100年=不発弾処理にかかる年数

古都ルアンパバーンには、「ラオス不発弾処理プロジェクト・ビジターズセンター」という施設があります。

ラオス全土に未だ多く残る不発弾の処理を進める組織の広報拠点で、オーストラリアの支援で運営されてるとのこと。

街ゴト世界遺産であるルアンパバーンには観光客が溢れてるのに、こんな物騒系の施設を訪れる人は少ないのか、この時の見学客は私だけでした。



<センターの入口に並ぶのは本物の爆弾やミサイル>


前に「ラオスの歴史と政治」で書いたとおり、ラオスはベトナム戦争の舞台として国土を使われ、アメリカ軍から大量のクラスター爆弾を落とされています。

クラスター爆弾とは、ひとつのミサイルの中にたくさんの小さな爆弾が入っていて、落ちると広範囲に爆弾が飛び散るもの。

これですね。てかクラスター爆弾の実物って、今回はじめて見ました。
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最近の中東の戦争では、アメリカ軍も世界世論を気にし、(誤爆も多々あるとはいえ公式には)「軍事施設だけをピンポイントで爆撃している」とよく強調しています。

しかし当時の戦争では、共産軍がたてこもる密林の上から「ぜんぶ焼き尽くせ!」とでもいうかのように絨毯爆撃式の攻撃を行うのは、ごく普通のことでした。

東京大空襲の焼け野原の写真を見てもわかりますよね。

一般人がどんだけたくさん住んでいてもまったく斟酌しない。あれが当時の戦争のやり方です。


これはラオスの地図と、爆撃を受けた場所(赤い点)の表示。ひどすぎ!と思いますが、もしかしてラオスの右側にあるベトナムには、さらに多くの爆弾が落とされたのかもしれません。
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(北部は山岳地帯なのであまり爆弾が落ちていません。南の方はいわゆるホーチミンルートです)


膨大な数のクラスター爆弾は、戦争から数十年たった今でもラオスの人を苦しめています。

なぜなら散らばったものの爆発しなかった“不発弾”が、草むらや浅い土の中に今でもたくさん残っているからです。


草むらや里山を歩く人が、土に埋もれた不発弾を踏んで爆発させ、吹き飛ばされるだけではありません。

丸いボールのようにみえる爆弾は、不発弾の怖さを知らない小さな子供達にとって、草むらで見つけたらスグに手にとってみたくなる「おもちゃのボール」に見えるのです。

そして嬉しそうにそのボールを掴んだ瞬間・・・・幼い命は一瞬にして吹き飛ばされます。



だからラオスでは、まだ文字も読めない就学前の幼い子供達にも「不発弾とは何か。どんな形状をしているのか。見つけたら決して触ってはいけないこと」などを教えるのが、重要な教育となっています。


★★★


もっと悲惨な現実も。

アメリカが落としていった様々な爆弾は、鉄や銅やアルミなど、様々な鉄類、もしくは非鉄資源によって作られています。

これらは、貧しいラオスにとって極めて貴重な資源です。


このため戦後、貧しい人や子供に日銭を払い、爆弾のカケラを集めさせる業者が数多く現れました。

爆弾のカケラが多く残るエリアには、当然に不発弾も数多く残っています。

生活のためにこの仕事に従事した貧困層の人達、もちろん子供達もまた多くが、不発弾の犠牲となりました。

これは爆弾のカケラを集めて換金する貧困層の家族と、彼らが集めてきた金属片を買い取るため、業者が重さを計っているところ。
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不発弾処理のビジターセンターには、毎年の不発弾の処理件数と、その犠牲になり、命を落としたり障害者となった人の数を記録したボードがあります。
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今年は(2月だし)まだ死者はいませんでしたが、昨年でさえ 2名が不発弾により命を落としていました。。。


★★★


夜市でアルミのスプーンなどを売っているお店。


これらも、ラオスに落とされた爆弾に使われていたアルミから作られています。


ブラックジョークとして、同じ素材から作った爆弾型のキーホルダーも。


ガイドの Tさんは言いました。

「今はタイからステンレスやプラスティックなど、いろんなスプーンが入ってきています。

でも僕が小さい頃、ラオスのスプーンと言えばこれしかありませんでした。

これでラーメンの汁とかスープとか、飲んでたんです。

まさか爆弾から作られてるなんて知らなかった。

僕たちにとってスプーンと言えばコレのことだったから」



カンボジアでも地雷処理が問題になっていますが、ラオスでも不発弾の処理が完了するには 100年かかるとも言われています。

100年て・・・一世紀ですよ。


この施設で展示資料を見ながら、

「あたしがビルゲイツくらいお金持ちだったら、こういうプロジェクトにどーんと寄付ができるのに」と思ったり、

「あたしが優秀な技術者だったら、ルンバみたいに自動で不発弾を見つけるロボットを開発できるのに」と思ったりしました。(※ ルンバの技術はもともと地雷探索のために開発されたものです)


残念ながらアタシにはお金も技術もないし、と思っていたら、Tさんが言いました。


「僕が生まれたのは、戦争が終わってラオスが共産主義になってから数年後です。

だから小さい頃に受けた教育は冷戦構造を強く反映していて、僕らは幼稚園の頃から日曜の朝、広場に集められ、「アメリカは諸悪の根源だ! アメリカはラオスに賠償しろ!」とみんなで叫ばされました。

ぼくも含め小さな子たちは、「アメリカって何?」ってのさえ分からない年齢だったのに。


さらに小学校に入ると、フランスがラオスを植民地にしていかに酷い搾取をしたか、タイがラオスからどんな貴重な仏教資産を盗んでいったか、アメリカがどれだけの爆弾を落として多数の人を殺したか、西側諸国の悪行ばかりを教えられました。

でも僕が学校で習ったそういう話を家ですると、父が言いました。


「それは政治宣伝だ」と。


そして、「よく覚えておけ。爆弾なんかより言葉のほうがよほど危険だ。爆弾に気をつけることも大事だが、言葉にこそ気をつけろ」と言ったんです」



これを聞いた時、「もしかしてあなた、あたしの職業を知ってるわけ?」と思ってぎくっとしました。
(もちろん彼は、そんなこと知るはずもありません)


たしかに私には多額の資産も技術もないけれど、この話を言葉にすることはできます。

この話を 誰でも見られるネット上に書いておけば、それを読んだ日本のどこかにいる 12歳の誰かが、将来、技術や資産やリーダーシップをもって、この問題を解決するのに大きな力を発揮するかもしれない。

もしそうなったら、あたしもこの問題に大きく貢献できるってことじゃんと。


ラオスの不発弾だけではありません。

カンボジアの地雷、ベトナムで使われた枯れ葉剤などケミカルウェポンも含め、たった数年、使われただけで、数十年、100年と人を殺し続ける殺傷武器。

もしかして今も同じようなものが、中東などの紛争地で使われているんでしょうか。

人間ってほんと、後先考えない動物でごじゃります。



そんじゃーね。


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