京都の秋を三点ほど描きました。過去に描いた《秋もの》とあわせて《京都六景/秋》をご覧ください。
※以前ブログで発表したものは画像を大きめにしてあります。
僕は自分で撮った写真をもとに絵を描くことが多い。仕事で月の半分以上を京都で過ごす父のもとを僕や家族はときどき訪れていた。その際、僕は譲ってもらったローライ35で寺や神社や街を撮っていた。
そういう、写真だ。僕は写真を眺めながら、最後に京都に行ったときのことを思い出していた。
最後に父を訪ねて京都へ行ったときのは十七才の秋だ。
一人、新幹線を降り、待ち合わせの京都駅で顔を合わすなり、父は、遠いところまで来たんだ、せっかくだからと、僕を高級寿司屋へ連れて行ってやる、一貫千円だぞ、と誘った。父は寿司が大好物だった。僕は、そんな高いモノはいい、適当な飯屋でも入ろう、それに寿司はあまり好きじゃないと断った。父は、そうか、と残念そうな声を出した。嘘だった。僕は嫌だったのだ。
そのころ、父はあまりよくなくて、痛みなのか、精神的なものなのかわからないけれど、顔の左側がひきつって、唇が斜めに、笑っているように、歪んでいた。僕はそんな曲がった顔をした父と《高級な店》に行ったら、父と一緒に好奇の目に晒されるのが恥ずかしいような、そんな自分が不憫で、哀れなような、気分がして、どうしてもできなかった。そうか、と言った父は気付いていたんじゃないだろうか、僕の思惑に。それから父と僕は焼き鳥屋に入りカウンター席に並んで日本酒を飲んだ。酔った父が、やっぱり寿司屋行きたかったナア、今度行こうナア、と言って笑った。笑っているように見えた。父の唇の端からお酒が少しこぼれた。曲がっていない側の唇からコップを付ければいいのだろうが、父は頑として正面からコップを傾けた。酒はこぼれた。父は何事もないようにおしぼりで拭った。僕は横からそんな父の動作を眺めながら、今度はお寿司をと決めていた。「そうだね。今度行こう」「お前、寿司は嫌いじゃないのか?」といった父の笑い顔は歪んでいなかった。それからすぐに父は亡くなり、お寿司の約束は果たされなかったけれど、いつか、父の言っていた《高級な店》に足を運んでみようと思う。僕もお寿司が大好きです。