ラーメン屋で手に取った日刊スポーツで中尊寺ゆつこの訃報記事を読んでいたら、出世作『スイートスポット』の連載誌である『週刊SPA!』の二代目編集長・渡邊直樹がコメントを寄せていた。そこで彼の現在の肩書が大正大学教授だと知って驚く。同大学HPの教員紹介によれば、文学部の表現文化学科で「出版文化の研究とメディア論、編集の実践」について教鞭をとっているようだ。渡邊直樹といえば、『太陽』を皮切りに『SPA!』『PANJA』『週刊アスキー』『婦人公論』と、花田紀凱とまでは行かずともかなりの雑誌を渡り歩いてきた人だ。それがいまや大学教授とは、見事な転身ぶりである(編集者としての活動もまだフリーランスで続けているようだが)。
日刊スポーツにはこのほかに、マンガ評論家の村上知彦がコメントを寄せており、中尊寺ゆつこはこれまでの風刺マンガとはまた違った分野を開拓したといったことを書いていた(正確な引用ではないが)。個人的には『SPA!』という雑誌は、80年代に全盛を迎えたコラム文化を一挙に引き受ける形で創刊したものと勝手にとらえているのだが、中尊寺は、マンガの世界において「コラムマンガ」ともいうべき新しいジャンルを開拓したのではないだろうか。同時期の人気マンガであるさくらももこの『ちびまる子ちゃん』がエッセイマンガと呼ばれたのに対して*1、『スイートスポット』は、作者の主張やキャラクターが多分に反映されてはいるもののエッセイ的な性格*2は希薄であり、しかも同時代の社会現象をきわめてジャーナリスティックにとらえているという点で大きく異なる。かといってこれまた同時期に話題となった石ノ森章太郎の『マンガ日本経済入門』に代表される中高年男性向けの情報・教養マンガのように、情報重点主義というわけではまったくなく、ちゃんとエンターテインメントしていた。そういった点で、『スイートスポット』をはじめとする中尊寺作品には、やはり同世代(いわゆる新人類・第一次オタク世代)の若手ライターたちのコラムと通底するところがあったように思う。
さらに言えば、西原理恵子など女性マンガ家たちが90年代以降一般誌に続々と進出していったそもそもの契機は、やはり『スイートスポット』に求められるはずだし、ちょうど同作とすれ違うように『SPA!』で連載の始まった小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』があれほどまでの社会現象となったのも、その前に中尊寺が『SPA!』に連載されるマンガの方向性というかカラーをある程度示していたからこそという気がするのだが、どうだろう?