解剖

のむヨーグルトの形をした悲しみだ。

と僕が書いたとき
これを読む人がどんな想像をして
どう思うかわからないので
今日は解説をしてみる。

その行為に何の意味があるか
何のためになるのか
わからないけど

ただ、この言葉には
共感する人も
心に突き刺さる人もいなくて
つまりどんな解釈をしようが
誰かを傷つけることはない

雑草にひどいあだ名をつけるような
一見すると有害のように見えて
実は無害な行為だから
しようと思う。

まず、悲しみには形がない
と一般的には考えられているんだけど
悲しいという感情は
たくさんある。

大切な人をなくした悲しみと
パンを落としたときの悲しみと
夕焼けを見たときの悲しみと
ボロボロに傷ついた犬を見たときの悲しみと

その悲しみはすべて違うはずであり
しかも同じシチュエーションでも
一人ひとり受け取る悲しみは違う。

悲しみは複雑で
面倒くさくて
手に負えない

そしてわけのわからない
悲しみに支配されたとき
そいつに名前がないと不安だからといって

「悲しい」だけで済ませたり
「エモい」とかいうファーストフードみたいな
言葉で誤魔化す。

ただ、その瞬間に
そこにあった
唯一の形をした感情が

ありふれた言葉に収まり
ありふれた感情になり
何も意味をなさなくなる。

君が物凄く好きな作品があって
人生を変えるくらい熱狂して
でも、その作品が

よくも知らない他人に
「ああ、ただのラブコメね」
みたいなひとくくりにされたら

君は、ムッとすると思うし
ただのラブコメじゃないと
否定したくなるだろう。

でも、自分の感情に対しては
ほとんどの人が同じことをする。
僕は僕の感情が大切だから、

最適解を探し続ける。
この「のむヨーグルトの形をした悲しみ」
というのは、

同じ飲み物である
水やお茶やコーヒーでは
少し違うのだ。

のむヨーグルトは水よりも
少しだけどろりとしていて
その分、口の中に少しだけ
後が残り続ける。

かといって
シェイクやコーヒーのように
強烈に残り続けるわけではないし

少し甘ったるい
そんな特性を持っている
悲しみなのだ。

そしてまたここで疑問が生じる。
僕の「のむヨーグルトの形をした悲しみ」は
君に伝わる必要があるのか?という問題だ。

だから何だ?と思うだろうし
僕も望んでいない。
ただ、何か愉快な気持ちになればいい
いや、愉快な気持ちにもならなくてもいい