雑談。

琥珀氏の「何者か、、」ブクマが順調に伸びているなあ。めずらしく良いエントリが注目されている気がする。
私もあのエントリを読んで「おお、ポン」と膝を打つ思いだったわ、
世の中には「何者かになりたい」と思う大人が結構いるんだな、と
私などはそういう「夢」すら「自分」にもてない子どもだったわ、そんな自分を「許す」のにかなりかかったと思ってた、
それでもそういう自分を認めたのは20代前半のこと。
「いいじゃあないか、夢のない人間でも」と、私の「夢」は「ただ生きていきたい」だけだものな、今も昔も。
「夢」はないけど、「生きる」のは楽しい。
子ども時代から「自分」がわかるってのは哀しいことで、私はとても偉人的な人間になれないことを、物心ついたときからはっきりわかっていた。
だって、伝記だの、冒険モノだの読んでも「ああ、これは私には出来ない!」としか思えなかったものなあ。
「仮面ライダー」でも、怖いのは「怪人」ではなく「ショッカー」、なぜかというと、私のような「雑魚キャラ」(当時そんな言葉はなかったが)子どもは
「怪人」に狙われることはなく、たぶん「ショッカー」くらいしかさらわない、
「怪人」が出て初めて「仮面ライダー」はやってくる、だから「怪人」にさらわれた子どもはそれで助かるけど、
周囲で「きぃ」「きぃ」とか言ってるだけで、すぐ倒される「ショッカー」がさらった子なんて、誰もきっとさがさない、
そもそもさらわれたことすら気がつかれないんじゃないか、全然知らないところから、ちゃんと私は一人で生きて帰れるんだろうか?
ああ、「生きのびる」って、たいへん、と、「生きて」「楽し」ければ、もう十分じゃないか、
でも、世間は「何者かになって世界を変える!」みたいな勢いを子どもに求めるんだよな、
ご多分にもれず、私の父親もそういうタイプだった、無理強いはしないがやはり子どもに「何者か」になって欲しい、
「期待」をされているのをひしひしと感じながら、夢を持たない子供をやるのはそれなりに苦労だったわ、、(涙)
父は呆けた今でも「天下」「国家」を語る人で、でも実際の生活は「天下」「国家」を云々するより、その浪費癖を何とかしろ、みたいな、
私は常に「主題」から離れたところが気になる。
本当は「天下」「国家」が大事なんだろうが、私は私の快適な生活が大事、とそういう「身勝手」を悪いことだと今でもほんの少しは思っているわ、「ほんの少し」ね。
「何者かになりたい」話に戻せば、結局「何者かになりたかった」人とは「なれる」可能性が子どものころからほかの人間よりずっと多くあったって事なんだろうね、
わたしは子どもの時にそれが「ない」ことを知ってた、それに、そもそも「何者か」って、誰?
世の中には「何者か」がなんなのか、想像もつかない底辺の人間もいて、「何者かになりたかった人っているもんなんだなあ」と感心していたりする。
ネットは時々こういう面白いことを教えてくれる、だからやめられないなあ、生きることも、同じく。