目下抱えているちょっと大きな仕事がなかなか片づかない。先日とりあえず出来上がった原稿を担当編集者氏に送ったところ、「あとの3分の2、期待してます」とのメールをもらい、まだそんなにあるんか……と気が遠くなった。仕事はそんな状態ながら、ここへ来て、郷里で開催中の愛知万博へ行きたいという気持ちがいよいよ高まっている。会期も今月25日までと残り短くなり、焦る。このまま行かないと一生後悔しそうだ。何せ「人生一度は万博」なのだから。
そこでふと、20年前につくばの科学万博見学も兼ねて千葉のいとこの家を訪ねた折、午前中宿題をサボっていたら、いとこに「そんなことだと、万博行けないよ」と言われたことを思い出した。どうやら怠惰なのは20年前とちっとも変わってはいないようだ。
話は唐突に変わるが、阪神の勢いがいつまで経っても衰えない。このまま二位の中日を寄せつけず(何せ中日は昨日の試合までに3連敗し、阪神に5ゲームも差をつけられている)、優勝してしまうのか。阪神優勝といえば、やはり1985年の21年ぶりの優勝が思い出されるが、あの当時の阪神の主砲の一人だった岡田彰布は現在監督として同チームを指揮している。
1985年といえば、日航ジャンボ機の墜落事故が起こった年でもあるが、ちょうど20年を迎えたその日に、日航系列の会社の旅客機から金属片が落下するという事故が起き、遺族を憤慨させた。それ以外にも日航では最近トラブルが相次いでいる。また、墜落機が大阪行きだったためあの事故で多数の犠牲者が出た阪神間では今年、JR福知山線の脱線事故という大惨事も起こった。
そんなふうに考えていくと、今年2005年と1985年とのあいだには、やけに相似するできごとが目立つような気がしてくる。たとえば小泉内閣が郵政民営化を断行しようとしている2005年に対して、20年前の中曽根内閣は、国鉄民営化の実現に向けて最終段階に入っていた(国会への関連法案提出・可決成立は翌年)。そもそも中曽根康弘と小泉純一郎は、大統領型の総理を志向しているという点でよく似ているわけだが、その中曽根は、戦後40年を迎えた85年の終戦記念日に、首相として戦後初めて靖国神社の公式参拝を行なったものの、中国から強い抗議を受け、そのため翌年以後参拝を中止せざるをえなくなった。これは今年に入って以前にもまして過熱した、小泉首相の靖国参拝(結局実現はしなかったが)に対する中国の反発と重なるだろう。中国といえば、今年7月に行なわれた人民元の切り上げについては、85年のプラザ合意による円の切り上げと重ね合わせる論調が目立った。中国はたしかにいま開発ブームであり、都市部には日本のかつてのバブル期前夜にも似た光景が見られる。
そのほかにも、85年には、当時の自民党の最大派閥であった田中派内で、次期リーダーと目されていた竹下登が「創政会」(のちの「経世会」)を結成した直後に、派閥の首領・田中角栄元首相が脳梗塞で倒れ、事実上の政治生命を絶たれたのに対して、2005年には、先の国会解散後に、その「経世会」の中心的存在で、のちのち派閥を引き継ぐこととなった橋本龍太郎が病気を理由に政界引退を発表した*1。
このように20年前と現在はさまざまな局面において奇妙な符合を見せているが、どこか薄気味悪くもある。ちなみに20年前のきょう、9月11日には、「ロス疑惑」で報道が過熱し、渦中の人となっていた三浦和義がついに逮捕される一方で、夏目雅子が白血病で27歳にして亡くなっているのだが……*2。
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ところで、中日ドラゴンズが優勝する年は政変が多いと言われることから*3、ぼくは「中日優勝なら政権交代」と勝手に思い込んでいたのだが、阪神独走という状態では小泉政権続行ということになるのか……。
*1:先月放映された日航機墜落20年の特番では、事故から一年ほどして亡くなった機長の遺児から「真相を知るためにも、実際にボイスレコーダーの記録を聞かせてほしい」との旨の手紙を受けとったと、当時の運輸大臣だった橋本が証言していたのだが、その姿はめっきり老け込み、病状はかなり重いもののように感じられた。
*2:この年はほかにも、たこ八郎が溺死、坂本九が事故死、大友柳太郎が投身自殺というぐあいに、急逝する芸能人が続出した年でもある。フランク永井が自殺未遂を起こしたのもこの年のこと。
*3:事実、中日の優勝年である1954年には吉田茂から鳩山一郎へ、74年には田中角栄から三木武夫へ、82年には鈴木善幸から中曽根康弘へ……というぐあいに政権が交代している。とはいえ、その後の優勝年である88年、99年、2004年には政変は起こっていないというのもまた事実なのだが。