「計画的偶発性理論」に思い当たる自分のキャリアだが、いうほど計画的か? というのを考えてみる

最近、「計画的偶発性理論」に言及されている記事や登壇がたくさん目に入る。

自分のキャリアをふりかえっても、たしかにそういうところがあるなー、という気分になるので、言及したくなる気持ちもわかる。自分の人生は偶発性のオンパレードだ。ただ、いうほど計画的にその偶然をうまく使えているかなー、所詮ただの生存バイアスじゃないかなーという気持ちにもなる。

そこで、年の瀬ということもあるので自分のキャリアをちょっとふりかえってみる。

ぼくは2001年に社会人になった。就職氷河期真っ只中ではあったが、たまたま大学の就職課で実家近くの会社の求人が掲載されており、ここなら徒歩通勤ができるな、というよこしまな動機で申し込んでみたら内定が出た。選り好みできる状況でも無かったのでそのまま入社した。それがたまたまITの会社だった。当時は求人が本当に無い時代だったが、ITに限ってはまぁまぁ人が足りない状況だったのだ。

キャリアの初手から思い切り偶発的である。

徒歩通勤ができると思って入社した会社だったが、SES的な業態であったため、あちこちの現場に常駐することになり、結局徒歩通勤はほとんどできなかった。

加えて世は空前の不景気。仕事があれば地域に関係なく受注しなければ会社が潰れる、という世の中だったので、自宅は大阪なのだが東京に1年、姫路に半年、といった具合に日本各地のレオパレスを転々とする生活だった。

結婚を機に、さすがに半年後の自分が日本のどこに住んでいるかわからない、という状況に耐えられなくなってその会社を辞めた。妻の収入もあり、理解も示してくれたため、退職を優先して次の職場が決まる前に辞めた。計画性はゼロであった。

IT業界そのものが嫌になっていたので、他業種に行こうと思いつつも、当然実績などないので仕事は見つからない。3ヶ月ほど無職期間が続いたが、暇すぎて毎日ラウンドワンに通ってひたすらボウリングをやっていた。なぜかこのころ、たまたまボウリングにはまってしまっていたのだ。マイボールを買うなどもしたが、結局この趣味はそんなに定着しなかった。

そんなある日、東京の現場で常駐していたときに知り合った人から電話があった。その人の会社が大阪に事業所を作ることになったので、そこで働かないか、というお誘いだった。結局ITかー、と思いつつも、3ヶ月の無職期間でみるみる貯金が減っている状況が怖かったので、申し出を受けることにした。

次の会社は1年で倒産した。

倒産した会社もSES的な業態だったため、大阪の会社に常駐していたのだが、その会社にそのまま拾ってもらえることになった。

さて、ここまでのキャリアに計画性など皆無であったし、計画的なキャリアを歩めるはずなど無い過酷な時期を過ごしたが、このあたりからちょっとずつ能動的になっていく。

次の会社では比較的穏やかに5年ほど在籍した。世の中はクラウドの黎明期であった。たまたま受講したセミナーに、セールスフォースのマーク・ベニオフが登壇していて、そこでクラウドというものを知った。エンジニアコミュニティに顔を出し始めたのもこの頃。

当時勤めていた会社はSIだったが、クラウドというものを業務で使ってみたい、と思ったのと、SIからWeb系へのキャリアチェンジがある種のトレンドというようなご時世でもあったので、その流れに乗って転職をした。もう一つ、その当時はソシャゲバブルの時代でもあった。

モバイルゲームを開発する仕事に就いたのであるが、そのチームはXPを軸にしたアジャイル開発を取り入れており、このチームでアジャイル開発のひととおりを学び、経験した。

このあたりから、アジャイルを軸とした自分のキャリア形成に計画性が入り込んでいる気がする。

モバイルゲームの開発ではScalaを使っていて、同じくScalaを使っていたはてなのMackerelがローンチを控えていた時期に、Scalaを書けるエンジニアを探しているということで誘ってもらい、はてなに入社した。

エンジニアとしてできる限りキャリアを積むぞ、と思っていたが、アジャイル開発の経験や、SIの時の経験などもあって開発チームのマネジメント的な観点で自分の持ち味を発揮できる機会が多く、その流れでMackerelチームのディレクターになった。

アジャイル開発の知見が自分の持ち味であるという自覚を持つようになり、コミュニティに顔を出したり、認定研修を受けたり、このスキルを掘り下げるぞ、と思っていろいろな活動をした。

そうしていたらマネージャーの仕事も面白いな、と感じるようになって、そこからなんやかんやあって、はてなの技術組織全般を管掌するマネージャーという今のポジションに至る。

こうしてみると、たしかに偶発的にやってきたキャリアに対して、後半はそれをうまく計画的に扱えている気がする。

なるほど、これが計画的偶発性理論か(本当か?)。

こうしてふりかえると、キャリアの大半は自分では手に負えない偶発的なもので占められている。ただ、その時々に偶発的に訪れた物事に対して、何を深堀りするか、なにを自分の持ち味として鍛錬するか、といったポイントに自分の意思が介在していて、その掘り下げで得られた能力によって少しずつ選択肢が拡がり、偶発的な流れにおいてかろうじて自分で何かを選び取れるようになってきている。

このような印象だった。