ルイーズ・ブルジョワ展に行ってきた


六本木で開催されているルイーズ・ブルジョワ展に行ってきた。待ち合わせまで1時間前で時間が無かったのだが、なんか、気が狂いたくなって本能のまま突撃した。ビタミンが足りていないとフラフラしてしまうように、多少気が狂っておかないと、何もかも嫌になってしまうからだ。

結論から言えば、気が狂うようなものはあまりなかった。ただ、全ての作品はとても良かったし、そこにいる空間は心地よかった。どれも見たことあるような、それでいて初めて見る作品ばかりだった。

そして、これは美術館あるあるなのだが、壁にその企画展の芸術家の言葉を書いてあるものが多い。美術館の人は、ハンバーガーにポテトをつけとけば良いだろ、みたいなノリで壁に芸術家の言葉を書く。ルイーズ・ブルジョワ展もファーストフード感覚でそれをやっていた。そして、安っぽいものが大好きな僕はそれにとても喜んでいた。とくに「芸術は正気を保証する」という言葉が、僕はとても良いと思った。ブルちゃん(名前が長いから略した)が作ったものは、どれも物心がついたばかりの子供なら泣き出してしまうような、そんな心温まるような作品ばかりだったから。ブルちゃんの見た世界が、何十年という月日と何十万キロという距離を超えて、切り取られてここにある。そして、それはすごく繊細で優しい世界に見えた。もし芸術というものが人間に許されてなかったら、この人は早々にこの世界に踏み潰されて殺されていたかもしれない。もしくはつまらない犯罪をおかして、この世界にイチミリも傷をつけられないまま退場していたかもしれない。ただ、芸術というものが何かの気まぐれか何かで存在していたので、この人は正気でいられたんだな、と思った。そして、僕もまたそれを見ることで正気でいられた。

気づいたら待ち合わせ時間が近づいてきていて、とりあえずあと一回は見に行こう、と後半は駆け足で見るはめになった。それでも20分遅刻した。

太陽を掃除機で吸い込む

眠っている間に明日が解体されて更地になってくれれば良いのに、といつも思っている。
余計な全てがバラバラに引っ剥がされてゴミの山になればいい。
何もかもが消えて嘘になればいい。
そして、なにもない空間をただひたすら歩きたい。
足音だけ聞こえたらいい。小さな土を食べたい。
ハムスターが回り車で走り回った距離分死にたい。