿もキレキレ。では、諸君。約束の時間なので駅前のドトールに向かうことにする。(つづく)
つづき↓
怒涛の大雨を駆け抜けてドトール。あれから電話をよこしたタカハタという人と取り決めた約束の地、ドトール。そして始まりの場所、ドトール。目前のふたつのアイスコーヒーにはさんでおいたモバイルフォーンが鳴った。ヒューマン・リソース・チーフ・スーパーバイザー・タカハタからの電話、と思ったら違って、ヒューマン・リソース・チーフ・スーパーバイザーの上司である、ヒューマン・リソース・チーフ・スーパーバイザー・リーダー・タカオカからの電話だった。うろ覚え。圧倒的にわかりにきーんだよ肩書きが。ま、でも僕の将来をアシストしてくれる友人だから、ボク、文句いわないヨ!
「申〜し訳ございません。フミコ様」とTBS制作ドラマ「HOTEL」の高嶋政伸のような、とりあえず謝っておこうスタンスで、タカオカは謝罪からはいってきた。意味がわからない。「さきほど、コーディネーターのミヤザキからいれさせていただきましたオファーなのですが、クライアント様のオーダーがキューに変更になりまして」おふぁ〜、マジかよ。「どういうことでしょうか…今、私ドトールでアイスコーヒー飲んでいるんですよ」
「申〜し訳ございません。ですからキューにクライアント様のオーダーが変更になりまして…」「いやでも、ヒューマン・ソース・チーズ・スーパーの方と待ち合わせの約束したの30分前ですよ」「サウス・カントウ・エリア担当のタカハタでございますね。キューな用件で席を外しているようですが…」それから、ちょっと待ってください、といいタカオカは受話器を塞がずに周囲のオフィースの様子を伺ったようで、タカハタいる?いる?あ、いるの。どーなの。実際。え。あっ。年齢?ま、そういうことね。じゃ、いないことに。そのほーがいいよな、え、うん、などというやり取りが全部聞こえた。胃が痛い。キュー。
「タカハタはこの件でクライアント様とミーティングにはいってしまいまして…」「あ、そうすか」キュー。頭がしぼんだ。爆発前の収縮。「クライアント様の都合でございますので今回の件はなかったことに…」「仕方ないっすね、ちょっと確認したいことがあるんですが」「なんでしょうフミコ様」「わたしのデータをどこで入手したか知りませんが」「それは私たち独自の…」キュー、脳がしぼみ、それから、バチン。
「イイから聞けっつーの。そのデータにはいろいろな項目があると思うのですが、最初にコーディネーターの人から話があったときに年齢だけ確認されたんですよ。<年齢>って雇用する側からみたら結構重要な項目ですよね。もしかするとおたくらの会社、年齢のデータをもってないんじゃないの?だから電話をかけてきてわざわざ最後に年齢をきく。おかしいと思ったんだ、他に聞く項目があるだろうに年齢だけだから。あのお姉ちゃんがわたしに個人的な興味があるのかと錯覚してしまいましたよ」「はは」「あーなるほど女性に電話をかけさせて、個人名と携帯番号を教えるってのも手なわけだ。確かに気になって電話かけなおすもんなあ、女の子の携帯番号なら」「はははは」
「笑っている場合じゃないっすよ。そんなのわりかしどうでもよくて、つまり、わたしの年齢を確認した時点でこの話は破談だったんじゃないのか?なあ。それなのにわたしが待ち合わせの場所に来た時点で<クライアントの都合>でキャンセル。<クライアントの都合>を免罪符にしてさ。本当は年齢を確認した時点でキャンセルだったんじゃないんですか」「そういうわけでは…私たちは独自のデータで」「だからーデータ云々の話じゃないんですよ。ねえ、わかります?リアリーにアンダースタンドしてる?御社の人が来ると思ってアイスコーヒー余分に頼んであるんだよね。雨のなかビショビショに濡れてさあ。これも<クライアントの都合>の結果ですか?」
「ええ、クライアントの都合です」
謝罪とかないのか。タカハタの声をきいているうちに僕はある疑惑にぶち当たっていた。「そうですか。考えが違うようですね。アイスコーヒーは私が責任をもって飲むからいいですよ。最後にひとつだけ確認していいですか」「なんですか」「僕はワリと耳がいいんですよ。白状するなら今のうちにしてくださいね」「はい?」「タカハタさんとタカオカさんて同じ人ですよね?」
あまりにもあっけなく終わってしまったので、アイスコーヒーをふたつ空けたあとに、スカウト面談にあてていた時間をつぶすつもりで昔必死に暗記した円周率を唱えてみた。3.14水兵リーベ僕の船シップスクラークケント…。小数点第二位までしか思い出せなかった。ふと、安キャバクラでいつも指名されずにフリーでいる幸薄そうな女の子のことを想った。適当な席に穴埋めで呼ばれるあの子、携帯番号をすぐに教えてくれるけれど、本当に話がつまらなかったな。